第十四章 忘却の村(2)
僕たちはバムじいの所に寄りながら、ペザの所に行き、それぞれに絞り汁を試飲してもらった。結論から言うとバムじいにもメネイにも好評で、特にバムじいは年のせいか自分で絞るのが苦手だということで、その場で小さな容器を預かり、容器が空になるたびに届けるという話まで纏まった。
バムじいの所に届けるようになって二,三日もすると村のひとたちが容器を持って訪ねてくるようになり、それから一〇日もするとミミリは絞り汁屋として定着してしまった。
「確かに果実の絞り汁は家庭の味で、何処の家でも自前で作っているものだけど、けっこうムラができるのよね。あんなに上手には自分じゃ絞れないわよ」
メネイにはそう言われた。
その頃になると、ペザたちとの関係は、僕たちがペザたちを手伝う関係から、お互いに暇を見つけては手伝い合う関係になっていった。ミミリは毎日大忙しで、あっという間に時間は過ぎて行った。
実際、果実を大量に絞るのは重労働だ。日に日にミミリの筋力も鍛えられていく結果になり、気が付けば以前持ち上がらないと苦労した器に一杯に詰めた絞り汁を、ひょいと抱えて運ぶようにもなっていた。また、体が丈夫になり、筋力もついてくるようになると、ミミリに頼まれて、僕は彼女に護身術代わりの格闘術を教えるようになっていた。
絞り汁の評判がいいおかげでミミリの暮らしは大幅に良くなっている。僕には手伝えることがほとんどないから、村のひとが交代で手伝いに来るようになったのがきっかけだった。それで初めてミミリの家に入ったひとも多いようで、最初は皆、ミミリの家の中の貧しさに愕然としていた。その話があっという間に村に広がり、絞り汁のお礼に、と、村のひとたちが家の修理をしてくれたり、生活用品などをミミリにくれるようになっていった。絞り汁との物々交換の形であり、ミミリはようやく村のひとの助けを借りることを受け入れられたようだった。
その結果、僕はというと、逆に一人でいる暇な時間が増えたことから、ロンザスに誘われて、村の自警団の手伝いをするようになっていた。
本当は、ロンザスからは実際に団員に加わることを提案されたけれど、いつまでいることになるか分からない居候にすぎない僕は、それは断った。代わりに、自警団のムーンシャードたちに稽古をつけてあげることになった。
ルナの村には、四〇人のムーンシャード、僕を入れて三人の迷い人が暮らしている。ペザと僕のほかのもう一人いるらしいけれど、普段は地下に籠っていて、出てくることはまれだという。
ムーンシャードのうちの五人が自警団として活動していて、闇の獣や野原の害獣などの被害から村を守っているとのことだった。
ロンザス以外の四人の団員たちは、僕に指南を受けるのに難色を示した。当たり前の話だ。
僕は蜥蜴だ。ムーンシャードたちのように、槍や剣を持って戦うことはできないし、魔法を使うこともできない。だから、まずはお試しで手合わせをすることにした。魔法のひとかけら、武器のどこか一ヶ所でも僕に触れたら僕の負け、一五分経っても僕に触れることができなかったら僕の指導を受けてもらうことにした。
「四人一斉でもいいよ」
一人目をあしらいながら、僕は他の三人に声を掛けた。彼等の使う武器も魔法も僕には当たらず、僕はすべての武器や魔法の間をするりするりと逃げ続けた。正規の戦士や魔法使いとして訓練を積んだ訳ではない彼等の攻撃はひどく無駄が多く、避けるのはまったく難しくなかった。
結局僕は四人どころかロンザスまで加わった五人を相手にして、時間を延長して三〇分間避け続けた。終わった時に動けたのは僕とロンザスだけだった。
「いい運動になったよ」
僕は至って元気だった。ロンザスにお礼を言うと、
「馬鹿な。強すぎる」
と言われた。あまりこういう言い方はしたくないけれど、実際にはそうではない。
「君たちの基本がなってなさすぎるんだ」
参考までに説明しておくと、団員の構成はこうだ。
団長であり、剣を使うロンザスの他に、槍使いが二人、弓矢を用いている団員が一人、魔法支援をする団員が一人。槍使いのうち片方は女性だった。
まず言えることは、ロンザスはいいとして、槍使いの二人はまったくの訓練不足だ。いつか自分が怪我をしかねないレベルで。
次に言えることは、弓使いの攻撃頻度が低すぎる。射線確保が全くできていないから、攻撃することができていないのだ。これではいる意味がない。
最後に、全体を俯瞰的にみられる立ち位置にいながら、魔法支援の隊員が指示待ちに入っている。これでは他の四人は連携の取りようがない。その結果、個々の技量の低さもあって、全員の動きがてんでバラバラなのだ。
「遠慮なく言わせてもらうと」
僕は五人を見回して言った。
「今、まともな敵が現れたら死ぬよ、君等」
「そこまでの脅威は、考えていない」
ロンザスが今までもなかったと語った。そうなのかもしれない。
「これからもそうだとは限らない。その時になって訓練しておけば良かったと悔やむのは君たちの自由だ。けれど、それで村を危険に晒すのはそうではないよ。君たちが村を守るために自警団を組んだのなら、何事からも村を守るために全力を尽くす努力をすると、村に約束したということだと考えなければいけない。それができないのであれば解散すべきだ」
だから僕はごまかし抜きで現実を話した。彼等の力が足りなければ、万が一の時にルナの村が滅ぶのだ。それを真面目に考えてほしかった。
「民兵ですらない青年団だもの。できることはたかが知れているのは分かるよ。本職が忙しいひともいるだろう。鍛錬や訓練の時間は限られるはずだ。だけどそれは鍛錬も訓練もしなくていいという話ではないよ。今の君たちはただ素人が武器を持っただけで危険極まりない。怪我をする前に武器の扱い方くらいは覚えよう」
武器も持てない蜥蜴にこんなことは言われたくはないだろう。それは分かる。けれどこれはとても大事なことなのだと分かってほしかった。
「そもそも、ルナの村では武器の扱い方を教えられる者がいない」
ロンザスが言った。そうなのだろうなと思う。そもそも武器の品質も見るからにお粗末だった。剣は見様見真似で剣の形に整えただけの鉄の棒だし、槍も似たようなものだ。弓なんてバランスがおかしくて矢がどこに飛んで行くか分からない、いや、それ以前に矢が飛ぶことが奇跡としか言いようがない代物だ。彼等の武器はまともな武器ではなかった。
「まあ、うん。正直言うとね。しないよ? しないけどね。今万が一僕がその気を起こしてルナの村を制圧しようとしたら、この村は蜥蜴一匹相手に陥落するよ」
「実戦なら、届かない空中から捕獲を狙えば」
槍持ちの片方が言った。男性の方だ。
「永久に飛び続けられるならそれでいいだろう。でもそうではなかったよね。事実君たちは今疲労困憊して地に落ちている。君たちは、今、飛んでいないじゃないか。現実を見ようよ。僕は君たちがこうなるまで待てばいいだけなんだ。今現実に、動けない君たちを、僕が鼻歌交じりに順番に叩きのめすだけで全滅する状況なんだ。見なよ、僕はピンピンしているだろう。何なら尻尾で一発ずつきついのを入れて回ったら目が覚めるかい?」
「反論の余地もない。君の言うとおりだよ。俺たちは五人がかりで蜥蜴に負ける実力だ」
ロンザスが頷いた。
「実は、現時点で君たちより間違いなく強いひとは、この村に少なくとも一人いる。僕が鍛えたからね」
彼等以外に僕から戦闘指南を受けたい、と申し出てきたひとがもうひとりいることを僕は話した。都合がいいことに、差し入れを持ってきてくれたようだし、いい機会かもしれない。
「これはどういう状況?」
絞り汁入りの水差しとコップを抱えてやって来たミミリが、動けない自警団の面々を見回して言った。
「ミミリ、ありがとう。ついでに、ちょっと彼等に手本を見せてあげようか」
良く分かっていなさそうだけれど、予定になかった手合わせの話に、ミミリは、僕の身を案じてきた。
「わたしもいいの? 蜥蜴さん疲れてない?」
「大丈夫だよ。少し彼等に見せてあげて」
僕がそう答えて。
ミミリは、それなら、と、身を翻して、空中から準備動作なしで蹴り降ろしてきた。それを合図に、僕とミミリの訓練は始まった。
僕とミミリは団員たちの前で三〇分ほど打ちあった。正直鍛錬を始めてひと月も経っていないミミリの腕前はまだまだ駆け出しもいいところだったけれど、少なくともすでに素人ではなくなってきていた。もちろん、自警団の面々のように息切れしたりもしなかった。
ロンザスたちは、そんなミミリを唖然とした表情で眺めていた。