第十二章 失意の勝利(5)
全身泥まみれで、自分が惨めに思えた。
それでも打ちひしがれている場合ではない。僕はすぐに帰還しなければならないのだろう。
「ムイム」
そう名前を呼ぶと、すぐに彼は現れた。
「砦はまだ平気? すぐに帰還したい。連れて帰ってくれるか?」
「承知しました」
ムイムが亀裂を開く。僕はそれをすぐに潜り抜けた。僕があの獣を利用できたら何をする。答えは明白だった。最悪の事態になっていなければいいけれど。
「砦はこのところ神出鬼没の獣の襲撃にさらされてまして。シエルが結界を張ってみたのですが効果がなく、有効な妨害手段もない状態です。今のところ、シエルとフェリアが対応に当たっているので大きな被害はありませんが、昼夜問わず出現する敵に、特にフェリアが限界です」
やはりか。僕は頷いた。
「それはデブリスと呼ばれる正体不明の異形だ。普通の方法ではたぶん防げない。問題は常にエレサリアが危険だということだ。対抗手段はない。召喚している術者を探し、排除するしかない。おそらくは、その術者は、ガリアスだ。けれど、ガリアスにそんな力があるとは思えない。召喚するための道具があるだろう」
僕は砦には入らずに、砦の外の荒野を眺めた。自分がガリアスならどこに陣を張る? 僕は近辺の霊的な反応を探った。南方向、から何かの波長を感じる。近くはない。
瞬間、結晶の獣が襲ってきた。数は一体だけ。僕は剣を抜きざま、出現と同時に斬り捨てた。
「援軍は?」
砦の様子を見る。人間がいる。オールドガイアの言葉を話している。
「現在は一〇〇〇まで増えました。ボガア・ナガアがオールド・ガイアに話を持ち掛けてからの日数を考えると、驚異的な戦力です。ただ村の生産量では、とても物資が賄いきれないため、定期的にアンティスダム達がオールドガイアやサンドランドから補給を行ってます」
ムイムもそう言って砦のほうを眺めた。
「そういえば、オールドガイアからの援軍に、ボスもよく知った方も来られてますよ」
「誰?」
聞いた瞬間。
「ラルフ!」
大きな重メイスを担いだ青年が走って来た。鎖帷子の上に、カレヴォス教団の神官服を着ている。
「アルフレッド!」
僕は彼の姿を見ると、思わず大きな声を出した。まさかこんな場所まで来てくれるとは。
「陛下がここの戦の志願兵として、冒険者を雇い入れたんだ。君が戦力を必要としていると聞いて、ぼくも志願してきたよ」
「ありがとう」
なんと有難い話だろう。ということはアルフレッドもどこかの隊に所属しているのだろうか。
「君はどんな隊の所属? 出来たら同じ隊のひとも紹介してほしいな」
「ぼくは君と交友があるということで、ムイムやフェリア、シエルの手伝いをしているよ。もちろん君の手伝いもすることになる」
アルフレッドの言葉に、僕は少し考えこんだ。それならば。
「君に説明しておきたいことがある。結晶の獣の撃退方法だ。結晶の獣は出現前に、わずかだけれど空間のゆがみを生じさせる。それが分かれば出てきたところを即座に叩き潰せるはずだ。もし襲撃があった際には試してみてくれ。それと、フェリアが限界だと聞いている。できるだけ冒険者仲間の間にその情報を流してもらえないか?」
僕はそう頼んだ。
「分かった」
アルフレッドが頷く。それを見て、僕は南の方角を見据えた。
「あと少しだけの辛抱だ。必ず」
僕は言った。
「僕があれを召喚している道具を破壊してくる」
それだけ告げると、僕は南に向かって砦を離れた。
サリアの仇も取れず、シーヌを置き去りにしてしまった僕でも、まだやれることはあるはずだ。あの場所にシーヌは取り残されてしまったけれど、逆に言えば、あの場所には、僕よりずっと強い僕がすぐそばにいた。彼が僕よりずっと強かったということは、きっと彼は未来の僕だ。だとしたら。
シーヌを救うチャンスは、きっともう一度ある。僕はそう信じることにした。その時までに、僕は彼になるのだ。彼の姿を忘れず、僕は彼を目指そう。サリアの死を無駄にしないためにも。今はそう思おう。
僕はぬかるみを歩きながら、僕がまったく勝てなかった半獣半人のことを思い出していた。とてつもなくタフで、恐ろしく素早いやつだった。けれど、あの僕の攻撃をかわすことはできなかった。つまり彼はあれの倒し方を知っていたのだ。なにかあるはずだ、攻略のための何かが。あの時の僕には分からなかった何かが。
彼が考えて斬ったようには見えなかった。ただ斬っただけだ。考えない。僕の勝たない流儀に似ている。けれど、それは気配のある相手は気配で対応できるけれど、気配のない相手に対応できなかった。気配のない相手に対応するには。気配を掴ませない速度で襲ってくる相手には。すぐには答えは見えそうにないけれど、きっと何か答えがあるはずだ。
細く息を吐く。
僕はそれから駆け出した。目的地はかなり遠い。レデウはエレサリアを中心にまとまっている。逆に言えばエレサリアを失えばいつ瓦解してもおかしくない。エレサリアの危険を減らすためにも、僕は急がなければならない。
休まずに走った。日が傾き、夜が訪れても、また日が昇っても。食事は走りながらとったし、時折襲ってくる獣も、足を止めずに叩き斬った。
そうやって二日間ぶっ続けで走った末に、僕はガリアスの陣営を見つけた。陣地は草一つ生えていない荒れ地の中にあった。
陣地はおそろしく広く、狂戦士たちであふれかえっていた。僕は半日かけて陣地を裏手に回り込み、ガリアスのテントにたやすく侵入した。陣地が広すぎて狂戦士たちからの死角が多く、潜入は容易だった。ガリアスのテントの背面を斬り裂き、ガリアスのテントに入る。ガリアスはいなかった。
そこには大掛かりな台座の上に、明滅を繰り返す、紫がかった八面体の結晶が浮いた装置があって、デブリスを呼び出している装置だと思われた。
聖神鋼の剣を振るうと、台座はたやすく破壊できた。八面体の光が消え、床に転がる。僕はその八面体も叩き割った。
ガリアスがいないことを不審に思い、テントを出て、僕は陣地の様子をうかがう。たやすく潜入できたわけだ。陣地は、空だった。見つからないように陣地を回り込んでいる間に入れ違いになったのだ。
おそらくガリアスはレデウに向かっている違いない。僕はムイムの名を呼んだ。
「ムイム」
「お呼びで」
いつもの調子で、ムイムは現れた。
「ガリアスが出陣した。レデウに今すぐ知らせたほうがいい。頼めるか?」
「ボスは戻らないんで?」
ムイムに聞かれて、僕は頷いた。
「少数でも外にいたほうがいい。僕はガリアスの軍を追って、ガリアスの首だけを狙えるタイミングがないかを探る。ガリアスの軍には補給の目途はないはずで、短期決戦を狙ってくると思う。だから、少しでも被害を減らすため、僕は背後からガリアスを奇襲しようと思う」
「であれば、私からも提案があります」
ムイムが言った。彼の笑みはいつも通り、もったいぶった意地の悪い笑みだった。
「戦のために出てきたからは敵の数を少しでも減らしておこうと原野に出て活動している者たちもいます。ボスもよくご存じの者たちですし、合流されてはいかがかと」
「誰?」
僕が聞くと、ムイムはさらっと答えた。
「レグゥたちですよ。腕は確かなはずです」
なるほど、レウダール王国の要請を受けたから参戦できたと言ったところか。
「そうだね、合流しよう。彼等と一緒に背後から強襲することにする」
僕は頷いた。レグゥが一緒であれば、何かと心強い。
「決まりですね。レグゥの所へボスを送ってから、私はレデウに知らせに戻ることにします」
ムイムの案で問題ないだろう。
僕は頷いた。