第十四章 忘却の村(7)
初日が、祠が見つからないという結果に終わったのは、実のところまだたいした問題ではないと言えたのかもしれない。ミミリの探索は壮絶なものになった。
探索二日目。
それらしい洞窟を見つけ、僕を引き連れて入ったミミリは、いくらも歩かないうちに巨大蝙蝠の不意打ちをくらい、跳ね飛ばされて気絶してしまった。なんとか僕が蝙蝠を追い払い、四苦八苦の既にミミリを背中に乗せて連れ帰った。当然、探索は祠にもたどり着けずに失敗だ。
この日の教訓として、移動はもっと慎重にしないと僕の警告が間に合わないと言っておいた。
探索三日目。
前日に見つけた洞窟に、僕たちは再度踏み入った。果たして、洞窟の奥にはやはりムーンストーンの祠があった。それは祠というよりも、石碑のような見た目をしていた。
ようやくミミリの挑戦が始まった訳だ。
意気揚々とミミリが試練の名乗りを上げると、僕だけその場に残され、ミミリだけが迷宮に転送された。それに合わせて祠の奥の石壁が開いたので僕も奥に進んだ。
石壁の奥は通路になっていた。丁度ミミリの頭上から見下ろす形で、僕は迷宮の中を見ることができるようだ。迷宮の天井は低く、ミミリの身長でも、天井すれすれを飛んだところで床に足を引きずりかねないほどだった。
僕はミミリの姿を探した。すでにミミリは小さな小悪魔の影に組み伏せられてしまっていた。
複数の小悪魔の影に四肢を床に押さえつけられ、身動きも取れずに仰向けに転がったミミリが恐怖の表情を浮かべていて。
その顔を、小悪魔の影に踏み抜かれる直前に、ミミリの姿は消えた。
慌てて僕が祠の間に戻ると、ミミリは恐怖のあまりうずくまって泣いていた。
「ミミリ、大丈夫?」
僕が走り寄って声を掛けると、
「わた、わたし、死んでた。みしって、踏みつけられた感覚が残ってる。嫌だ、こんな、こんなの、嫌だ。死にたくない」
ミミリは怯え切って泣きじゃくっていた。それは当たり前のことで、ミミリには殺す覚悟も、殺される覚悟もできている訳がないのだから。
「わたし、分かってなかった。全然分かってなかった。身を守れると思ってた。本気で殺そうとしてくる相手の目が、こんなに怖いなんて、こんなに恐ろしいなんて、全然、知らなかった。体が動かない。頭が真っ白になる。わたし、わたし。何もできなかった。怖い。助けて」
「ミミリ」
僕は彼女の前に立った。
「それは誰かを助けたいと思ったら、真っ先に乗り越えなくてはいけないものだ。殺されたくなければ殺す覚悟をしなくてはいけない。それができないなら、君はルナの村でこんなことは忘れて暮らすべきだ。僕を助けるのはあきらめてくれ。僕も君に覚悟ができないまま助けてもらうわけにはいかない。決めるのは君だ。どうする?」
「わたし……は」
ミミリは押し黙った。必死に自分の中の恐怖と戦って震えている。ミミリ自身が決心を投げ出すと言わない限り、僕は彼女を甘やかしてはいけないのだろうと思った。
「わたしは……怖いの。どうしたら体が動くの? どうしたらあの目に射すくめられないの?」
「怖いから戦うんだ。ああいう場所に一度入ったら、死にたくなければ必死で戦うしかないんだ。それだけだよ。それ以外考えちゃいけない」
僕が答えると、
「怖いから戦う……覚悟を決める」
ミミリは、洞窟の床面に当てた手で、拳を握った。そして、起き上がった。
「もう一回行ってくる。やってみる」
ボロボロと涙をあふれさせながら、それでもミミリはもう一度立ち上がり、祠に向かった。
そして。
数分後、また祠の前に転がっていた。
その日は、それからさらに三回試練に挑み、けれどそのたびに、ミミリは五分と経たずに祠の前に戻されるだけだった。
四日目。
それでもミミリは祠の前に僕を連れてやってきた。この日は、小悪魔の影に、ミミリはようやくぎこちなく一撃を入れられた。そのあとは滅多打ちにされたけれど、ミミリは少しだけ何かを掴んだようだった。
勿論それだけのことで勝てるようになるほど、世界は甘くない。ミミリは毎日、迷宮の床に、壁に叩きつけられ、押さえつけられ続けた。腹を殴られ。脇腹を蹴りつけられ、横面を蹴り飛ばされ、祠の前に放り出され続けた。祠の前に投げ出されたミミリはいつも傷一つなかったけれど、暴力にさらされているときは、全身傷だらけで、血が流れ、時には歯が千切れ飛んだ。
ミミリが戦えるようにならない限り、どんな警告も役には立たない。僕はそんなミミリを見守ることしかできなかった。
それでも確実に、ミミリは、決して褒められた動きではなかったけれど、少しずつ手足を振り回し、抵抗らしい抵抗、攻撃らしい攻撃をするようになっていった。
毎日ものすごく怖くて、ものすごい痛い思いをしているはずなのに、ミミリは、やめる、とだけは絶対に言わなかった。
そして。
一五日目。
ミミリは、小悪魔の群れに、勝った。
顔は腫れあがり、手足は裂傷まみれで。
それでもミミリは僕を見上げて言った。
「蜥蜴さん、誘導、お願い」
「分かった」
おそらく失敗して死ぬか、生き延びて試練の迷宮を潜り抜けるまでは迷宮から出られないだろう。僕は彼女に進むべき方向を指示した。
小悪魔の群れとの戦闘は避けられないものだったけれど、モンスターの影に遭遇しないルートを、僕は選んだ。
「次を右へ」
なるべく短く指示を飛ばす。
「止まって」
時には先に進まず待機を告げた。
「影の野犬の一団が先を徘徊している。離れていくまで動かないで」
勿論、警告の理由も説明することは忘れない。
「その先に罠がある」
時には罠の存在を告げる必要もあった。
「通路の真ん中を避けて。あ」
よろけたミミリが罠に嵌った。急激に天井から吹き付けた風に流され、ミミリが床に押し付けられる。床は崩れ、そのままミミリは奈落に消えていった。ミミリの体力が限界だった。
一六日目。
影の野犬の群れにミミリが襲われた。食いちぎられる直前に祠の前に戻されたミミリは、最初のころ影の小悪魔たちの一方的な暴力に怯えていたのとは別人のように、
「ああ、もう。悔しい!」
と床を叩いていた。
そして、その日からミミリの匂いを覚えた影の野犬たちを振り切ることができなくなった。すでに影の小悪魔たちはほとんど負傷せずに退けるようになっていたミミリにとって、本来なら犬など相手にならないはずだ。それでもミミリはなぜか影の野犬相手に有効な打撃を与えることができずに毎回引きずり倒された。
理由が分かったのは探索を開始して二〇日目のことだった。
「ミミリ。種火の魔法を使ってみて」
影の野犬が走ってくるのを眺めながら僕は言った。ミミリは即座に指先に火を灯して飛ばした。ほのかに灯った明かりを受けて、影の野犬の一団のほとんどはかき消えた。
「一部を除いて幻影だ。残ったのを叩けばいい」
ミミリに告げると、彼女は問題なく野犬の一団を退けた。それで勢いづいたミミリが調子に乗って走り出した。
「走ったら駄目だって」
僕の警告は遅かった。
ミミリは罠を踏み、前後を柵で遮られ、ゆっくりと左右から近づいてくる壁をゆがんだ顔で見ていた。
「ごめん、やっちゃった……先に、祠戻ってて」
ミミリは泣きそうな声で、笑った。
「ほんと、ごめんね」
僕は夢中で走った。すこしでもミミリより先に戻って、本当に怖い思いをしたはずのミミリを、慰めてあげたかった。
こればかりは甘やかすとかそういう問題でない。徐々に迫ってくる死ほど、心をすりつぶすものはないはずだから。
けれど、僕の心配をよそに、戻ってくるなりミミリは深々と頭を下げて僕に謝ってきた。
「全面的にわたしのやらかし。きつい場面みせて本当にごめんね」
ミミリはその慢心による失敗を教訓に、確実に成長していった。ミミリはモンスターに破れながら、罠に嵌りながら、迷宮の歩き方を覚えていった。
そして、ミミリが迷宮を渡り切ったのは、探索を始めて、ちょうど三〇日目のことだった。
その先でミミリが何を知ったのかは、僕がいる場所からは見えなかった。