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聖騎士レイダークの手記  作者: 奥雪 一寸
次元華の咲く場所へ
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第十三章 蜥蜴の夢(5)

 翌日になり、僕はミミリと一緒に村を回った。僕としてはロンザスを待ちたかったけれど、ミミリはあまり彼に会いたがっていない様子だったので、彼女の意志を優先させた。闇の獣の襲撃を経て、僕は彼女の心がとても繊細で、ふとしたことで簡単に砕けて消えてしまうかもしれないほど脆いものだと理解した。

「まずは、あなたのことを見てもらいましょうね」

 昨日の襲撃のことはすべて忘れてしまったように、ミミリは笑う。その様子は悲しかったけれど、無理に触れてしまうと消えてしまうだろう彼女の心を考えると、そのほうがいいのかもしれないと僕は思った。

 ミミリが案内してくれたのは、村の北のはずれにある建物だった。ミミリは入れたけれど、僕は壁に拒まれた。

「少し待っていて」

 顔だけ出してミミリは僕に告げると、壁の中にまた消えて行った。僕は仕方がないので建物の前で待つことにした。

「おや、新入りさんかい?」

 ミミリを待っていると、背後から声がかかった。振り向くと、僕よりずっと小さい体の一匹の蛙が、積み上げた木の枝を縛った蔓を、重そうに銜えて引きずっていた。

「うん。昨日から住み始めたんだ。重そうだね。大丈夫?」

「いや、難儀しているよ。でも聖蠟花の蜜を煮詰めて不純物を抜くのは、この村では大事な仕事だ。火を焚くのに枝集めは必ず必要だからね。やらないってわけにはいかないよ」

 蛙はペザと名乗った。ルナの村での暮らしは長いらしい。

「見たとこ、きみもぼくと同じで外から来たひとだね。昨日ってことはあれか。まだ自分が誰か分からないとか、きみも随分難儀しているんじゃないか?」

「そうだね。名前すら思い出せなくて、困ってはいるかな」

 僕は正直に答えた。こんなところで見栄を張っても仕方がない。

「そうだろう、そうだろう。ぼくも随分難儀したからね。まあ、ぼくの場合は思い出してからもここの暮らしの方が性に合ってたんで、未だに蛙のままだがね。それに、ぼくがここを出てくと、皆困るだろうしな」

 喉を鳴らしながら、ペザが言った。

「なんたって村で唯一の聖蠟花の蜜職人だかね。ぼくがやめちまうと影月の日に皆困ってしまう」

「昨日みたいな日のことか」

 影の獣が毎回続くとなると被害は馬鹿にならないだろう。聖蠟花の蜜の火が灯せるということは重要なことだ。

「ひょっとして外にいて襲われでもしたか?」

 笑ったように目を細めたペザに、僕はそうではないと答えた。

「昨日からミミリの家に世話になっているんだ。昨日、彼女の家の蜜の火が一回消えた」

 ミミリが戻ってきていないことを確認してから、囁くように答える。細めた目を戻し、ペザも深刻な話だと納得したような目つきになった。

「隙間風か?」

「そうだ。それで火が消えた。偶然僕が居候を始めた日で一緒だったから事なきを得たけれど、彼女の家は危険だ」

 僕は苦々しい思いで答えた。ミミリには村の助けが必要だ。昨日の話ではただ貧乏というだけの問題だったけれど、生命の問題となるとそれで済ましておくわけにはいかない。

「あの子は村に返せるものがないから、村の皆に助けてもらうわけにはいかないという自虐に陥ってしまっている。僕はあの子を助けたい。僕が村のために働くことで、彼女の家を直したり、彼女にプレゼントをしたり、とにかくそういった形で村の協力を彼女が受け入れられるようにしたい。協力してくれないだろうか」

「もちろんだ。むしろミミリのことを真剣に考えてくれることに感謝したいくらいだ。あの子はどうやら最高の同居人を見つけてきたようだな。すこし、ほっとしたよ」

 ペザはうれしそうな声で言うと、僕ごしに建物のほうを見て、

「ぼくはそろそろ行った方がいいようだ。また都合のいいときに、ぼくの家にも来てくれ。頼めることがありそうだ。ぼくの家は村の西側にある。大きな煙突があるからすぐわかるはずだ」

 と、木の枝を引きずって去って行った。建物を振り向くと、複雑そうな表情をしたミミリが浮いていた。

「ペザさんは良いひとよ。うちにも聖蠟花の蜜をいつも届けてくれるの。でもわたしはペザさんの親切に甘えてばかりで。それじゃいけないとは思ってるんだけど」

 ミミリは顔を伏せた。そんなことは気にすることはないのに。だから僕は、余計なお節介だとは思ったけれど、ミミリに皆が望んでいるのはたぶんそういうことではないのだと話した。

「村の皆は君と仲良くなりたいだけだと思うよ。君が思っているよりも、君はこの村にとって大事なひとなんだと思う。だから君は皆に申し訳ないと思うのではなくて、ありがとうの気持ちを伝える努力をすべきなんじゃないかな」

「うむ、ワシも同意見じゃな」

 建物から、もう一人、年老いた妖精が出てきた。白髪の男性で、色の抜けた翅が目を引いた。白いシャツの上にミミリのワンピースと同じ色のベストを着ていて、ベストと同色のズボンを穿いている。

「おぬし、蜥蜴の癖にいいことを言いよるのう。なかなかどうして、えらくまた変わりもんの蜥蜴が住み着いたもんじゃ。普通ならお前さんみたいなのはもっとこう、鳥やら獣やらもう少し立派なもんになるもんじゃがのう。まあよいわ。ちと見てみるかの。こっちへきなされ」

 そう言われたものの、初対面の相手なので素直に従うべきか迷った。僕はひとことも橋渡しの言葉を発しないミミリに声を掛けた。

「とりあえず、紹介してくれる?」

 普通はそこからだ。けれどミミリは涙目で地面を見つめるばかりで、僕たちの会話など耳に入っていないようだった。繊細すぎる。これでは村のひとも扱いに困るわけだ。彼女に必要なのは、厳しく接することができるひとなのかもしれない。

「ミミリ。そうやってふさぎ込んでいるばかりでは、君は駄目になってしまうよ。顔を上げて。自信が出ないなら僕がいくらでも言ってあげよう。君は良いひとたちに囲まれて生きている。最悪の状況ではないのだから、君は生きているだけで誰かを助けることはできるんだ。でも君がそうやってふさぎ込んでいるのなら、君が誰かを助けようと思っても、君にはそれだけの力が出ないんだ。僕もそんな君の重荷になるわけにはいかない。その場合、僕はここにいても迷惑にしかならないから、村を出て行くよ」

「嫌だ!」

 ミミリが突然叫んだ。そして僕を両手で掴むと、逃がさないとばかりにきつく抱きあげた。

「行かないで蜥蜴さん! 行かないで!」

「君が村のひとをちゃんと頼れるなら行かないよ。君がちゃんと自分を大事にしてくれるなら行かないよ」

 僕はミミリの顔を見上げて、できるだけ優しい声に聞こえるように気を付けながら答えた。

「君次第なんだ。君が今のままでいいというのなら、僕は君の負担になるだけだ。一緒にはいられない。けれど、君が村のひとの親切にも甘えることができるなら、僕もきっと君の力になれると思う。どうかな?」

「頑張る。わたし頑張るから行かないで」

 ミミリは必死だった。抱き上げられていると震えが伝わってくる。彼女が何をそんなに恐れているのか、分かった気がした。

「正直に言おう。僕も、昨日僕がいなかったら、君の命はなかったと思う。でもそれは、君がちゃんと村のひとを頼れていれば起きなかったことなんだよ。次に同じことが起きた時、僕はもう一緒にいないかもしれないんだ。君が生き抜くために、君には村のひとの力が必要だと理解する必要があるんだ」

 僕がミミリにそう語るのを、妖精の老人はじっと見つめていた。何を言うのでもなく、ただ、僕を見ていた。

 ミミリは泣きそうな顔で言った。

「分からないわ。どうしていいか分からないの。わたしだって皆と仲よくしたいし、村のみんなの役に立って、いろんなものを交換したいわ。でもうまくいかなかったの。何をやってもわたしはうまくいかなかったの。もうずいぶん長いこと試して駄目だったのよ」

「駄目なんかじゃないよ」

 僕はミミリに、何が悪いのかを答えた。

「何もできないことの何がいけないの? できることがたくさんあるひとはいる。できることがほんの少ししかないひともいる。できることが見つからないひともいる。世の中なんていうものは、そんなに優しくはできていないんだ。もともと不条理で不平等なものなんだ。そんなの仕方ないことなんだよ。それでも、今を生き抜かなければいけないんだよ」

 僕の言葉に、老人の口から短い唸り声が聞こえた。彼は急に口を挟んできた。

「お前さん、ちょっと来なされ。ミミリも来るのじゃ。中で話そう」

 老人に誘われるまま、ミミリは僕を抱えたまま建物に入った。今度は、僕も壁には阻まれなかった。


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