第十四章 忘却の村(4)
僕とミミリは、すぐにフクロウ男爵の城があるという北の地へ向かった。そこはクレセントヒルと呼ばれている高原の地で、とても起伏の激しい土地だった。
フクロウ男爵の城は高台の上にあって、とても大きく目立っていたから、道に迷うことはなかった。その代わり、村を出てからそれほど時間が経っていないうちに見えはしたけれど、歩けど歩けどなかなか城のそばには辿り着かなかった。
フクロウ男爵の城は、近くで見ると月の光を浴びて青白く輝いて見えた。大きな木製の城門があって、その前に一羽の梟がいた。梟は、城の前をまるで生き物のようにひとりでに掃除をしている箒をじっと見つめていた。
「こんばんは、蜥蜴君。フクロウ男爵の城へようこそ」
梟が僕たちに気づいて挨拶をしてくる。彼が視線を外すと、パタッと箒は倒れた。
「こんばんは。あなたがフクロウ卿でしょうか」
僕が挨拶を返すと、梟は翼で略式の礼をするように答えた。
「いかにも私がフクロウ男爵にございます。立ち話というのも申し訳ない。中へどうぞ」
フクロウ男爵が城門に片翼を向ける。城門が重々しく開くのを、僕は眺めていた。物をつかむ腕はなくとも、フクロウ男爵には魔法の力があった。城の中は華美というほどではないけれど、花瓶に活けられた花や絵画などが飾られていて、質素という訳でもなかった。床にも絨毯が敷かれており、隅々までよく掃除が行き届いている。
場内に人の気配はない。身長二〇センチほどの白っぽい、人形のような見た目をした、生物にもゴーレムにも見える何かがたくさんいて、掃除をしたり、花瓶を運んだりとせっせと働いていた。彼等は皆背中に薄い羽のようなものをもってはいるけれど、羽ばたいたりはせず、飛行、というよりも、浮遊、といった感じに空中を移動していた。
「彼等は?」
どこかで見覚えがあるような、ないような。良く知っているような気がするけれど、思い出せないのがもどかしかった。
「蜥蜴殿、記憶が戻らぬのであれば、それは時の必然というものです。あまり気負いすぎても心身に毒が溜まるだけですよ」
フクロウ男爵は静かに告げ、僕たちを先導して歩いていく。僕たちはホールを抜けて廊下を進むと、応接室に通された。
「どうぞ、おかけになってください」
フクロウ男爵に促されるまま、ミミリはソファーに座った。僕もソファーによじ登り、ミミリの隣に並んだ。白い背に金の装飾が入ったソファーは、薄いベージュの布が張られていて、少し中の綿が柔らかすぎて僕には歩きづらかった。
「エスタ。リシー」
フクロウ男爵がテーブルの脇に立って声を上げると、よく似た姿の人形のようなものが二体、すぐに飛んできた。城内で働いている人形たちと同じものだ。
「お呼びでしょうか」
「お客様にお茶を。それと何か軽い食事を」
フクロウ男爵がそう頼むと、人形たちはミミリを見てから、僕を見て首を傾げた。
「蜥蜴がお茶を飲めるのですか?」
「ああ、もっともな疑問ですね。僕は結構です。代わりに、お水か果汁をいただけますか。見ての通りの蜥蜴なのでコップでは飲めないので、無作法で申し訳ないのですが、浅めのお皿でいただけるとありがたいです」
僕は答えた。それを聞いた人形たちは、蜥蜴である僕に対しても礼儀正しくお辞儀をして、
「畏まりました」
と、部屋を出て行った。
「礼儀ただしいゴーレムですね。それともパペットなのでしょうか」
と、僕がフクロウ男爵に言うと、
「いえいえ、彼女たちはれっきとした生物です。ゴーレムでもパペットでもありませんよ。真面目過ぎて少々融通がきかないきらいはありますが、私はどちらかと言うと自分の研究に没頭してしまうと生活がおろそかになる性分でして、とても頼りになる存在です。ムーンディープの生き物ではないので珍しいかもしれませんが、非常に優秀な者たちです」
フクロウ男爵は魔法生物ではないと否定した。
「それは旦那様が無精なだけです。また術布を広げっぱなしでしたよ。使い終わったらすぐに洗濯を申し付けてくださいと、いつも申しておりますのに」
また人形が一体入って来た。人形たちは皆同じ姿をしていて区別がつかないから、先ほどのどちらかなのか、全く別のひとなのか、僕は分からなかった。
「わたくしは、こちらの城の雑事一切を取り仕切っている、イマと申します。お客様方、本日は時刻も時刻ですし、逗留して行かれるということでよろしいでしょうか。お急ぎの用事などなければ、お部屋を用意させていただきます」
「ああ、そういうことか」
僕はミミリと顔を見合わせた。城内の魔力がミミリに影響を与えるようであれば早めに退散したところだけれど、見たところその心配はなさそうだった。
「じゃあ、ええと。はい、わたしたち、泊って行きます。よろしくお願いします」
僕の代わりに、ミミリがイマに頷いた。
「畏まりました」
イマは僕たちにお辞儀をしてから、フクロウ男爵に声を掛けた。
「旦那様、お話が終わりましたらお呼びください。お客様を案内いたします」
「すまないね。助かるよ」
フクロウ男爵に礼を言われると、イマは部屋から去っていった。その後ろ姿を見送ってから、フクロウ男爵は僕たちの向かいの椅子の上にとまった。
「さて、まず何からお話ししたものかな。まずは、軽く自己紹介を行いましょう。妖精たちからは私はフクロウ男爵と呼ばれているが、実際には、私は男爵でも貴族でもありません。あまり鯱張らずに気楽にしていただければ結構です。ムーンディープはエーテル界と呼ばれる分類の、魔力によって形成されている場所です。魔術における魔力の流れが可視化されるため、魔術の実験に適しているのです。そのために、私はこの地で魔術の研究を行っているだけです。そうですね、私のことは魔法使いとでも思っていただければ結構です」
「その言い方だと、フクロウ男爵なんて名前ではないと言っているようにしか聞こえないのですが」
僕はフクロウ男爵の発言の意図を量りかねていた。何故わざわざそのような言い回しをするのだろう。
「そう聞こえたならば何よりです。今の君に名乗っても、実のところ私が誰なのか分かることはないのでしょうが、今後のことを考えると、今の君に対してでも、隠し事をするのは意味がないどころか害になりかねないのです。そのため、君には私の本来の名を名乗らせていただきましょう」
フクロウ男爵はそう言って、ミミリを次に見た。
「と、その前に。お嬢さん、君にはたぶん分かるだろうから、先にお願いしておきます。ルナの村の者たちに余計な気苦労を掛けるのは心苦しいので、彼等にはあくまで私はフクロウ男爵ということで通していただきたいのです。よろしいでしょうか」
「良く分からないけど、その、そうします。蜥蜴さん、あの、わたしちょっと怖くなってきたんだけど……わたし、誰と会ってるの?」
ミミリは怯えた顔をした。僕に縋ったような視線を向けてきているけれど、事態に追いつけていないのは僕も同じだったので、安心させるようなことを言ってあげることができなかった。
「これは大変失礼しました。怖がらせたい訳ではなかったのですが。これは勿体つけずに名乗ったほうが良さそうですね」
フクロウ男爵はミミリに不憫そうな視線を向けて、また、僕の方に視線を戻した。
「私は、カーニムと、申します」
「はあ……どうも」
有名な名前なのだろうか。ひょっとしたら記憶を失う僕であれば知っていた名前なのかもしれないけれど、蜥蜴である僕にはその名前に何の印象も持たなかった。
「今の君にこう言っても、おそらくは分からないのだろうが、サリアのこと、気に病まないでいただきたい」
その名を聞いた途端。
僕の中に、心臓を抉られたような痛みが走った。
「その、名前には……憶えが、あります」
息が苦しい。その名前は、忘れてはいけない名前だった気がする。僕はサリアという名前を思い浮かべるだけで、とても悲しくて後ろめたい気持ちになった。頭の中に、その名の記憶がよみがえってくるのを感じた。
「サリア……ああ、そうだ。僕は、彼女の最後の願いを、果たしてあげられなかった。それだけは思い出した。僕は忘れてはいけなかった。サリア。シーヌ。僕は、記憶が戻らないままでいい訳がなかった」
僕はその名前を知っている。二人が女性だったことも。でも彼女たちの姿を思い出すことができない。このままではいけない。僕ははっきりとそう自覚した。
フクロウ男爵と呼ばれている、カーニムが静かに僕の様子を見守っていた。