第十六章 それでも君が心配だから(6)
とすれば、どこかにテレパシーの主もいるに違いない。僕はそう確信してもう一度空洞内を見回した。
その視界を、素早くし何かの影が横切る。影が向かった先を見ると、地面に、一匹の蜘蛛が立っていた。体のほとんどが黒く、紫、橙、黄色の複雑な模様。間違いなく、レインカースの大空洞で会ったあの蜘蛛だ。
《来たね。ぼやっとしてないで早いとこ手を貸しておくれだよ。おばちゃんも若くないからさ、跳ね回るのもしんどいんだよ。関節痛くて泣きそうだから頼むよ》
テレパシーが飛んできて、我に返る。剣を抜いて、僕は蜘蛛に加勢に向かった。
「蜘蛛は味方だ。デブリスは全部敵だとみて良い」
アルフレッドとムイムにも声を掛けると、アルフレッドも僕に続いた。ムイムは一旦姿を消す。およらく岩の鎧を纏うつもりなのだろう。
僕たちは襲ってくるデブリスを蹴散らしながら進み、蜘蛛の元へと向かった。とめどなく襲ってくるデブリスの群れに、自分が何を斬っているのかいちいち確認もせず、とにかく襲ってくるものを切り伏せて進んだ。デブリスの数が多すぎて、デブリスたちも逆に行動が制限されていて、まとめて斬って捨てるのは難しくはなかったけれど、少しでも隙間ができれば、即座に次がなだれ込んできて、なかなか蜘蛛との距離は縮まらなかった。
蜘蛛自身もぼんやり突っ立って僕たちを待っている訳にもいかないのは明らかで、彼女は空洞内を跳ねまわり、糸を吐いて天井や壁にぶら下がり、へばりつきと縦横無尽に動き回ってはデブリスの攻撃を避けるものだからなおさらだ。
奇妙なことに彼女は蜘蛛の網のような魔法を出現させて敵を拘束したり、敵を麻痺させる魔法陣を浮かび上がらせたり、あるいは、敵をまとめて床や壁に縫い付け進退を窮まらせる糸の塊を吐くなど、敵を拘束させる術ばかりを使い、遠距離から敵を倒せるような魔法は一切使わなかった。
《そりゃそうさ。おばちゃん、噛みつく以外の攻撃方法なんてないからね》
なんということか。それでは大量の敵の相手をさせ続けるのは危険すぎる。僕は一体一体を相手にしている場合でないと判断した。とはいえ、今、僕たちの中にまとめてデブリスを叩き潰せるほどの広範囲な攻撃を行う術がない。フェリアやシエルを戦わせる訳にもいかず、僕は何か手段がないかを探した。
《ないもん探すより、あるもんで工夫したほうが得てして早いもんだよ》
頭上に張り巡らされた蜘蛛の巣に張り付いた蜘蛛からテレパシーがまた飛んできた。
それと同時に、僕とアルフレッドの前のデブリスを弾き飛ばしながら、細身で黒々とした蜘蛛が一匹ずつやって来た。
《その子たちに掴まりな。ひとまず我が家にご招待ってね》
そう言われて、僕は剣を仕舞い、素直に蜘蛛の背中にしがみついた。
「アルフレッドも、蜘蛛に掴まって」
僕が声を掛けると、アルフレッドも僕に倣って目の前の蜘蛛にしがみつく。すると、僕たちを乗せた蜘蛛たちは、軽々とデブリスの頭上と飛び越えて、壁に張り付くと蜘蛛の巣まで一気に跳ねるように駆け上がった。
蜘蛛の巣にはいくつか隙間があって、そこから蜘蛛たちは巣の上に僕たちを連れて行ってくれた。
「ありがとう」
蜘蛛たちが止まったので、僕とアルフレッドは蜘蛛の背から降りた。蜘蛛の巣は思ったほど弾力はなくて、地面のように固い強靭な足場を感じさせた。粘性はない。
デブリスは転移して来ない。この場所では狭間の世界を経由した転移ができないのかもしれない。
《休んでる暇はないよ》
またテレパシーが飛んで来る。かなり厳しいひとだ。
《いいかいよくお聞き。その巣はちょいと特別製でね、見た目に反して重量があるんだ。あちこち斬ったら落とせる場所があるから、片っ端から落としておくれだよ。斬ればいいポイントはその子たちが案内するよ》
「分かった」
なるほど、まとめてデブリスを押しつぶせということか。僕は蜘蛛たちが示す場所に入り込みながら、彼等が嚙みついた場所を斬って回った。立たないほうがいい場所に何度か立ってしまったけれど、そういった時は蜘蛛たちが僕をぐいぐいと押そうとするのですぐに気が付くことができた。
僕が巣を落としてまとめてデブリスを押しつぶし始めると、それに気づいたグレイオスは飛行できる悪魔的な異形を召喚し始めた。しばらくはアルフレッドが相手をしてくれていたけれど、少し経った頃、僕たちの所にムイムが合流してきて、前の時のように見えない何かによって破壊してくれた。
落とした巣に押しつぶされて、ある程度デブリスが減ってくると、巣の下の蜘蛛が一気に反撃に出た。グレイオスの召喚の速度よりも巣に押しつぶされて砕け散るデブリスの方が圧倒的に数が多く、デブリスは順調に数を減らしている。蜘蛛の巣も穴だらけになってきていて、もう十分だとばかりに細身の蜘蛛たちも立ち止まった。
蜘蛛の巣の上から、下層の様子をうかがう。自称おばちゃんを名乗っている蜘蛛が戦っているのが見下ろせた。
数が適度に減ってからのその強さは圧倒的だった。縦横無尽に跳ねまわり、グレイオスの近くのデブリスの群れを数十体単位で拘束しては、その中に飛び込んでいく。噛みつく以外に攻撃方法はないとはよく言ったもので、まるで土均しの器具か何かのように一直線に進路上のデブリスを根こそぎかみ砕いていく。その速さたるや、半獣半人が追い付けないスピードで、掘削ドリルのようなガリガリという音が鳴り響いていた。そしてある程度数がまばらになると跳ねるか糸でぶら下がるかして瞬時に反転すると、まだ残っているデブリスを刈り取っていく。
《危ないからね、降りて来るんじゃないよ》
言われなくてもそこに飛び込む勇気は僕にもない。デブリスの拘束が解けるまでに二、三往復はしていて、グレイオスが一度に五、六体のデブリスを召喚しているのも気に介さず、その間にそれこそ五〇体近くのデブリスが砕け散っているのではないかというペースで『おばちゃん』はデブリスを掃除し続けた。
「く……流石は神代の英雄……止めきれんか」
グレイオスの声が響いた。杖を掲げるのをやめ、召喚を中止する。
「シュリーヴェ、奴を頼む。足止めだけで構わん」
「分かったわ。正直言って勝つのはちょっと無理だと思う。ちゃんと逃げてね」
少女が答えている。彼女のことを呼んだ名前に、僕は思わず、ほう、と感嘆の声を上げた。
「何か驚くようなことが?」
アルフレッドに聞かれて、僕は頷いた。
「グレイオスが今口にした名前だよ。竜語だけど、竜の眷属は滅多に口にしない言葉なんだ。シュリーヴェ、愛情、もしくは、情愛を示す言葉だ。雄から雌に、雌から雄に、性別を超えて贈る場合、たいていの場合、後者の意味が強い。ただ、竜の眷属は、そういった甘えたような言葉を吐くのは軟弱とみなされることが多いから、特に雄から雌に対して贈ることはほとんどない言葉だ」
つまり、グレイオスも悪い気はしていないということか。思い切った名前を付けたなと感じた。
「グレイオス、お前にしては良い名前を付けたな」
蜘蛛の巣の上から声を掛けてやる。すると、忌々し気な答えが返って来た。
「黙れ小僧、私の趣味ではない。さんざん拒否されたあげく、逆に意味指定で単語を要求される身になってもらいたいものだ。一体何なのだこの娘は。貴様の影響ではないのか」
「それはあるかもしれないけれど、僕の知ったことではないな。ただ、その子に対し責任を取ったことだけは礼を言っておく」
僕は逆に答えた。
すると、シュリーヴェが僕を見上げて憎々しげに言った。
「うるさい。わたしを変えてくれたのは蜥蜴さんだけよ。お前じゃない、間違えないで」
僕を見上げて睨む彼女だったけれど、憎悪とは別の感情で、表情がゆがみ始めているのに僕は気づいた。無理もないかもしれない。
僕は、ため息をついて、アルフレッドに言った。
「君の着替えを一枚くれないかな。あと、できれば腰や胸に巻けるような布があればそれも。いい加減、ミミリだった女の子を裸のまま置いておくのは、僕も落ち着かない。とはいえ、僕の服は小さすぎるし、女の子に、お尻に尻尾用の穴が開いているズボンを穿かせるわけにもいかない」
「確かに」
アルフレッドは荷物の中から、彼女が着られそうな衣服一式を僕にくれた。僕はそれをシュリーヴェに投げ落とし、告げた。
「まずは服を着なよ。男物だから少し大きいかも知れないけれど、裸のままでいるものじゃない」
「……ありがたくそうさせてもらうわ。本当なら敵の情けは受けないって言いたいとこだけど、正直、自分の羞恥心を誤魔化すのも限界寸前だったから、助かるわ」
シュリーヴェは素直に受け取ってくれた。