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聖騎士レイダークの手記  作者: 奥雪 一寸
悪意の迷宮
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第一章 脅威(5)

 とはいえ、完全に一人になれたと油断するほど、僕も愚鈍ではないつもりだった。蝙蝠か、小竜か、上空に監視役の目が光っていることにもすぐに気が付いた。僕はそれを放置して、グレイオスの隠れ家に向かった。

 グレイオスが潜伏している土地は、コールタールのような色の澱んだ色の大池のほとりで、隠れ家は、半ば崩れかけて廃墟となっている石造りの塔だった。

 道程も小一時間ほどで着けるほどに近い。その間に知能のない不死に何度か襲撃されたけれど、僕一人で対処できないような大きな危険はなかった。

 グレイオスが隠れ家にしている塔に入ること自体は初めてだ。入り口に見張りや門番になりそうな手下やモンスターの姿はなく、すんなり中に進入することができた。中は暗く、明かりはない。

中に入ると、右手に外壁に沿った登り階段があって、正面はアーチ状の入口こそ無事なものの、石の瓦礫に埋まった空間が見えた。

 正面の空間は、もとは部屋だったのかもしれないけれど、もはや立ち入れる状態ではない。僕は静まり返った塔の中を不審に思いながら、そろそろと階段を登った。荒れ果てた塔の惨状とは反対に、石造りの階段にはほとんど損傷はなかった。

 階段の途中にまたアーチを見つける。中を覗くと円形の空間になっていて、床がすっぽり抜け落ちていた。一階を埋めていた瓦礫がそれだろう。天井は無事で、上階におそらく無事な部屋がありそうだということを窺い知ることができた。

 階段をさらに上がる。上階に近づくにつれて、明かりが漏れ見えてきた。

 前方にアーチが見える。明かりはその中から漏れているようだった。階段はもともとその先があったようだけれど、塔自体そこから上がすでに無くなっていて、星のない夜空が頭上に見えた。

 アーチから中を覗く。

 やはり中は円形の空間だ。床も天井もあり、この塔の中で唯一無事な部屋だと分かった。木製だろう家具はことごとく朽ちて潰れ、いくつかの真新しい木箱が壁際に積まれていた。

 そのほかには鍋が掛けられた焚火が一つ。

 積まれている木箱とは別に、木箱の一つが部屋の中に置かれている。その上にグレイオスが座っていて、何をしているかまでは窺い知ることはできないまでも、ひどく真剣な表情をしていた。どうも悪巧みを進めている雰囲気ではない。

 何かあったのだろうか。僕は危険がないと判断し、堂々と部屋の中に入ることにした。グレイオスは僕を一瞥もせずに声を上げた。

「来たか」

 グレイオスは一人だった。部屋の中にはシュリーヴェの姿はない、そして、グレイオスの反応が薄い理由にも、すぐに気が付いた。

 グレイオスの肩口の鱗は剥がれていて、巨大な傷が覗いていた。おそらくは肩だけでなく、腹か背中に掛けて大きな傷を負っているのだろう。武器による傷でなく、巨大な鉤爪で引き裂かれた傷だ。傷口は炎で焼かれていて、焼け爛れて変色していた。

「レダジオスグルムに制裁されたか」

 命令を一年以上も果たせていないのだ。レダジオスグルムの堪忍袋の緒が切れても無理はない。グレイオスも素直に頷いた。

「その通りだとも。不幸中の幸いは、その場にシュリーヴェが居合わせなかったことだ」

「シュリーヴェはどこだ?」

 彼女がグレイオスの元を離れるという状況は想像していなかった。とても奇妙なことに思える。

「貴様に教える理由はない」

 グレイオスはシュリーヴェの居場所を教えてくれなかった。実際、そんな気安い馴れ合いをする人物でもない。考えてみれば当然だった。

「愚問だろうけれど、一応聞いておこう。治癒はいるか?」

 答えは分かり切っていたけれど、聞かずにはいられなかった。傷口はそれほどまでに痛々しく、見ているこっちまで引き攣れたむず痒さを覚えそうなほどだった。

「いらぬ。そも、この傷はレダジオスグルムによって不治の戒めを負っている。貴様を殺さねば、癒えぬのだ」

 そう言って、グレイオスは僕をようやく見た。暗く憎悪の炎が燃え盛るような赤い双眸と、覚悟を決めた者の表情で、グレイオスは僕を見据えて、よろけるように、緩慢に立ち上がった。

「ムーンディープで貴様を殺せなかった時点で、こうなることは分かっていた。放っておけば、私は近く死ぬだろう。だが、私は生を諦めはせぬ。聖騎士レイダーク、私が生き延びるために、貴様が死ぬか、私が死ぬかを掛け、勝負を申し込む」

 負けるつもりがある者の目ではない。

 僕がこの戦いを拒否することは、グレイオスの誇りを踏みにじることだと分かるから、答えは一つしかなかった。

「確かに受けて立とう」

 無論のこと、僕も負けてやるつもりはさらさらない。お情けで自分の命を差し出せるほど、僕がこれまでに知り合ってきたひとたちの想いや、僕が倒してきたものの命が安いとは思っていない。

 何より、僕の誇りの問題として、考えるまでもなくそんな死に方はお断りだ。

 グレイオスにもそれは分かっているだろう。僕たちはそれ以上言葉を交わすことなく、階段を降り、塔の外に出た。

 僕たちは塔から少しだけ離れた荒野で対峙した。辺りには他に生物の気配はなく、荒廃した赤茶けた地面を撫でる風が、褐色に濁った砂塵を巻き上げていく。

 空は相変わらず塗りたくったような暗黒で、静けさが僕たちを包んでいた。

 剣を抜き、盾を構える。僕は細い息を吐きながら、構えもしないグレイオスを見据えた。

 僕たちの間は約五メートル。

 グレイオスの右肩から腹に掛けて、痛々しく抉れた真新しい傷が刻まれている。動かすことができないらしい右腕が、力なくだらりとぶら下がっている。

 初めての対決が、このような形になることは、正直僕も残念に思う。それでも、彼は戦って死ぬか、生き延びて野望を成就することを望んでいる。それならば、僕は全力で応えるまでだ。

 グレイオスが踏み出した。速い。一跨ぎで五メートルの距離を一足飛びに詰めてくる。

 僕は聖者の盾でグレイオスの左手の鉤爪を防いだ。盾の上から引っ掻かれただけだというのに、痺れるような衝撃が腕に伝わってくる。想像以上に、重く、鋭い。

 盾を壊さんとするように、二度、三度とグレイオスの鉤爪が閃く。立て続けに襲ってくる、凄まじい衝撃に、何とか盾を肩で支えるように耐える。四撃目、五撃目、グレイオスは僕の前を右に左にステップを振りながら、けれど決して上半身の体制を崩すことなく、休むことなく攻撃を繰り出してきた。

 グレイオスを正面で捉え続けるために、僕も前後左右に移動しながら攻撃を盾で防ぎ続けた。

 グレイオスの爪が割れ、破片が飛んで来る。

 それでもなおグレイオスは止まらない。

 もしグレイオスが万全の状態であったなら、僕一人ではとても敵わなかったかもしれない。半死半生とは思えないほど、グレイオスの攻撃には淀みがなかった。

 それでも、グレイオスの動きには、徐々に乱れが見えはじめていた。深く刻まれた傷の痛みが、急速に体力を奪っていくのだ。

 僕は幾度となく盾でグレイオスの爪を防いだのち、渾身の力を込めて、彼の一撃を盾で跳ね飛ばした。

 そこから反撃に繋げようとして、僕は剣を止めた。体を捻り、グレイオスの正面からずれる。

 あわやという差で僕の脇を掠めた火球が、僕のはるか背後で爆ぜた。

 続けて、光弾が奔る。グレイオスが下がりながら放った光弾だ。一度に一二発もの光弾が飛んで来る間を縫って、僕はグレイオスに肉薄した。

 聖神鋼の剣を、右上から振り抜く。

 魔法を放ったばかりのグレイオスはそれに反応できなかった。刃はグレイオスの左肩を捉え、強かに斬り裂いた。

 両腕の自由を失ったグレイオスが吠える。

 同時に、猛烈な炎がその口から迸った。

 グレイオスの奥の手なのかもしれない。けれど、僕の手にある聖者の盾とは、それはあまりにも相性が悪いものだった。

 聖者の盾の力で炎のブレスは僕を傷つけることはなく、僕はグレイオスの開いた顎に剣を突き刺した。

 グレイオスの炎のブレスが掻き消える。

 剣はグレイオスの頭を貫いた。

 引き抜き、距離をとる。

 口元から大量の血を吐きながら、グレイオスは僕を睨みつけた。万策尽きながらも、なお、生を掴み取るための手段を探しているようだった。

 けれど、もう、そんなものはない。

 僕は一度だけ声を掛けた。

「さらばだ、グレイオス」

 そして、その首を、刎ねた。

 グレイオスの首が天を睨んで転がり、体がぐらりと崩れて倒れた。

 グレイオスは死んだ。

 いったい何を目指したのか、何も語ることなく。シュリーヴェの行方も分からない。

 これで何が終わったのだろうか。

 それとも何かが始まるのだろうか。

 僕には何も分からなかった。


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