第一章 脅威(7)
僕は一度キースと別れ、メレールの屋敷に戻った。そして、グレイオスが死んだことを伝え、それを理由に協力関係を解消することを伝えると、屋敷を出た。
インプたちにも声を掛けてみたけれど、彼等は屋敷に支配されているのか、メレールの手勢の魅了にやられたのか、屋敷を離れるつもりはないと返答された。
僕は一人で屋敷を出て、キースの小屋に戻った。今後のことを話しあい、まず何から手を付けるかを決める必要があった。
小屋に戻ると、キースは小屋の中でいくつかの結晶を机に置いて、丁寧に削っていた。
「戻ったよ」
声を掛けると、
「ああ、お帰り」
手を止めて顔を上げた。
小屋の中の家具は手作り感があり、キースが自ら森の木々から造ったのだろうことが分かった。小屋の北東隅にあるドアから見て、すぐ左手の壁脇に机と椅子、小屋の南西に東向きに置かれた背の高い棚、そして、南の壁には窓があり、その下にベッドが置かれていた。
「それは?」
「これは対晶魔用の石だ。これがあると、下級の晶魔を使役することができる。一回使うと力を失ってしまうけれど、彼等との相性が良ければ、石がなくとも従ってくれるはずだ。そうなれば彼等は良い相棒になってくれるよ。もっと高い純度で作れば無理矢理支配や召喚できるようにもなるけれど、そういう狂暴な品は、君は望まないだろう?」
キースは結晶を僕にも片手で持てるサイズに削ったものを六個くれた。ありがたく受け取る。機会があったら使うことにしよう。
「それで、今後、五魔神の襲来に備えるとして、何から手を付けるべきだろうか」
僕は首をひねった。
キースは思案顔になり、低めの声色で答えた。
「何はともあれ、まずは早急に僕がダーゴスの精神波動から身を守る方法を探さなければならない。そして、少しでも早く、君が見た炎の巨人がダーゴスで間違いないかを確認する必要がある。確証なく動くのは危険だ。確証を得る準備を整えよう」
「僕に、おそらく力になってくれそうなひとに心当たりがある。彼に相談してみよう」
僕はキースに言い、ムーンディープで僕のための兵になってくれた彼女の名を念じた。
「お呼びでしょうか。主殿」
イマは、すぐに僕たちの前に現れた。身長二〇センチほどの人形のような姿も変わらず、剣と盾を携えてきびきびと敬礼をしてくる様子も変わりない。
「カーニム様に連絡を取りたい。可能だろうか」
僕がそうと問いかけると、
「しばし時間をいただければ」
イマは頼もしく答えた。そして、しばらく黙り。
「繋がりました」
と、告げた。疑うまでもなく、その言葉に嘘はなく、すぐにカーニムからのテレパシーが届いた。
《やあ、レイダーク。何かあったかな》
《カーニム様、いきなりすみません》
僕が答えると、
《いや、いつでも、気安く声を掛けてほしい。君とは友人でいたいと思っている》
カーニムは他人行儀な挨拶を嫌うように返してきた。そう望まれているのならば、僕もそうしよう。
《分かった。ありがとう、カーニム》
答えてから、僕は本題を切り出した。
《やがてあるだろう次元宇宙の危機について、信憑性の高い情報を持っているひとに会ったんだ。ただ、彼が言うには間違いがないかを確認しなければならず、そのためには強大な存在の精神波動から彼自身の精神を守る必要があるらしい。何かいい方法を知らないだろうか》
僕が頭の中で告げると、カーニムのテレパシーはしばらく止み、それから、こう返してきた。
《詳しく話を聞きたいな。だが、ブラックブラッドでする話ではないように思う。私の領域で話を聞かせてもらいたい。情報提供者に問題ないかを確認出来たら、イマに案内してもらってほしい》
《分かった、聞いてみる》
僕は答え、キースに声を掛けた。
「僕たちの次元で魔術の神と呼ばれているひとが、君の話を聞きたいそうなんだ、キース。僕と一種に彼の領域まで行ってもらえないだろうか」
「喜んで。悠久の存在に足がかりができれば、もし、狭間の世界で君が見たものが本当にダーゴスならば、協力してもらったほうがいいだろう」
キースが静かに頷く。
それにほっとしながら、僕はイマに声を掛けた。
「カーニムの元へ連れて行ってくれないか、イマ」
「仰せのままに」
イマが、僕とキースの周りをくるりと円を描いて飛んだ。その軌道が光になり、そこから光が広がると、僕たちを包む風景が一変する。光が消えた時には、僕たちは大理石でできた壁で囲まれた、上品な食堂のような場所にいた。テーブルも大理石製と思われる純白のもので、ダークオーク製の椅子が並んでいた。テーブルの上には赤いクロスが敷かれていて、蝋燭台が真ん中に置かれていた。床は紫色の絨毯だ。
「やあ。ようそこ」
テーブルの向かいに、カーニムは立っていた。フクロウ男爵の姿ではなかった。彼は笑顔でキースに向かってお辞儀をした。
「私はカーニムと申します。お名前を伺ってもよろしいですかな」
「僕はキース。お招きいただき光栄です。ラルフが君のような存在と交流があるのは幸いだ。早速本題に入っても?」
キースは社交辞令もそこそこに、カーニムに真剣な視線を向けた。彼は座るつもりはないように、椅子に近づきもしなかった。
「勿論。伺おう」
カーニムの顔からも笑顔が消える。
キースは僕に話してくれたのと同じ推測を、カーニムにも語った。カーニムは相槌を打ちながらそれを聞き、キースの説明が終わると低い声で唸った。
「それは、剣呑な話だな」
ひとしきり悩んだように眉間にしわを寄せ、それから、カーニムは言った。
「もし君たちの懸念が当たっているのであれば、私にも無視ができない話だ。私も狭間の世界に同行させてもらえるだろうか。精神波動をはじく結界なら、私が張ろう」
「同行いただけるなら、僕としても話が早くて助かる。ただ、ラルフはそれ以上に深刻な目的を抱えている。はぐれてしまったというひとを見つけ出し、彼がそのひとを保護するのを手伝うのがまず優先だ」
キースの言葉に、カーニムが頷く。
カーニムは少しだけ悩んだ素振りを見せてから、僕たちに言った。
「できれば、私も頼みたいことがある。ラルフ君、サリアの残滓を残してきたのも狭間の世界で間違いないだろうか?」
「ああ、そうだ」
ああ、と彼の意図に僕は気づいた。
「それを回収したい」
カーニムの願いはもっともだと感じた。
「キース、僕からも頼みたい。カーニムの古い恩人の亡骸のようなものが、狭間の世界にあるんだ」
と、僕も頭を下げた。
「勿論だとも。大切なひとの遺体なら、回収してあげなければ可哀想だ」
キースが頷く。そして、笑った。
「これで僕たち三人ともに、狭間の世界に行かなければいけない確固たる理由が揃ったね」
「ただ気になるのは、僕が狭間の世界から戻ってから、ずいぶん時間が経ってしまっていることだ。あのタイミングに戻れるものなのだろうか」
僕は残った疑問を口にした。その疑問を感じるのは不思議なことではないと言いたげに、キースはまた笑った。
「狭間の世界はなかなか理解が難しい場所だからね。狭間の世界には、過去とか未来という概念が存在しない。事象の変化は存在しているけれど、それは通常の世界とは異なり、狭間の世界の外から見た場合には、すべてが同時に存在しているように見える。つまるところ、どの事象に飛びたいかが特定できれば、いつでもその事象に辿り着くことができると思ってくれればいい。逆に、下手に狭間の世界から出ようとすれば、どの時代に出るかが分からなくなってしまう。戻りたい時間があるのであれば、先にそれを狭間の世界の中から特定できるようにあらかじめ印をつけておく必要がある」
キースの説明を聞いても、僕はまったく内容が呑み込めなかった。とにかく難しい理屈はさておき、狭間の世界に入る前に、戻れるようにする準備が必要そうなこと、狭間の世界へは好きなタイミングを指定して入れるということだけは理解した。
「準備をしないで行くと大変なことになるってことだけは分かったよ」
そう答えると、
「それだけ分かるだけで十分だ。ひとまずこの場所に空間的な印はもう付けたから、安心してほしい。準備ができたら行こう」
キースは声を上げて笑った。そして、僕とカーニムを見回した。
まず僕が、続いて、カーニムが、頷いた。