第二章 悪意(5)
個人戦闘は得意というエレカの言葉に偽りはなかった。
階段から直進方向の通路を進むことにした僕たちの背後から、影だけが動いているように真っ黒に塗りつぶされたような悪魔のシルエットがやってくるのを、誰よりも早く察知し、エレカは振り向きざまに光線を放って一撃で撃破してくれた。
それを合図にしたように、前後から毒々しく変質した下級の悪魔が襲ってくる。
「お二人は前からくる敵に集中してください」
スターティアに言われ、後方の敵をスターティアとエレカに任せる。
僕は剣で、キースは拳と結晶で、前方から襲ってくる敵に応戦した。
敵の動きは緩慢で、魔法も使ってこない。けれど、定まらない視線と意志の感じられない動きのせいで、敵の動作は捉えどころがなく、ともすれば味方を巻き込むことにも何の懸念も持たない敵を倒すのには意外に難儀させられた。おまけに驚くほど一体一体がタフであり、なかなか倒れてくれない。通路でなければ一斉攻撃を受けることになり危なかったかもしれない。
前方から襲ってきた敵の数は一〇体。二体目にとどめを刺したあたりから、僕は戦闘の音がさらに敵を呼び寄せてしまわないかを懸念しはじめていた。
一撃で敵を沈黙させられないのは僕だけではなく、キースも同じようだった。手堅く応戦しているものの、倒せているペースは僕と似たようだものだった。
三体目の首を刎ねて動きを止める。キースも三体目の頭を結晶で貫き、倒したところだった。残り、四体。
僕が剣を握りなおした丁度その時、僕の背後から四筋の光線が頭上を抜けて飛び、変質した悪魔たちに降り注いだ。光線は狙いを外すことなく四体の変質した悪魔たちを貫き、僕達の進路上にいる敵をすべてねじ伏せた。
「お怪我はありませんか、主殿」
光線を放ったのはエレカだった。周囲に動く敵がいないことを窺いながら、彼女は僕の心配をしてきた。
「大丈夫、ありがとう」
僕が答えると、
「差し出がましい真似をしまして申し訳ありませんでした」
と、本気でエレカが畏まったように言う。僕にはなぜ彼女が見習いのままなのか腑に落ちなかった。実力は十分にあることは間違いない。何か実力以外に問題でもあるのだろうか。
「いや、それはかまわない。見習いとは思えない強さに少し驚いたけれど。何故正規の兵と認められていないのだろう」
「はい。個人戦闘は得意なのです。ですが、私が部隊に入ると、統制が乱れることが多くなり、円滑な行動を阻害してしまうのです。それが原因で、正規の配属先が決まらないのです」
控えめに顔を伏せて、エレカは答えた。実際にエレカの戦いぶりを見たのは初めてだし、すぐには結論が出せないけれど、僕は彼女の戦い方に、一つの可能性を確かめたくなった。
「なるほど、分かった。さっきの戦いを見た限りだから絶対とは言えないけれど、何となく何故なのか分かりそうな気がする。今日は君の好きなように行動してみてくれるかな。それを見せてもらって、僕が君をどうやって活用できそうか、決断を下そう」
「分かりました。ありがとうございます」
エレカは剣を掲げた姿勢のまま答えた。
それに頷いてから、僕は彼女の戦いぶりをもう少しよく見たいことと、前後から敵に挟撃された時の、前方方向の殲滅力の弱さから、キースに声を掛けて、前衛を僕とエレカが受け持ち、キースとスターティアに後衛を任せることにした。
スターティアは面倒臭がって真面目に戦わない懸念もあったけれど、流石に自分の命もかかっているとなると、手を抜いたりはしていないように感じられた。とはいえ、全力を出している訳でもない気がする。
「スターティア。ひょっとして窮屈だったりする?」
そんな彼女の気配が戦闘中気になっていたから、僕はスターティアにも声を掛けた。
「はい、味方ごと薙ぎ払っていいのであれば、もう少し簡単に片付くのですが、当然のこと、宜しい訳がないことは承知しております。流石に、わたくしにもそのくらいの分別はございます」
スターティアはにこやかに頷くと、僕に首を傾げてきた。僕が少し困ったような気持ちでいることに気が付いたらしい。
「もし、面倒なら、危険がない限り見ているだけでもいいよ。君があまり活動的な方ではないことは理解しているし、気が乗らないのに戦うことを強制はしたくない」
僕の考えは単純だ。
下僕であろうと配下であろうと友人と同じだ。本人の意思に反することを強制はしたくない。それが誰かを傷つけない限りではあるけれど。
「いいえ、ご心配無用です、レイダーク様。わたくしは自分でも信じられないくらい、珍しく本気になっております。面倒くさいとは申しません。けれど、ありがとうございます。その気になれないときには必ず申し上げることにします」
柔らかく笑って、スターティアは首を振った。自分自身面倒くさがりだってことは自覚しているらしく、そのことに僕が理解を示したことで、とても嬉しそうな目をしていた。
「うん、頼むよ。無理はしなくていいからね。僕は君に善良になれとは言わないから、それは安心してほしいな」
僕もスターティアが自然体のままでいてくれている様子が嬉しかった。善は強制するものではないし、自分の中から自然に出てくるものでなければ、身を滅ぼしてしまうかもしれないことは、悪と同じくらいの危険性は潜んでいると思う。誰かに強制された善は、正しいとは思えない。
「善悪なんてものはただの言葉だ。それに縛られるのは自然なことじゃない」
「はい、ありがとうございます」
スターティアは相変わらずにこやかな顔をしていた。僕はそれでいいのだとも思った。
「世の中って難しいな」
と、唐突にキースがつぶやくように言った。
「君やリーダーのようにうまく人の個性と付き合える素質があるひとはいて、僕みたいに他人が何を考えているのかも分からないで四苦八苦しているのもいる。どうしたら、そんな風に他人を上手に思いやることができるんだろう」
「簡単なことだよ」
僕は笑った。
「他人が何を考えているかなんて、分かる訳がないと認めることだよ。僕はエレカじゃないし、スターティアでもない。彼女たちが何を思い、何を大事にしているかなんて僕には分かりっこない。だから、僕は聞くんだ。話をせずに理解できることなんて何もないよ」
「話をしても理解できない時は? 本心を話してくれない時は?」
キースの疑問はもっともだった。
だって僕にも分からない。
「その時は、そうだね。信用してくれるまで、信頼してくれるまで、自分がその人のためにできることをするだけだ。信頼されていないのは僕の力不足だ。どれだけ頑張っても話してくれないことはある。それは仕方がないことだ。そういう時は、諦めるしかない。多分そのひとにとって必要なのは僕ではないのだから」
僕が答えると。
「そのお考えはわたくしにも理解できます」
スターティアが静かに言った。
「そうですね。私にもそう思えます」
エレカもスターティアの言葉に同じ印象だと頷いた。二人は、どちらが言葉を続けるかを無言で同意するように顔を見合わせて、それからスターティアが口を開いた。
「レイダーク様は他人を知ろうとする努力と詮索しない配慮を両立させようとなさっているだけです。ある意味とても簡単で、その実とても難しいことですが。コボルドであるがゆえに、レイダーク様はご自身の手の届く範囲の見極めには常に気を遣われているのでしょう。わたくしにもその懸念は分かる気がします。何よりも他者が無為に傷つくことがお嫌いなのです」
「うん、そうだね。君の言うとおりだ。僕は、百の害意を打ち払う神秘の力もない、万の脅威を退ける魔法の秘儀もない、見ての通りのコボルドだ。だからこそ、僕は自分のできる限りのことをするし、僕にはできないことを安請け合いすることもしない」
僕は頷いた。
けれど、それだけではない。僕はいくつかの経験をして、失敗をして、出会いと別れがあって、その中で少しずつでも理解を深めてきたのだと思う。
「でも、一番大事なことは、僕がコボルドだからといって、自分をちっぽけだとは卑下する必要はないんだということだと思う。以前は、僕も自分をちっぽけだと、そう思っていたけれど、今はそうは思っていないよ。少しずつだけど、分かって来たからね。コボルドだって、捨てたものではないんだ」
そう言って、僕はキースに頷いた。
「キース、僕には君が人造物であって、自然の生物でないことを気にしているように見えるけれど。君が他人との対話に臆病になる部分があるとしたら、きっと君はそのことを引け目に感じているのではないだろうか。それでも、君だって人造生物という生物で、だから生物の考えていることが理解できる気がしない理由ではないと思っていいと思うんだ。他人の考えていることなんて、誰にだって分かりはしないよ。種族が違えば価値観も違う。理解し合えないなんてどこにでもあることだ」
「そうかもしれない。でもどうしたらいいんだろう」
キースは首をひねった。簡単なことなのに。
僕はだから、ただこう伝えた。
「ただ理解できないと言うだけでいい。それでも分かるように教えてくれないひとのことは放っておけばいい。そのひとのために僕達ができることは多分何もないよ」