第十二章 失意の勝利(3)
「大丈夫?」
シーヌを助け起こす。
二人ともボロボロだった。
「ありがとう」
半獣半人に鷲掴みにされた頭が痛むのか、シーヌは額を押さえながら立ち上がった。
「倒したの?」
シーヌは周囲を見回して、突風でも通り過ぎた後のように、建物に大きな亀裂が一直線に入っていることに気が付くと、驚きの声を漏らした。
「これ……なにがあったの?」
「あれだよ」
遠くで巨人が炎を上げながら暴れているのが見える。僕はそれを指さして答えた。
「彼が、僕の知らない僕が、戦っているんだ。半獣半人は、通りがかった彼に襲い掛かって返り討ちにされたよ」
シーヌに治癒魔法を掛けながら、僕はため息をついた。シーヌは自分のグレイブを探して周りを見渡し、真っ二つに折れた僕の弓を見て言葉を失った。
「あれって」
「敵わなかった。全然僕はあの半獣半人に敵わなかった。サリアは、折られてしまった」
また目から涙があふれた。悔しかった。サリアに託された力を、僕は何も活かすことができなかった。
「サリアのお願いだったのに。僕は彼女の想いを、何も守れずに、誰の助けにもできずに、簡単に折られてしまった。僕はサリアの期待を裏切ってしまった。彼女を救えなかった」
「でも、私たちは生きている。私たちは生き残った。生き残れば先には進める」
シーヌが僕を抱きしめてくれた。気が付けば、彼女も泣いていた。
「きっとそういう想いを斬り返したあなたが彼なんだと思う。いろいろな想いをして、いろいろな経験を乗り越えて、あなたはあそこまで進むの。だから、私たちは行きましょう。私はまだあなたの力になるには自分自身に勇気が出ないけれど。そばにだけはいてあげられるから。だから、一緒に行こう?」
「そうだね。あの彼の姿が僕だというのなら、僕は彼を忘れずに進もう。僕は彼を目指そう」
僕は涙をぬぐい、自分に治癒魔法を掛けた。シーヌは僕から離れてグレイブを拾い、僕は折れてしまった僕の弓を、できだけ破片まで集めて背負い袋に入れた。こんな場所にサリアを置いて行きたくはなかったから。
瓦礫を乗り越えて、階段を登る。階段が破壊されなくて良かったと思う。
二階へ上がると、シーヌが少しだけ足を止めた。胸を押さえて息を荒くした。
「少しだけ、時間をください」
彼女は震える声で言った。拘束され、心身を傷つけられた場所に向かっているのだ。シーヌにはとても恐ろしく、苦しいはずだ。
「無理はしないで。少し休もう」
僕はシーヌの手を握り、床に座らせた。
僕たちは二人とも心が砕けてしまう一歩手前だったのかもしれない。サリアの願いを無駄にしてしまった無力感に打ちひしがれた僕と、酷いトラウマを抱えて、子供のように怯えるシーヌ。僕たちの心は限界寸前だと悲鳴を上げているのだろう。
「君に僕がしてあげられることは何だろう?」
僕の口からつぶやきが漏れる。シーヌは即答した。
「あなたは一緒にいてくれている」
彼女はそれから、少しだけ迷ったように視線を泳がせて、言葉を選ぶように言った。
「やっぱり怖いけれど、少しだけ時間をもらえれば大丈夫。あなたがいれば大丈夫。あなたの弓は折られてしまったけれど、きっとサリアは仕方がなかったって言って、笑って許してくれるよ。私が覚えているサリアはそういうひとだ。だからあなたはあなたのすべきこと考えて」
「うん、そうだね。ありがとう」
僕も頷いた。
廊下は静かで。
獣はあれから襲ってこない。外の戦いはまだ続いているのだろうか。
「よし。覚悟を決めた。あなたはどう?」
シーヌが立ち上がる。彼女はどこか吹っ切れた顔で僕を見下ろしていて、けれどとても心配そうな顔をしていた。
「行こう」
彼女が覚悟を決めているのだ。僕が過ぎたことでふさぎ込んでいてはいけない。僕も頷いて立ちあがった。
シーヌの案内で、彼女の私室に辿り着く。
シーヌを庇うように立ち、僕が部屋の扉を開いた。がらんとしていて、そこには調度品は何もなかった。ただ、部屋の中央には金属の棒だけが二本、天井と床を貫いて突き立っていた。金属の棒からは半透明の光が出ていて、その間にある、見覚えがある茶色をした、何かの塊に注がれていた。
泥だ。
それはサリアの形になり、まるで光に泥の両腕を拘束されるような姿で、僕たちを見た。
「ここで拘束されているのは、キミだったはずなのに」
泥は言った。その目はシーヌを見ている。
「キミが逃げ出してこなければ、ボクは死ななかった」
「それで?」
グレイブを左手で持ち、シーヌはひどく冷たい声を上げた。偽物だと思っていることは明白で、彼女はすこしも動揺していなかった。
「よくもボクをあんなに簡単に折られたな」
泥は僕を見た。正直に言うと少しだけ良心は痛んだけれど、意外なほど泥の言葉は胸に響かなかった。
「こんなもの」
シーヌがグレイブを振り上げる。瞬間。
「何故ボクの言葉を無視する!」
そいつが叫び、見えない何かによって、突然僕たちは弾き飛ばされた。床に転がった僕たちに、更に見えない攻撃が打ち付けられて、僕たちは壁に叩きつけられた。
「謝れよ。無様に這いつくばって謝れよ」
泥は執拗に何かを飛ばしてくる。今度は上から注がれた力に僕たちは床に押しつぶされた。まるで押さえつけられたかのように体の自由はきかず、僕たちはうめき声をあげるが精一杯だった。
「ボクを無駄死にさせるからだ!」
また衝撃が来る。僕は動かない体をこわばらせて覚悟したけれど。
衝撃はこなかった。
「ボクがそんなこと言うわけないだろ」
声が響いた。それは僕の背負い袋の中から聞こえてきた。逆にそのことに流石に驚いた。
「失礼しちゃうなあ」
真っ二つに折れた弓と、その小さな破片が勝手に背負い袋から飛び出して、どろどろに溶けていく。僕は床から起き上がれないまま、それを見つめた。
シーヌも驚いていた。彼女の視線も僕と同じようにどろどろに溶けていく弓に釘付けになっていた。
「ラルフ、シーヌ、ボクをここまで連れてきてくれてありがとう。こいつはボクじゃないけど、それでもボクのレプリカだ。今のボロボロのキミたちでは危険な相手だ。だからボクがこいつを連れて行くよ。ボクはやっぱり死んでいて、キミたちとは行けないけど、応援はしているよ。頑張ってね」
ドロドロに溶けた黒い塊が、泥に向かって飛ぶ。
「やめろ! なんだお前! やめろ!」
泥は大声を張り上げて塊を吹き飛ばそうとするけれど、塊にはまったく効果がないようだった。
「無駄だよ。ボクの出来損ないが、ボクの魔力を超えることはない」
塊が泥に飛び込む。泥はおぞましい絶叫を上げて、塊に吸い込まれていった。泥を吸い込み終わると、塊はポトンと床に落ちた。
「ボクはここに置いて行ってほしい。ボクはもうキミたちの助けにはなれないし、ボクには弔ってもらう場所もない。キミたちの旅に、ただ荷物として持っていかれるのも苦痛だ。何もできずに、キミたちが傷つくところを見るのは嫌なんだ。だから、置いて行ってほしい」
「分かった」
僕が頷くと、
「ありがとう。グレイオスは秘密の脱出路に続く螺旋階段があったはずの小部屋の中だ。さあ行って。レインガーデンをよろしくね」
塊はそう言って静かになった。形を失って、床の染みのように広がっていく。僕はシーヌを助け起こして、秘密の通路に続く壁を調べた。壁は張りぼてで、殴ると簡単に壊れた。
中にグレイオスはいた。
僕たちと目が合うと、グレイオスは杖を手に咳ばらいを一つした。
「礼を言う」
意味が分からない。この男は何を言っている?
「すまぬが私も死した悪魔を蘇らせる術は知らぬ。だが、お前たちを回復させるくらいの心得はある。まずはその傷ついた体を治癒しよう」
そう言うが早いか、グレイオスは僕たちに杖を向けて。
気が付くと傷だらけだった僕たちの体はすっかり治っていた。僕とシーヌが困惑していると、
「そうか。貴様たちは何も知らずに来たのだな」
グレイオスは大きく頷いた。