第三章 迷宮(2)
しばらくたって、スターティアが目を覚ました。頭が痛むようで、額を押さえながら、むくり、と起き上がった。
「ご迷惑をかけて本当に申し訳ありません」
自分が何をしたのかは覚えているらしい。小さな呻き声を漏らしながら、スターティアはかすかに頭を下げた。
「魔に飲まれるなど、竜の亜種として恥ずかしいところをお見せしました」
「いいんだ。他者をねじ伏せる力への渇望は、僕にも理解できることだ」
僕だって一歩間違えれば似たようなものだ。元が弱い分、本来なら僕の方が危ないのだろうとすら思う。
「それよりも君の身の安全のためにもそこまで力を求めている理由があるなら知りたい」
「はい、身に覚えはあります。わたくし自身、気にしているつもりはないのですが、おそらく、コンプレックスなのだと思います。半分は竜の姿ですが、半分は人類のような女の姿という半端な種族、ヴイーヴルであることは、わたくし達が純粋な竜にはなれないことを感じさせるのです。わたくし達には、天地を揺るがすような猛々しい巨躯もなく、城塞や鉄の護りを打ち砕くような強大さもありません。竜の亜種などといっても所詮はたいしたことのない半端者なのです」
スターティアの言葉には、深い自虐が感じられた。それと同時に、わずかな迷いも。彼女はそのわずかな疑問を語った。
「けれど、ほかならぬレイダーク様を見て、わたくしは分からなくなりました。わたくし達の理屈で言えば、コボルドがわたくし達よりも強くなるということは天地がひっくり返ってもあり得ないことなのに、わたくしは、コボルドであるはずの、レイダーク様に、畏怖の念を抱いています。きっと戦ったら勝てない、そんな確信があるのです。わたくしはそれが間違っている認識だとは思えません」
「ああ……そうかもね。確かに僕は君を怖いとは思わない。君が弱いからではないけれどね。むしろ君が強くあろうとしすぎているからかな。すべてに力が入っているから、とても分かりやすい」
スターティアの気配は読みやすい。そういう意味では、随分前にサリアを相手した時と同じだ。気配の濃い、強い力で押しつぶそうとしてくる限り、スターティアの力を受け流すことはできるだろう。
「だからと言って、それがいけないとは思えないな。自分を変えることはとても難しいことだ。しかもそれが種の気質だとすればなおさらだ。そして、それ込みで君はスターティアなんだから、自分を蔑む必要はないよ」
「ありがとうございます」
スターティアは心細そうなため息をついた。実際に正気を失って暴れた彼女には、言葉だけは足りないのかもしれない。僕はそう考えて、スターティアの横に腰を下ろして、両腕を伸ばした。
「おいで、スターティア」
と、スターティアの頭を抱きかかえる。
「大丈夫だ。君は大丈夫。自分を怖がらないで。魔に狂わされることなんて、誰にでも起きる可能性があることだよ。心配しないで」
そして、頭を撫でて語り掛けた。そう。誰にでも起きる可能性があることだ。スターティアが特別な訳ではない。
「そうかもしれません。ですが」
怯えている。スターティアの頭から、彼女が小刻みに震えているのが分かった。
「特別君が影響を受けやすいからだったとは、僕は思わないよ。だからこそ魔性なんだよ。誰も危ない目には合わなかったし、運が悪かったと思えばいいよ。それに、君のおかげであの通路から脱出できた。ありがとう」
キースには悪いけれど、スターティアが落ち着くまでは、無理に動かないほうがいいだろう。進退窮まった僕達を助けてくれたスターティアが、こんな状態のまま進むのは、とてもではないけれど考えられなかった。
「そうですよ。私もそう思います。スターティア様、ラルフ様を助けてくださり、本当にありがとうございます」
スターティアの顔を覗き込んで、エレカが何度も頷いた。エレカも僕と同じ意見のようだった。
「無理はしないでください。強く叩きすぎたかもしれません。瘤になっていたらごめんなさい」
「大丈夫です、止めてくれてありがとう。エレカは強いですね。身に染みて思い知りました。こういう言い方は、失礼にあたるかもしれませんが、わたくしは、もう二度と相手をしたくありません」
スターティアが弱々しく笑った。スターティアとエレカは良い友人になれそうに見える。
「私も必死でした。スターティア様がもし本気であったら、どうなっていたか分かりません」
エレカも、笑っている。
「ですが、その、誰も大きな怪我もせずに、止められて、良かったと、本当に……あれ?」
エレカの目から、涙があふれている。本当に心配していたのだと分かる。
「泣かないでください。あなたは勝ったのですから、エレカ。あなたはわたくしたち皆を守ってくれました。だから胸を張って笑ってください。あなたが泣いてしまったら、私もつらい気持ちになります」
スターティアの目からも、涙があふれだした。エレカが自分を思ってくれているのだということも、その原因を作ったのも自分だということも、スターティアには分かったのだろう。そのことに対する複雑な思いが、あふれ出しているのだ。
「ああ、今分かりました。レイダーク様のおっしゃりたいことが分かりました。これなのですね。こんな悲しい思いはしたくない、自分の身の回りにいるひとにも、こんな思いはさせたくない、ただそれだけなのですね」
「そうです、そうなんです。それだけの事なんです」
僕の代わりに、エレカが答えてくれた。だから僕は答える代わりに言った。
「何かに、誰かに、傷つけられた人がいて、僕に助けてほしいと願ったのなら、僕は助けてあげたい。そうやって少しでも友達ができたら、僕はそれだけで良かったと思えるよ。それだけだよ」
僕の言葉に、スターティアとエレカが頷いた。分かってもらえるということが、とてもうれしい。でも、だからこそきちんと伝えておかなければいけないこともある。
「でも、そうやって目指してきた先が、何に繋がっているのかも、僕は見た。確かに次元宇宙規模の危機なのだろう。君たちがその危険の中心につきあう必要はなくて、僕は君たちをそんな危険な目に合わせたくないから、きっと、いつか、どこかで、君たちを置いて去るんだと思う。それだけは、分かってほしい」
「それは分かりませんよ」
涙をぬぐって、スターティアが、濡れた目のままで笑った。
「全次元宇宙規模の危機のすべてに、手を届かせるには、レイダーク様の体は少々小さすぎると思うのです。きっと、たくさんの手や足、考える頭が必要になると思います。だとしたら、わたくしたちだって、その一つくらいにはなれると思います。もし一緒に行動していないとしても、どこかで離れたとしても、同じ危機に立ち向かうための方法はたくさんあるのではないでしょうか。きっとその時には、同じ目標のために、わたくしも、わたくしにできることをしていると、そんな気がします」
「私は納得できません!」
けれど、エレカは涙でぬれた顔のまま、怒った声を上げた。
「せっかく直属の兵にしていただいたのに、ラルフ様についてくるなと命令されたくらいで、はい、分かりましたと引き下がって、へこたれる私だとは思いたくないです! 私はラルフ様をお守りするため、何処までだって噛り付いてでもついていくんです! 絶対あきらめません! 私だって、栄えあるマリオネッツの一員です!」
「そうだね。うん、そうだ。僕の言い方が悪かったよ。ついてくるなとは言わないよ。きっとその時は、僕がそばで守れない誰かを、僕の代わりに守ってほしいと、君たちに頼むんだろう。もしくは、君たちにしかできない役割が、見つかるんだろう」
僕は頷いた。僕一人の力など微々たるものだ。仲間を危険な目に合わせたくないなどと言えるほど、僕自身がたいした奴だったことなどない。
「それなら分かります」
エレカも納得してくれたようだった。
「しかしラルフ様、だとしても私がお守りする最優先はラルフ様ですからね。忘れないでください」
「うん、ありがとう」
本当にそうなりそうだ。
エレカはこれまでの仲間の誰よりもその時に説得するのに手強いかもしれない。