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聖騎士レイダークの手記  作者: 奥雪 一寸
悪意の迷宮
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第一章 脅威(3)

 それから、インプたちと一緒に僕がメレールの屋敷に移ったのは五日後のことだった。インプたちから特に文句らしい文句は出なかった。といよりも、たぶん、異論を挟んで僕の機嫌を損ねたら、見捨てられるか殺されるかのどちらかで、いずれにしても、ろくなことにならない、と考えたのだろう。彼等に他人を信用するという価値観はないから、その考えを責めることはできない。

 僕の自室はメレールの自室の隣の部屋が用意されていた。屋敷は三階建ての煉瓦造りで、僕やメレールの部屋は三階だ。

 同格の協力者か腹心レベルの扱いを示すとともに、僕を監視する意味合いもあるのかもしれない。面倒くさいこの上なかった。おまけに、メレールの部屋で焚いている香の匂いが流れてきてすこぶる臭い。あるいは僕の鼻から屋敷の匂いを隠すためにわざとやっているのかもしれない。

 どちらにせよ、マリナレシアの意図も分からないし、何かの罠の可能性もあるから、いきなり下手に家探しをするのは得策とは思えず、しばらくは僕もおとなしく屋敷内で暮らしていた。

 五日経ち、一〇日経ち、暮らしは不自由なく、何も起こらなかった。僕も目立って不審がられるような行動はしなかったし、メレール側の接触もなかった。もともと屋敷の住人だったメレールの配下たちから、僕と一緒に来たインプたちが、ちょっかいを出されているところを見かけることもなかった。インプたち自身も自由にできていると言っていた。

 メレール側から最初の接触があったのは、一〇日目の夜中だった。自室で魔術書(本来はフェリアのために買ったものだ。ムーンディープで別れる時に、渡しそびれてしまった)を読んでいると、部屋のドアがノックされた。

 僕は、部屋の南東隅にある机に向かっていて、部屋にはそのほかに、部屋の南西隅にベッドが、僕の背後あたりの壁に収納チェストと棚、ベッドのそばにクローゼットがあった。床は淡い紫色の絨毯で、花の模様が入っていた。扉は部屋の北側、窓は部屋の南の壁の真ん中にあった。窓の外はバルコニーだ。

 僕は腰を上げて、ドアを開けに行き、ノックした人物を見た。

 蝙蝠の翼を生やした、まだ若い女性が窓から部屋の前に立っていた。

 髪は長く、強い癖毛で、色は深紅。瞳はガーネットの原石ように薄い赤紫色。肌は青ざめたように白く、髪の毛から羊のような巻き角が覗いていた。ひどく上半身の露出の多い、黒ずんだイブニングドレスを着ている。スカートの裾は長く、床につくほどだった。見覚えはなかった。

 メレール自身がサキュバスである為、メレールよりも力が劣っているサキュバスやラナンシーなどが、彼女の手下として何人もいる。その手の誰かかもしれない。

「誰?」

 僕は部屋には入れなかった。何者か分からないので、簡単に部屋に入れる訳にいかなかった。

「トワイライト・スターティアと申します。スターティアとお呼びください」

 女性は丁寧にお辞儀して、首を傾げた。

「少しお邪魔してもよろしいですか?」

 予想外の反応に僕はしばらく返事を忘れていた。サキュバスの屋敷でこんな礼儀正しい挨拶を見るとは思っていなかったからだ。

 僕は何となく雰囲気に圧されて、

「どうぞ」

 と、素直に部屋に通してしまった。自分でもこんなに不用心に部屋に入れてしまったことが信じられない。

 スターティアと名乗った女性は僕の部屋のベッドに近づき、

「失礼しますね」

 そう告げて躊躇することなく腰掛けた。僕は部屋のドアを閉めて、机の前の椅子をベッドのほうに向けて座ろうとした。

「まあ、そのように遠慮なさらずに、隣へいらしてください。お話しがしにくいですから」

 くすくすと笑われて、逆に僕は冷静になれた。

「そこまで広い部屋ではないよ。話だけならベッドに並ぶ必要はない。君はサキュバスとはまた違った雰囲気を感じるけれど、それでも、そのような物言いをされる相手に気を許すほど、僕も単純ではないよ」

「それはお見それしました。そうですよね」

 スターティアはもう一度静かに笑った。

「あなたを誘惑してこいと申し付かりましたが、こういう言い方は大変失礼とは思いますが、正直、コボルドを眼中に入れることなどないですから、コボルド相手に人間と同じ手管が通用するのかとわたくしも疑問に思っておりました。色欲にまみれた猿と同じでは、危険な野外では生き残っていけませんもの。簡単に誘惑に乗ってくるような、そんな生態はしていないだろうと、予想はしておりました」

「はあ。まあ、いきなりすぎるよね。見ず知らずのお姉さんにアソビマショウと言われて、ハイ、ヨロシクオネガイシマスと答えるように見えていたというのなら心外だな」

 苦笑しか出てこない。どんな緩い頭をしていると思われているのか。

「そうですよね。しかし、困りました。こちらとしても、このまま駄目でした、と引き下がる訳にもいかないのです」

 かといって、と言いたげに。

 スターティアの目が壁の方に向けられる。ああ、そういうことか。

「よし、じゃあ。君に恥をかかせたお詫びと言っては何だけれど、少し、夜風に当たりに行こうか。そういう気分になるかもしれないしね」

 僕は口ではそう言いながら、目だけで、外で話そう、と合図した。スターティアはこくりと頷き、

「いいですね。ご一緒させていただきます」

 目は、助かります、と言っていた。

 僕は用心のために荷物をすべて持って部屋を出た。当然剣、鎧、盾も身に着けた。

 僕たちは連れだって屋敷の外に出た。悪魔や人類の背丈で言えば、スターティアもおそらく小柄と言っていいのだろうけれど、僕からすると十分すぎるほど背が高くて、しなだれかかられても歩けるような身長差ではないことに、僕は内心感謝していた。屋敷内で怪しまれないようにするのに、並んで歩いているだけでいいなら、僕にでもできる。

 外に出て、屋敷から十分に離れると、スターティアは気の毒になるくらい大きなため息をついた。

「ありがとうございます。レイダーク様のおかげであの屋敷を出ることができました」

「どういうこと?」

 事情を聞いておいたほうが良さそうだ。悪魔がこんなことで他人に礼を言うというのはよっぽどのことだ。

「あの屋敷自体が実は一体の悪魔なのです。その支配力は、あらゆる悪に影響します。わたくしはあの屋敷に支配されている状態だったのです。同時にレイダーク様のお言葉が屋敷の支配力を超えることが証明されました。本来であればこのままお仕えしたいところなのですが、わたくしにもそうできない事情がございます。レイダーク様が聖騎士であられることも存じております。そのような無理は申しません」

 スターティアは残念そうに笑った。

「そうだね。悪と契約するのは問題があるかな。でも、そうなると君のように自分の意思とは無関係に屋敷に支配されている悪魔たちは他にもいる訳だ。少し気の毒だな」

 僕も彼女をよく知らないから、相手が悪魔だけに、純粋に同情することはできなかった。それに、メレールの狙いが知りたかった。

「それで、メレールは君に僕を篭絡させて、何をしようとしているのか分かる?」

「いえ。わたくしは、篭絡するように、とまでしか聞いておりません。その時点でまず不可能な無理難題だと感じましたので、わたくしも、その先まで確かめる気にもなりませんでした」

 そこまでメレールの事情に立ち入りたくはないということか。ブラックブラッドでは、物事の裏の事情まで首を突っ込むということが、ありていに言って面倒くさいことになるだけということを意味しているのは、何となく僕にも想像がついた。スターティアの心情はもっともだと感じた。

「まあ、あの婆さんのことだものなあ。絶対にいい方向の狙いではないよなあ」

 僕も顔をしかめた。聞いておいてくれればありがたかったのは本音だったけれど、どんな事情があれ、やり方が汚すぎるというのも、僕の偽らざる心情だった。

「分かるよ。その気持ち」

「ありがとうございます。わたくしも、クズになり切れればもう少しこの地でも生きやすいのですが、一応これでも竜の亜種なので、そこまで誇りを忘れることができないのです」

 そう言って、スターライトは少しだけスカートを両手で持って、裾を少しだけ持ち上げた。スカートから覗く両足は、爬虫類らしい鱗に覆われていて、スカートの中にしまわれている細い蜥蜴の尾も見えた。

「ヴイーヴルだったのか」

 ヴイーヴルは竜の亜種とも悪魔とも言われていて、上半身は人間の女性、下半身は蛇とも竜とも言われているモンスターだ。実際には亜竜で間違いない。女性しかいない種族で、本来は額にガーネットを持つと言われている。額のガーネットを手に入れた者は巨万の富を得るとも、ヴイーヴルの力を得るとも言われているけれど、実際の所、はっきりしたことは僕も知らない。

 スターティアにはガーネットがなかった。取られたのだろう。なんとなく彼女のガーネットの持ち主には想像がついた。

「わたくしどものことをご存じなのですか。では、気になりますよね。はい、わたくしのガーネットはメレールに奪われました。わたくしどもは額のガーネットを持つ者に服従しなければなりません。メレールに服従するのは屈辱です。しかし、わたくしのように、あの屋敷に支配された者は、本来の力をあの屋敷の中で発揮することが叶いません。自分では取り返すことができないのです」

 スターティアは頷いた。


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