第十二章 失意の勝利(8)
そのまま、僕は泣き疲れて眠ってしまったらしい。気が付いたら、僕はレデウの自分のテントに寝かされていた。
そばにはフェリアと、シエル、そしてアルフレッドがいた。アルフレッドは僕の隣の床に座っていて、フェリアとシエルは僕の顔のすぐ横にいた。シエルは人形の姿をしていた。僕が目覚めると、アルフレッドが声を掛けてきた。
「聞いていたよ。相変わらず君は誰かのために走りまわっているんだね。何もかもがうまくいくなんてことはないさ。君がいつも精一杯やるやつだなんて、ぼくも良く知っている。ぼくは君が救えなかった誰かのことはよく知らないけれど、君が救いたいと思えたような人だ。きっと許してくれるさ」
「そうだといいな」
僕は笑った。心はやっぱり晴れなかったけれど、それでも僕には歩かなければいけない理由がある。胸は締め付けられるように痛くても、くよくよしてばかりはいられない。
「シエル。ムイムとボガア・ナガアを呼んでくれるかな。それとエレサリアとレレーヌも。できたら、レグゥもかな」
「分かりました」
シエルが出て行く。全員集まるには少し時間がかかるかもしれない。
「フェリアは、大丈夫?」
フェリアに声を掛けた。彼女はやはり具合が悪そうで、元気がない。
「はい、なんとか」
「具合が悪いところごめんね。月光樹海の奥にある、月華晶穴っていう場所に心当たりある?」
僕が聞くと、
「ある、かも。私たちはムーンメイズの森、ブロッサムドロップ窟と呼んでいる場所だと思います。どちらも、ムーンディープの地名です」
と、フェリアは頷いた。月という言葉と、フェリアが知っているという話で、そんな気がしていたけれど、やはりそうだったか、と、僕は思った。
「それがどうかしましたか?」
フェリアが首を傾げる。僕は上半身を起こして答えた。
「そこに次元華が咲いている可能性が高い」
それを聞くと。
フェリアは困ったような顔をした。
「それは……ちょっと困りましたね」
「どうして?」
僕が聞くと、フェリアは難しい顔のまま、説明してくれた。
「ムーンメイズの森は、ムーンディープでもかなり特殊な場所で、五年おきにしか姿を見せないんです。次に姿を見せるのは、おそらく三年後です。それに、ムーンディープは非常に特殊な次元なので、体を慣らすだけでも一年間くらいは滞在しないと満足に動けないと思います。アストラル界とはまた違った法則の非物質界の世界で、アストラル界を精神界とするならば、ムーンディープは概念界です。概念と思念の力、つまり、魔力がすべての世界で、エーテル界、と呼ばれる法則世界なんです」
「エーテル界だって?」
アルフレッドが驚いたような声を上げた。
「まさか実在しているなんて。ラルフ、もしそのムーンディープ、エーテル界に次に行くのなら、ぼくも一緒に行ってもいいかな? エーテル界は秘術や魔術といった思念や概念の空間だ。世界がどうして世界たりえるのかの真実に一番近い空間とも言われている。気落ちしている君も心配だし、同行を許してくれないか?」
「僕はついでかい?」
僕はアルフレッドに笑って頷いた。僕はすこしナイーブな状態になっている自覚はあるし、アルフレッドの望みなら叶えてあげたい。
「君が来てくれると、うれしいよ。久々に重メイスのうなりが敵を砕くところを見るのも悪くない」
それから、僕は言った。
「テントをたたむから、荷物を出すのを手伝ってくれる?」
「もう?」
アルフレッドは驚いた顔をしたけれど、僕が苦しそうなフェリアを背負い袋の上に乗せて、それを背負うと、本気なのだと分かってくれたようだった。
僕たちがテントを仕舞い終えたころ、シエルが戻って来た。その後ろに、皆の姿がある。ムイム、ボガア・ナガア、エレサリア、ランディオ、レレーヌ、レグゥ、全員いた。
「どうしたの?」
テントが仕舞われていることに驚いたエレサリアが、駆け寄って来た。
「まだこれから十数日は、平和が戻ったことを宣言する式典とかいろいろあるから、できたらゆっくりしてほしいのだけれど」
「そうだね、本当なら、僕もそうしたい」
そう言ってから、僕は秘密の通路に入るための指輪を外し、ランディオから借りたバックラー、通路の中で見つけた盾と一緒にエレサリアに差し出した。
「この盾は?」
エレサリアに聞かれ、
「秘密の通路にあった盾だ。シーヌの話では逸失した国宝らしい。聖者の盾、と彼女は呼んでいた」
僕はすこし複雑な思いで答えた。シーヌが助けられなかった以上、彼女からの報酬としては受け取れない。
エレサリアは、しばらく悩む素振りを見せ、首を振った。
「持っていきなさい。私たちには必要のないものだわ。私たちは生まれ変わるの。聖宮朝の宝物は必要ないわ」
「うむ、軍からも今回の危機を乗り越えるのに多大な力を貸していただいた協力金の代わりとして、持って行っていただきたいと思う」
ランディオも彼女に同意した。
彼等からの報酬というのであれば。僕は受け取ることにした。指輪とバックラーだけを返す。それから、僕は背負い袋の上のフェリアに声を掛けた。
「さあ、フェリア。君の番だ。レインカースはもう大丈夫だろう。君の不調の原因を、教えてくれ」
「あ」
と、フェリアが荷物の上で動き、僕の肩ごしに皆を見回した。皆、フェリアを優しい目で見ていた。
フェリアは少しためらってから、話し始めた。
「……ムーンディープに、先日から何者かが出入りしています。まだ影響はそんなに大きくないけれど、うっすらと、汚染が始まってる感じがします。それが、不調の、原因」
「ムイム、シエル。聞いての通りだ。僕たちは行かなければいけない。フェリアを助けるために。準備は良いかな?」
僕の言葉に。
シエルは頷いた。ムイムは、
「ラクサシャの生き残りを連れ帰らなければ。それが終わってから現地で合流します」
と告げた。僕は頷いた。
「エレサリア、ランディオ、レレーヌ、レグゥ。バタバタしてごめん。フェリアの具合がこれ以上悪くならないうちに、フェリアを助けてあげたい。僕たちは行くよ。いいことばかりじゃなかったけれど、それも経験だ。君たちのおかげで、僕もいろいろな貴重な経験ができたよ。ありがとう」
僕は挨拶をして、皆を見回した。まず僕はエレサリアに声を掛けた。
「エレサリア。一度君の気持を害してしまったことを謝りたい。それにシーヌを連れ帰れなかったことも」
「いいのよ。あなたは十分私たちの力になってくれたわ」
エレサリアの声は優しかった。蟠りはもうなかった。次に僕はランディオを見た。
「ランディオ、聖宮を破壊してしまったこと、シーヌの代わりに謝る。必要なことだったと、彼女の決断を分かってあげてほしい」
「もちろんだ。今でもシーヌは我々の誇りだ」
ランディオの目には迷いはなかった。彼ならこれからもエレサリアを守っていってくれるだろう。次に、レレーヌに声を掛ける。
「レレーヌ、強引に次元間の移住を決めてごめん。ガムルフにもよろしく伝えてほしい」
「いいえ。ミスティーフォレストよりずっと快適です。ありがとうございました」
レレーヌの声は明るかった。今度こそ元気に生きてほしいと思う。僕はレグゥを見た。
「来てくれて助かった。有難う、レグゥ」
「おうよ。また戦の時には呼んでくれ。稼ぎ時だからな」
レグゥたちはレウダール王国からも報酬が出るらしい。ちゃっかりしている。
そして、僕は、ボガア・ナガアを見た。
「エレサリアと仲良くね、ボガア・ナガア」
「ボス俺。エレサリア俺。どっちといたいか、分からない」
ボガア・ナガアが頭を抱える。エレサリアとも一緒にいたいし、僕たちと旅も続けたい。気持ちは分かった。でも、どっちかしか選べないのだ。
「行きなさい、ボガア・ナガア」
エレサリアがボガア・ナガアを名前で呼んだ。けれど、彼女の目はボガア・ナガアを見ていない。多分本心では……言わないのが優しさだろうか。
「私は新しいガーデンの女帝になるの。これからは跡継ぎも考えなければいけないわ。蜥蜴じゃ旦那にできないのよ。恋人ごっこは終わり。さよならよ」
「エレサリアが応援してくれるなら。俺行く。俺楽しかった。ありがとう。エレサリア」
ボガア・ナガアが答える。
「馬鹿」
そう答えたエレサリアの声は涙声だった。
そして、僕たちは、フェリアが開いたゲートを抜けて、ムーンディープへ向かった。
エレサリアに記念品にしたいと頼まれた、壊れたカレヴォス教団の鎧と盾を残して。