第十五章 終わりの日々(3)
カーニムの城での生活は快適だった。
ムーンシャードたちが恐れていたような、魔力にムーンシャードが影響を受けるようなことはなく、それはつまりカーニムが錬金術と魔術の秘密を適切に管理できているということだった。
カーニムがいない間、村のひとたちを守るのは僕とミミリ、自警団の面々の役割だった。先の襲撃の時に全く対応できなかった自警団の団員たちは、そのことをいたく恥じていて、
「いつか君が言っていたことは本当だった。我々は村を守れなかった」
と、一層の訓練に励むようになっていた。僕は彼らの熱意に応え、可能な限り彼等を鍛え上げた。
同時に、ミミリと彼等にはデブリスへの対処方法とデブリス出現の察知の仕方を叩き込んだ。ミミリは初日でコツをつかみ、実際、デブリスが出現した際にも大いに戦力になってくれた。遅れて自警団の団員もなんとか戦力として数えられるようになってきたころ、村人たちの何割かも自衛のためにと加わるようになっていった。
デブリスの襲撃はカーニムの城であっても防げなかった。最初のころは、僕とミミリでデブリスの出現に対応していたため、負傷者が絶えなかったけれど、次第にその数は減っていった。死人が出なかったのは本当に運が良かった。
自警団に村人の安全を任せられるようになったころ、僕とミミリは、現在の状況を確認するために、ルナの村を訪れた。
「建物は見たところ無事だね」
頭上を飛ぶミミリに声を掛けて、僕は村の中に足を踏み入れた。
「デブリスの姿も見えないわ」
ミミリが周囲を警戒しながら答える。僕たちはひとまず襲撃があった村の中央に向かった。
結局デブリスの襲撃はなかった。そして、村の中心にやってきた僕たちは、粉々に砕かれた大量のデブリスを発見した。
「これは、どういうことだ」
僕がつぶやくと。
「うるさかったもんで駆除したんだが、駄目だったか?」
足元から声がした。土が盛り上がり、巨大な頭が地中から現れる。それが土竜だと、僕が気付くまでに、しばらくかかった。
「君は?」
「あん? 俺? 俺は土竜だよ」
土竜は気だるげに答えた。それから土竜は地上に這い出して来た。大きい。その体はミミリよりも頭一つ分ほどの大きさがあった。
「ただの土竜がデブリスをこんなに粉々にできるとは思えない」
ただの土竜ではないのだろう。僕が訝しんでいると、土竜は面倒さそうに言った。
「じゃあ、ただの土竜じゃないんだろ。魔法が使える土竜がほかにどのくらいいるのかなんざ俺にも分からんけどな。この程度の雑魚晶魔いくら倒したところで自慢にもなりゃしない」
「晶魔? デブリスのこと?」
初めて聞く呼び方に、僕は思わず土竜に尋ねた。ひょっとしたら、正体を知っているのではないか。果たしてその通りの様子だった。
「あん? ああ、あんたらはそう呼んでるんだっけな。こいつはあんたらの言う、次元宇宙とかいう奴の外のクリーチャーだよ」
「君はどこでそれを知ったんだ?」
僕の言葉に、土竜は心底面倒臭いと言いたげに、
「察しの悪い奴だな。言い方で気づけよ」
と、不満そうな言葉を吐いた。
「まさか」
あんたらの言う次元宇宙、という言い方は。
「君も外世から来た、と?」
「ま、そういうこった。おっと、どうやって入った、とかは無しだぜ。それなりにやばい話だからな。おいそれとは話せんよ」
土竜はそう言って周囲の様子を見回した。
「陽月伺いは失敗したか。まあ、そうだろうな。奴等からすりゃあ、精霊に揃われたら面倒な事態か。いい加減のんびりもしとられんな」
言うと。
土竜は光を放ち、一人の男性の姿に変わった。背が高く、瘦身ではあるけれど、魔法使いというよりもむしろ戦士か格闘家かといった風体の鍛えられた体躯の男だった。銀の髪と深い焦げ茶色の瞳の男だった。
「陽月司のお嬢ちゃん、半年後の再儀式に向けて聖陣の準備を進めてるようだが、無駄だからやめとけ。晶魔はその程度じゃ止まらんよ」
青色の胴着に、薄い黄土色のコートを着た男は、ミミリを横目で見た。腕には革の手甲を付け、革のブーツを履いている。
「狭間の世界って知ってるか? 現実と非現実、実体と非実体、ゆりかごの内と外、過去と未来、なんでもいい。とにかく事象の混ざり合うカオス空間だ。狭間の空間で起こる事象はすべての空間の法則を超越する。そのせいで、狭間の世界を経由されるとあらゆる結界が通用しない。魔術的であれ、霊的であれ、すべて無駄だ。晶魔はそれを利用してどんな結界の中にも入り込んでくる」
「じゃあ、どうすれば」
ミミリは顔をゆがめた。防ぐ手立てがないのであれば、何度儀式を行っても失敗に終わる。彼女もそれを分かっているのだ。
「慌てなさんな、お嬢さん。晶魔は人造クリーチャーだ。入り込むのを防ぐことはできなくても、儀式の場自体を、奴らが活動できない空間にしちまえば、邪魔はされない。どっちにしてもあんたらのお友達が取りにいってるベルノーツは役に立つ。無駄にはならん。とにかくこの場は任せとけ。あんたらは村の連中を守ってやんな。ベルノーツが届いたら持って来てくれりゃいい」
男はそう言うと、おっと、と短い声を上げた。
「俺はトリックスターって名前の、ケチな傭兵だ。あんたらの敵の敵だから、まあ、味方だと思ってくれ」
「どういうこと? 君が僕たちに協力してくれるのは正直ありがたいけれど、次元宇宙の中に来た目的は何?」
分からないことだらけで混乱する頭を、僕は整理したくて、聞くともなしに聞いた。
「傭兵が動くんだからビジネスさ。じゃなけりゃ、ゆりかごの中に侵入するなんて面倒なうえ危ない橋は渡らんよ。だが、土竜の暮らしも、思ったほど悪くはなかったな。気楽でいい」
トリックスターと名乗った男は僕に不敵な笑みを見せてから、コートの内側から短い金属の筒のようなものを取り出した。彼がそれを一振りすると、彼の背丈ほどもある棒に展開された。
「少し下がってな。名刺代わりに実力のほどを見せてやるよ。その代わり動くなよ。晶魔と一緒に吹っ飛ばされたくなけりゃな」
そう言って。
突然襲ってきた、男の倍もあろうかという巨獣の頭を、出現と同時に棒の先で打った。熊のような体をした獣で、やはり全身に結晶のような物体がびっしり生えていた。熊はのけぞりながら、トリックスターを睨んで唸った。
「グリズムか。いいね、ご機嫌な相手だ」
トリックスターが口笛を吹く。
そして腕を振り上げる熊を気にした素振りもなく、指を鳴らした。熊の頭が爆ぜる。それだけで、巨獣はどうと倒れて動かなくなった。
「だが、遊んでやる気分でもない」
次に、結晶がトリックスター、僕、ミミリを狙って無数に出現した。トリックスターはただ、
「動くなよ」
と言っただけで、もう一度彼が指を鳴らすと結晶はすべてその場で砕け散った。
「ビースタル。雑魚だ」
結晶の獣が五体、出現と同時に砕け散った。
「残念、トラップさ。そんな玩具は役に立たないぜ。もっと寄越しな」
結局、デブリスとの戦闘で、トリックスターは一歩も動くことはなかった。その必要がないのは一目瞭然だった。彼は短絡的に馬鹿にしたような態度をとっていたけれど、その実裏ではすべて計算尽くの様子を感じた。
デブリスはそれ以上襲ってこなかった。
トリックスターは軽く舌打ちした。
「気づかれたか。相手も馬鹿じゃないな」
「どうしたの?」
僕はミミリと顔を見合わせてから聞いた。何から何まで不思議なひとだ。
「魔力の逆探知さ。寄越してるやつの尻尾を掴みたがったんだが、あと少しってとこで逃げられた」
トリックスターの言葉に、僕は、なるほど、と唸った。
「少しでも分かったことがあれば教えてほしい」
「まあ、情報は共有しておいた方がいいか。いいだろう。貸しにしといてやる。名前と居場所だけは掴んだ。名前は、グレイオス。居場所は、ムーンメイズの森と呼ばれている場所だな」
トリックスターが言う。それを聞いて、ミミリが苦々しい顔をした。
「厄介な場所ね。今すぐにはこちらからは手が出せないわ。森の入口が、閉ざされているから」
「らしいな」
トリックスターも、頷いた。