第十二章 失意の勝利(6)
ムイムは僕をレグゥたちの所に送ってくれたあと、砦に戻って行った。
オークの遊撃隊の中にはコボルドも混じっていた。結局コボルドたちに索敵の目をして協力してもらっているようだ。数はオークが三〇、コボルドが五。コボルドはまだあと五人いるそうだけれど、交代で斥候に出ているそうだ。
レグゥは、僕とムイムがいきなり現れたことに一瞬驚いた様子をしてから、僕だと気づくと平静を取り戻した。
「大将、久しぶりだな。神さんのシンボル入りの装備はどうしたよ」
「久しぶり。装備は前の戦でボロボロになった」
僕は挨拶もそこそこに本題に入る。あまりのんびりしている暇はない。
「ガリアスの本隊が出陣した。奴らには今補給の当てがないから、短期決戦でガーデン軍を強襲するつもりではないかと思う。背後から奇襲したい。協力してくれないか?」
「なるほど。そいつはうまくねえ話だ。もちろん本戦があると聞いちゃ働かねえわけにはいかねえな」
レグゥは相変わらず鉈のような大剣を担いでいて、ただ、刃がちゃんとついたものになっていた。新調したらしい。
レグゥは砦の位置関係をしっかり把握しているようだ。南に大回りしながら、移動を開始する。僕は彼等のあとについて歩き出した。急に睡魔が襲ってくる。そういえば、僕は不眠不休でガリアスの陣営まで走ったあとだった。
「誰か担いでやれ。大将、随分つかれているみてえだな。少し休めや。敵が見えたら起こしてやる」
レグゥにそう言われて、その言葉に甘えることにした。オークの一人に担いでもらうと、僕はすぐに眠りに落ちた。
それからどのくらい寝ていたのだろうか。
「見えたぜ、大将」
あたりは薄暗くなりかけていた。僕は目を覚まし、降ろしてもらってから、あたりを見回した。
荒野が広がっている。雨は降っていなかった。前方の薄闇の中にうっすらと、遠く狂戦士たちが仮の陣を張って火を焚いているのが見えた。
はるか遠くにも火が見える。おそらくはガーデン軍は砦の一般市民に被害が出るのを避けるために、野戦で決戦を付けることに決めたようだ。
両軍で数千を数える兵士がにらみ合っている。数ではまだ圧倒的にガリアスの軍が勝っているようだ。ガリアスを早く仕留めれば仕留めるだけ兵を生き残らせることができる。ガーデン軍がどのように動くつもりなのか、知る方法があればと思った。
その思いが通じたのか、夜陰に紛れて小さな影がやって来た。頼りなく跳ぶ姿は、間違いなくフェリアだった。
「フェリア、無理をしなくていい」
声を掛けると、
「もう少しの、辛抱なんです。まだ大丈夫」
という声が返って来た。
僕はフェリアを抱きとめると、彼女はひどく苦しそうに息をした。
「それにこれは疲労のせいじゃありません。休んでも治らないんです。だから休まなくても平気です。それよりも、大事なことを伝えに来ました。戦力差があるので、まともに戦ったらガーデン軍は負けます。だから、あと日が完全に落ちるのを待って、夜襲を掛けます。ガーデン軍の突入の音が聞こえたら、師匠たちも突入をお願いします。それと、エレサリアからの伝言。必ずガリアスを討って、だそうです。頼みますね、師匠」
「分かった」
僕が頷く。
伝言を告げると、フェリアは飛んで行った。休ませてあげたかったけれど、伝言が伝わったことをガーデン軍に知らせてもらわなければならない。僕は彼女を見送った。
それから僕はレグゥと並んで敵軍の仮陣を眺めた。高台はないので、ガリアスのテントがどこなのかはよく分からない。位置だけは掴んでおきたいけれど、難しいかもしれない。
「突入するにしても、どっちに走ればいいか見当がつかねえな」
レグゥも顔をしかめていた。
僕たちが困っていると、
「右奥、五列目。ボス」
ひょこひょこと、コボルドが一匹やって来た。
「抜かりない。途中までフェリア送って来て別れた。テントの位置、ボス、分からないと思ったからな。俺こっち来ることにした」
ボガア・ナガアだった。流石に潜入調査の達人だ。来る途中に確認してきたのだ。
「ありがとう、助かるよ」
「おう、誰かと思えば。相変わらず気配がねえな」
レグゥが笑った。
そして、その言葉を聞いて、僕はあることを閃いた。ボガア・ナガアに言う。
「戦の前にごめん。ちょっと気配を消して僕に奇襲を掛けてみてくれるか?」
おそらく僕の読みが正しければ。
ボガア・ナガアが頷いてくれたので、僕は地面にどっかと腰を下ろした。
「いつでもいいからね」
僕は声を掛けるけれど、ボガア・ナガアは答えなかった。レグゥがいる、オークたちとコボルドたちはいる、ボガア・ナガアがいない。すでに気配を消している。
見えた。空が、動いた。
ボガア・ナガアの拳を、自分の手で受け止める。それで分かった。これが答えだ。ボガア・ナガアが手加減してくれたのも分かる。だから、すぐには実戦には取り入れられそうにないけれど。鍛錬して身に馴染めばできるようになるだろう。
「ありがとう。分かったよ」
「そうか。良かった、ボス」
ボガア・ナガアの目が言っていた。何を試したのかは分かっている、と。彼には、分かっているのだ。
日が落ちる。
遠くから、かすかに聞こえてきた戦闘の音に、ガーデン軍が動いたのだと分かった。ボガア・ナガアも頷いた。
「レグゥ」
とだけ声を掛ける。僕たちは身を低くして、這うように敵陣に接近した。そして、本格的な戦闘が始まるのを待った。
やがて、狂戦士たちの動きが慌ただしくなる。装備の準備ができた者から出撃して行っているようだ。僕たちは敵兵の出撃がまばらになるまで動かなかった。
ガリアス軍の仮陣営の向こうから、戦闘の音が聞こえている。その音はだんだん遠ざかっていく。陽動だ。そんな見え透いた陽動にも、ガリアス軍は引き付けられていく。もとより敵がいたら倒す、ということのみで動いている狂戦士の集団だ。引く、ということを知らない。
その音が十分に遠くなったのを合図に、僕たちは突撃した。立ち上がり、声も上げずに陣営に突入する。狂戦士の一部とニューティアンたちが残っているけれど、数は思ったより多くない。狂戦士たちを退けながら進む。ニューティアンたちは、陣営背後から突撃してきた僕たちに気づくと、武器を向けることなく手を上げた。
「投降する。ガリアスに手を貸したのは間違いだった」
彼等の士気はすこぶる低かった。うまい汁が吸えると参加したものの、当てが外れたと言ったところか。
「今は邪魔さえしなければいい」
僕たちは彼等を放置した。彼等は僕たちに、
「ここにいたら狂戦士どもに殺される!」
と自分たちの置かれている状況を知っているように懇願するので、僕は、仕方なしに同行を許可した。
「自分の身は自分で守ってくれ。死んだら自業自得だと思ってくれ」
それだけ言い含め、僕はレグゥたちと共に敵陣内を進んだ。ニューティアン一五人を加え、僕たちの戦力で仮陣営内の狂戦士を退けるのはさらにたやすくなった。先日の戦を合わせても、反乱軍のニューティアンの数が合わないけれど、彼等の言うことには、
「死んだ。狂戦士どもに殺された」
とのことだった。それで彼等も自分たちの境遇に気が付いたのだと言う。
仮陣営内に、狂戦士が特に集まっている場所が見える。
「あれがガリアスのテント」
と、ボガア・ナガアが教えてくれた。僕はテント背面を守っている狂戦士の集団に突貫した。ボガア・ナガアもそれに続く。
「俺たちは周囲の狂戦士を蹴散らす」
レグゥはそう言って、屈強なオークたちの大半を引き連れて、特に狂戦士の数が多いテント正面へ向かうため、テント側面にいる狂戦士たちに躍りかかって行った。それでも一部のオークを残して行ってくれた。
僕はテント背面の狂戦士たちをある程度蹴散らすと、オークたちに後を任せてテントの布を力いっぱい縦に斬り裂いた。テントの中に飛び込む。ボガア・ナガアもそれに続いた。
テントの中は広く、会議用のテーブルなどもなかった。仮設ベッドと、おそらくガリアスが食事をするためのテーブルが一つあった。他には衣装ケースと宝箱が一つずつ。おそらくはガリアスの私物入れだ。
ガリアスが振り返った。
都を出る時に着ていた、神官服のようなものを纏っている。紫がかった結晶が付いた白塗りの杖を持っている。
そしてその両脇には、僕が狭間の世界で全く敵わなかった、半獣半人が、二体立っていた。