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聖騎士レイダークの手記  作者: 奥雪 一寸
悪意の迷宮
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第二章 悪意(6)

 僕たちは会話を切り上げて、通路を進んだ。

 通路の先からは取り立てて変わった匂いはしていなかったけれど、地下中にピリピリと焼けつくような気配が感じられた。

 変質したレッサーデビルに遭遇した、先刻の戦いから、そのあとは、地下は不気味な静けさに包まれていた。

 まるで光を恐れているように闇に閉ざされた通路は、それほど長くなく、途中の右の壁に扉が一つあるほかは、少し先で右へ曲がる角が見えるだけだった。扉は鉄製で、隙間から明かりが漏れているようなこともなかった。

 僕達は無言で互いの意志を確認し合い、扉を開けてみることに決めた。何か危険が潜んでいないかを確かめておいた方がいいだろう。

 扉のノブを確かめる。見たところ罠はなさそうだ。僕はノブを握ってみた。

 鍵がかかっている。

 地下中に満ちている不吉な気配に紛れて、部屋の中からかすかに生物の気配を感じた。扉の前に立ってはじめて感づけるほどに、およそ弱々しい気配だった。

 扉を確認すると、鍵穴がある。僕は荷物から工具を取り出して、少しだけ鍵穴を探ってみた。鍵は開けようと試すまでもなく、手ごたえを確かめている間に、ほとんど勝手に開いた。

 扉を開ける。中は小部屋で、やはり真っ暗だった。鎖が鳴っている音がかすかに聞こえた。やはり誰かいるらしい。僕は小部屋の闇を、目を凝らして見回した。

 奥の壁に鎖で磔のように繋がれている女性がいる。項垂れて脱力しているから顔はよく見えないけれど、おそらくマリナレシアだ。

「姿が見えないなとは思っていたけれど、こんなところに括り付けられていたのか」

 僕が声を掛けるとマリナレシアは顔を上げた。生気のない顔に歪な笑みが浮かぶ。

「お客人が入り込む場所じゃないよ。面倒なことに巻き込まれないうちに引き返しな」

「おあいにくさま。もうどっぷり巻き込まれているから手遅れだよ」

 僕は苦笑した。次元宇宙規模の問題以上の面倒事などあるものか。その時点でたいていの問題は、それに比べれば十分絶望的でないと自信をもって言える。

「そいつはご愁傷様。ついでに婆さんくたばらせてくれりゃあたしにとっちゃ万々歳だけど、どうもそういう風には見えないね」

 マリナレシアは落ち窪んだ目の奥で嗤った。世の中のすべてがどうでも良さげな、仄暗く空虚な笑み。

「あたしのことは気にすんな。婆さんがいいというまでここにいるのはいつものことさ。用事がない時は木偶代わりがあたしの役目ってね」

「そうか……少し待ってくれ」

 僕はマリナレシア自身の処遇についてはあまり関心がなかった。非人道的だとは思うけれど、もともとここはブラックブラッドだ。

「キース、この場所にひとがいる状態で、屋敷を狂わせているノセル悪意を持ち去ったらどうなるだろうか?」

「分からない。影響がないかもしれないし、地下構造が保てなくなって一緒に虚空に飲み込まれるかもしれない。かといって、拘束を解いても一緒に連れて行くのは危険だね。身を護るだけの余力が残っているようには見えないな」

 キースが首を振った。難しい決断になりそうだ。

「ありがたいね。できたら虚空に飲み込まれて消えられりゃあ、あたしも楽になれるよ」

 マリナレシアは魂をメレールに奪われている。ならばこのまま虚空に消えたほうが確かにマシなのかもしれない。僕は彼女の自業自得の結果に深入りしたいとは思わないし、マリナレシアも望まないだろう。

「そうだね。僕にできることはないかな。このままでいいというのなら、そうしようか」

 僕はマリナレシアに頷いた。

 彼女はただ、僕達を見回して喉の奥を鳴らす。

「ああ、ただひとつ忠告しとくよ。そこのトワイライト・スターティアには気を付けときな。そいつはとんでもない化け物だ。いいかい、その女は悪辣さではこの屋敷の中でもとびぬけた屑だ。忘れるんじゃないよ」

「屑なのは自覚しています。ブラックブラッドに屑ではない者はいません。そうでしょう、マリナレシア・ローベルト。確かにわたくしはノセルの悪意を自分のものにしたいと狙っております。ですが、レイダーク様の目を盗んで掠め取らなくても、訳をお話しすれば、レイダーク様はあの至宝を譲ってくださると確信しております。ですからそのような意地汚い真似はいたしません」

 スターティアは頷いて言った。ノセルの悪意を手に入れなければいけない訳とは何なのだろう。

「どういうこと? ノセルの悪意のような危険な代物をどうするつもり?」

「善神の教えに従っているレイダーク様からすれば危険なものでも、悪の思想に賛同している者からすれば、全く別の価値を持つのです」

 スターティアは柔らかい口調を崩さずに、僕を見つめた。そして、静かに微笑んだ。

「ノセルの悪意の力は神殺しの力です。それは裏を返せば神を従える力でもあります。悪神との交渉は力を持って臨むものなのです。我が意に添わぬ悪神を排し、自らが悪神として座するも良し、力をもって我が意に協力させるも良し、自らの生きる場を護る為であればわたくしはどのような誹りを受ける交渉術も用いましょう」

「メレールはそれでいいと?」

 キースが疑問を投げかけた。彼も何かを知っているということか。いや、むしろ彼がいたからメレールもスターティアもノセルの悪意の力を求めたのではないのだろうか。

「メレールやスターティアも、キースから何か聞いているの?」

「確証はない話ですが、懸念が現実のものになった場合、次元の存亡をかけた話になるということは聞いております。しかし、その危険が確定するまでは、ノセルの悪意は隠しておくと、メレールは臆しました。確かにノセルの悪意の力を得る試みは自らの生命を掛けた危険な行為ですが、わたくしはそれでは遅いと思うのです。ノセルの悪意に認められる者を、いち早く見つけておく必要があると考えております。そのためにも、まずはわたくしの身をもって力を得られるか試したく思うのです」

 スターティアの話は理解できないではない。けれど、僕にはそれは危険な考え方にしか思えなかった。

 僕はため息をついて答えた。

「うーん、気持ちは分からないでもないけれど、その言い方だと、君にノセルの悪意を任せることはできないな」

「何故でしょうか」

 スターティアには僕の判断理由が分からないようだった。そうかもしれない。彼女はおそらく自分自身の命が危険に晒されるくらいの危険しか認識していないだろう。

「ノセルの悪意は悪神の手によって作られた秘宝だ。仮に神殺しの力が得られたとして、まっとうな精神が保たれる保証はない。屋敷の悪魔もノセルの悪意に支配されているというし、その影響力は多分君が考えているよりも大きい。おそらくは神殺しの力を暴走させる結果か、秘宝の力に飲まれて本来の望みを外れて、邪な野心に走る結果に終わるだろう。秘宝の影響力に飲まれないためには、確固たる信念と覚悟が必要だと思う。試してみるなんていう軽い気持ちで手を出していい物ではないよ」

 僕はスターティアに神々の力を侮らないほうが良いことを説いた。彼女が分かってくれるかはともかく、彼女が守ろうとしているものを破壊しかねない選択をしようとしていることだけは自覚してほしかった。

「屋敷に支配されて力が行使できなくなっていた君ならば自覚できるはずだ。自分なら影響は受けないなどということは言えないだろう?」

「確かに。その危険性は考えませんでした」

 なるほど、と、スターティアは頷いた。自分自身の手で次元を破壊しかねないのであれば、彼女も滅多なことはしないだろう。

「その影響力に打ち勝つのに必要な物は何でしょうか。わたくしが屋敷に、つまりは、ノセルの悪意に支配されていたのであれば、わたくしの望みをかなえるためには、それを超えなければならないのですね。気持ちを強く持ち、望むことをしっかりと自覚すれば良いのでしょうか」

「そうではないと思う、スターティア。悪神の秘宝であるノセルの悪意はその名の通り、悪意に満ちたものだと思う。純粋であればあるほど、それを手折ろうとするだろう。欲望が強ければ、それをゆがんだ形で叶えようとするだろう。もともと頼るべきものではないんだ。使わないこと。それだけがおそらくは正解だ。できれば封印してしまうのがいちばんなのだろうと思う」

 僕が言うと。

「無理だね。そりゃあんたみたいないい子ちゃんの正解さ。あたしら悪党の正解じゃないよ」

 おどけたようにマリナレシアはまた嗤った。

「そうかもしれないけれど、僕はスターティアが触れたがった善意を信じてみようと思う」

 僕は首を振って答えた。

 スターティアはそれ以上何も言わなかった。


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