第十二章 失意の勝利(7)
「殺せ、侵入者だ」
ガリアスが両脇の半獣半人たちに命じて下がる。二体の半獣半人を倒さなければ、ガリアスには手が届かないというわけだ。
「ボスは見ていて。ああいうの、たぶん、ボス苦手」
ボガア・ナガアが言って、跳ねるように大きく一歩前に出た。
「見ててボス。ボスがやろうとしてるの、たぶんこういうこと」
言いながら、首を左に振り、頭上を回して右を見た。そして、ボガア・ナガアが体勢を低く、床に深く身を沈めた。直後、ボガア・ナガアの上や横の空を、結晶が貫いた。ボガア・ナガアはそのうちの何本かだけを蹴って跳ね返して、右前、左前に返しながら半歩下がった。
二体の半獣半人の爪が空を切る。その上体にボガア・ナガアがはじき返した結晶が当たる。結晶が砕け、飛び散った。
ボガア・ナガアが前に出る。二匹の足元を抜ける。そして急に反転。転がって戻った。
彼が反転した直後、ボガア・ナガアが走っていた先を狙った半獣半人の拳がまた空を切る。
「分かった? もういいか?」
ボガア・ナガアが笑った。彼は僕を見ていた。半獣半人から視線を外した彼の背後には、結晶がすでに浮いている。
彼はそれを嗤いながら避けた。ほとんど足を動かさずに。そして、跳んだ。真上に跳んだ彼は続けて襲ってきた半獣半人の腕に、そのタイミングでそこにあることが分かっているように乗り、片方の半獣半人の首を、こともなげに刎ね飛ばした。
「たぶん、ボスにもできる」
そうか。そういうことだったのか、と分かった。半獣半人に勝つ方法を、僕も知った。
前に出る。半獣半人の腕が来る。分かっている。僕はその寸秒前に、剣を振っていた。
半獣半人の腕を斬り飛ばした。そういうことだ。気配がない相手、気配を呼んでは間に合わない相手。そんな難しい話ではなかった。
半獣半人相手は、最初から読まなければいいのだ。それだけのことだった。
分かってみれば半獣半人の思考パターンは単純で、ただ、超反応のスピードに物言わせて、こちらの動きに対応してきているだけなのだ。
次の動きを誘えばいい。簡単なことだった。
僕は跳んだ。
剣を振りながら。途中で剣を止め、空を蹴り飛ばす。やはりそこに結晶は放たれた。僕が蹴った結晶は僕の狙い通り、死角を取ろうとした半獣半人の頭に直撃した。怯んだ半獣半人を、そのまま、頭から一刀両断にする。
できた。
僕はそいつに勝てた。けれど、喜んでいる場合ではない。
「さて」
僕は着地と同時に、ガリアスの顔を睨んだ。
ニューティアンだ。僕は初めて彼の姿をまじまじと見た。サラマンダーと呼ばれる生物によく似た顔をしている。ほとんどの体表は黒というより濃い灰色で、首あたりが朱色に近い色をしている。丸みを帯びた目をしているニューティアンの中では、目が細いかもしれない。吊り上がった、醜悪な目をしていた。
「愛しの聖女様がいないようだな、聖騎士殿」
ガリアスの口に笑みが浮かぶ。明らかな嘲笑。
「どこかに落としておいでかな」
それに対し、僕は無言の斬撃で答えた。
剣が空を切る。ガリアスの姿がない。同時に、テントが煙を上げ始めた。燃えている。
「せっかちな御仁だ」
くぐもった笑いが聞こえる。ガリアスはどこかにいる。けれど、姿が見えない。
「そんなことだから女一人守れないのではないのかね?」
僕たちはテントから出た。テントは激しく燃え始め、外ではオークたちと狂戦士の乱戦が続いていた。ガリアスは近くにいるはずだ。僕はけれどその姿を見つけることができないでいた。
「近くにいる。突破した向こう」
ボガア・ナガアが教えてくれた。
乱戦中に存在や気配を読むことに関しては、ボガア・ナガアのほうが上手だ。
「もっとも、でかいだけで役に立たない女のどこにそこまでして守る価値があるものか、私にはさっぱりわからんがなあ」
ガリアスのあざけりの声が聞こえている。僕は狂戦士をかき分けるように切り伏せながら進んだ。オークたちも乱戦の中手伝ってくれるけれど、敵の数が多く、なかなか先に進むことができなかった。
「でかさだけは人一倍だったがな。何から何まででかかったぞ。体は私の倍もないくらい程度なのにな、聖女とか言っておきながら私の腕まで」
「貴様には思想がない。下品な口を閉じろ」
それを遮る声が聞こえてきた。
そして、絶叫が響き渡った。ガリアスの悲鳴だった。
「私の杖は返して貰う。貴様ごとき愚物には過ぎた品だ。さて。狂戦士たちよ、躯となれ」
間違いなく、グレイオスの声だ。おそらく杖を奪い返す機会を探っていたのだろう。グレイオスの声がしてからすぐ、周囲の狂戦士がバタバタと倒れてゆく。グレイオスの声が続いた。
「最早貴様のほかは敵しかおらぬぞ。煮られるなり焼かれるなり、ふさわしい最期を辿るがいい。さらばだ、愚か者よ」
そう言い残し、グレイオスの気配は消えた。
僕はガリアスの下に走り、片腕を失い、血を流しているガリアスの姿を見つけた。
ガリアスの仮陣営にガーデン軍がなだれ込んできた。ランディオやフェリア、シエルの姿もある。一緒にいたほうが安全と考えたのか、エレサリアの姿もあった。そばにムイムが護衛として付き添っている。
彼等は僕とガリアスの姿を見つけると、すぐに駆け寄って来た。
「ラルフ殿!」
走りながら、ランディオが声を掛けてきた。
「狂戦士どもがいきなりすべて頓死したのだが、何かご存じか?」
「レダジオスグルムの手下、グレイオスが狂戦士をすべて屍に変えた。おそらく奴の杖の力だ。狂戦士たちに命令を下し、強制する効果があるのだろうと思う」
僕はランディオに答えた。
「ガリアスは奴から杖を奪い、狂戦士たちを従えていたんだ。それをグレイオスに奪い返された今、ガリアスには最早何の力もない。まだ生きてはいるから、今ならだれでも討ち果たせるだろう。捕縛して罪に問うのもいいだろう。どうするかはガーデン軍に任せるよ」
「そうだな」
ランディオはしばらく考えてから、答えた。
「ラルフ殿、討ち果たしていただけるか。今回の反乱及び侵略、直接的であれ、間接的であれ、ラルフ殿のお力がなければ、ガーデンは確実に敵の手に落ちていた」
「分かった」
僕は転がって腕を押さえるガリアスに向かって剣を振り下ろし、その首を落とした。ガリアスの頭が転がり、吹き出た血が地面に飛び散った。
戦は終わった。
けれども、僕の心はどんよりと曇っていて、虚しい気持ちだけがこみあげていた。ガリアスを倒しても、気持ちは晴れなかった。
転がっていくガリアスの頭を眺めていると、ガリアスからガーデンを守るために一度押し殺した感情が、急に戻って来た。体の奥底から何かがこみあげてきて。
それは激流のようで、一度あふれ出してしまった流れは止まらなかった。
剣を放り出して。僕はその場に膝をついた。
「僕は」
誰かの声が聞こえる。誰かの声ではなかった。僕の声だった。
「シーヌを救えなかった」
この場にシーヌはいない。
僕でない僕もシーヌを届けてはくれていない。おそらくこのまま何日待ってもシーヌはきっと帰ってこない。急に実感が戻って来た。
シーヌは置き去りにされてしまったのだ。
僕はシーヌを置き去りにしてしまったのだ。
狭間の空間の、あの崩れかけた建物の中に。
ブーツもなくし、傷だらけの足のままの、彼女を。
「エレサリア、ごめん。僕はシーヌを連れ帰れなかった。シーヌを、どこかも分からない、狭間の空間に、置いてきてしまった」
悔しさと、悲しさと、申し訳なさで頭の中はぐちゃぐちゃで。でも一つだけ僕にも分かっていた。
僕は失敗した。
救われるべきシーヌは救われなかった。悲劇は起きてしまった。それだけが結果で、僕にはもう彼女がひょっとしたら、僕でない僕に助けられて無事かもしれないという幸運に恵まれていることを祈ることしかできないのだ。
もう一度チャンスがあれば。
あのきらびやかな鎧の彼が本当に未来の僕であれば、今度こそシーヌを助けてみせる。もちろん誓うだけならそう誓える。もう一度チャンスがあると信じたいし、信じてはいる。けれど、あの僕が僕の未来である保証はどこにもない。僕がその幸運に恵まれる保証はどこにもないのだ。今の僕にある結果は、シーヌが救えなかったという事実しかなかった。
「ラルフ、つらかったわね」
エレサリアが僕の頭を撫でてくれて。
それで、僕は、泣きだした。
「シーヌ、ごめん、シーヌ」
僕の声だけが、響いていた。