第十二章 失意の勝利(2)
僕たちは異界の地にそびえた離宮に足を踏み入れた。構造は離宮のようだけれど、足を踏み入れて見ると似て非なるものだと分かる。水の精霊を救出に潜入した時の離宮は白かったけれど、この建物はどす黒かった。まるで呪われた宮殿のように静まり返った屋内には、当たり前のように人の気配はなかった。
建物内に足を踏み入れると、早速結晶の獣が襲ってきた。数は三体。僕でない僕は、獣出現位置を完全に把握していた。であれば何か把握する手掛かりがあるはずだ。
僕は獣を牽制しながら、獣の気配を窺い続けた。次元跳躍だとすればはっきりそうと分かる予兆があるはずだけれど、それもない。どちらかというと、ムイムが僕と戦った時に見せたワープに近いように見えた。どちらにしても次元移動を利用しているのには違いない。
今回はシーヌも自分で戦っているので、多少の余裕があった。シーヌも危なっかしいながらも、なんとか獣の攻撃を凌いでいた。
僕の攻撃を嫌い、獣が何回目かのワープをする。僕はようやく気付いた。
「そこだ」
僕の剣は出現する獣を捉えた。一体を破壊する。別の獣が結晶を飛ばしてくるのを跳んで避けて、剣を突き出す。獣が消えて。
「そこか」
僕が降った剣はまた出現直後の獣を叩きのめした。やはりそうだ。出現前にわずかに空間の乱れがある。シーヌが何とか引き付けている一体を同じように倒し、僕は、ふう、とため息をついた。
「あいつはもう大丈夫だな。出現前に気づけるだろう」
僕がシーヌに告げると、彼女は首を傾げた。
「私にもできる?」
「見えればできると思う。出現直前に空間がわずかにひずむんだ。目で気づければそれでもいいけど、空間異常の空気が掴めるようになれば、もっといい。死角にも対応できる」
僕は彼女に説明した。シーヌは少し考えてから、頷いた。
「やってみる。できるかも」
廊下を進む。その途中で、僕が反応するより早く、シーヌがグレイブを横薙ぎに振った。彼女のグレイブが出現直後の三体の獣を斬り裂く。僕は振り向きざまに、背後に出現した二体を斬った。
「できたね」
僕が笑うと、
「分かればこっちのもんね」
と、シーヌも笑った。そして、さらに現れた獣をお互いに薙ぎ倒す。何回か立て続けに出現したものの、すべて危なげなく倒すことができた。終わってみれば、一五体の獣を二人で出現と同時に倒しきっていた。
「だいたい分かった。大丈夫そう」
頷くシーヌが頼もしかった。
時折襲ってくる獣を倒しながら廊下を進む。
「たぶんだけど、わざわざ離宮を作っている悪趣味さから考えて、私の部屋に向かえばいいと思う」
シーヌが彼女の予想を口にした。十分あり得そうな話だ。僕はシーヌに案内を頼んだ。シーヌを救出に向かった時に見取り図は見たけれど、秘密の通路から入ることしか考えていなかったし、廊下の正しいルートまでは僕も覚えていない。確か聖女の私室は二階にあったはずだ。脱出用の螺旋階段が一階を貫いているように見取り図に載っていたからよく覚えている。
シーヌに案内されて通路を進むと広い場所に出た、大きな階段が二階へ伸びている。その前に、体のあちこちに紫の結晶を生やした、半獣半人が立っていた。ヤマアラシかなにかの獣人のような姿をした、人間と同程度の背の高さの生き物だった。
僕たちが存在に気付いたと同時に、僕たちの左右から一〇本ずつ結晶が飛んできた。それを辛くも躱す。けれど、その瞬間。
僕の隣で、シーヌが跳ね飛ばされた。気が付いたらそいつはシーヌの目の前にいて、跳ね飛ばされたシーヌにさらに詰め寄っていた。
速い。
僕は慌てて剣で斬りかかった。
半獣半人がシーヌに掴みかかる。それを妨害しようと僕は走った。けれど、僕の背中に、何かが打ち付けられる。僕ももんどりうって飛ばされ、床を転がった。聖者の盾を背負ったままだったのが幸いして、ほとんどダメージはなかったものの、あまりの衝撃にすぐに起き上がることができなかった。
半獣半人がシーヌを掴み上げる。シーヌは気絶してしまっているのかぐったりしていた。半獣半人がシーヌの頭を掴んで引きずり上げようとしている。
呼吸が苦しい。いうことをきかない体に鞭打って僕は起き上がろうともがいた。駄目だ、このままでは駄目だ。視界の隅で何かが光った。弓だ。結晶に打たれたときに外れたのだ。僕の弓だ。使えと言いたげに光っている。
僕は立ち上がるのを諦めて這いずって弓を手に取った。握りしめる。シーヌの体が引きずり上げられていく。僕は弓を手に仰向けになった。そのまま矢を番えずに、弓を引き絞った。
放す。
弓から無数の光弾が放たれた。それは不規則な軌道を描き、半獣半人を襲った。半獣半人は最初の十数発を順敏な動きで交わしたものの、やがてとめどなくあふれ出す光弾に打たれて跳ね跳んだ。
まるで荒れ狂う憤怒の猛りのように、まるであふれ出す強弓の涙のように、光弾は止むことなく半獣半人を打ちすえ続けた。
「そうか」
僕はつぶやいていた。
「あいつなんだな」
転がっている場合ではない。僕は弓を手に立ち上がった。倒れた半獣半人に注がれる光弾が枯れる。僕はもう一度弦を引き、放った。まばゆい光線がほとばしり、起き上がろうとする半獣半人を再度跳ね飛ばした。結晶が僕の周囲に現れる。僕は弦を引き、足元に向けて放った。光のドームが生まれ、結晶をすべて消し飛ばした。
これだけの力を持ちながら。これ以上の力を持ちながら、サリアはそれを振るう間もなく殺されたのだろうか。
僕が結晶を消し飛ばしている間に、すでに半獣半人は立ち上がっていた。何と言うタフネス。あれだけの攻撃を受けて、まだ平然と立ち上がっている。
弓を引き絞り、放つ。けれど光弾が飛び前に、半獣半人は僕の背後に移動していた。ワープではない。純粋に速すぎるのだ。僕は背後から殴り飛ばされた。弓が手から放り出される。シーヌはまだ動かない。気絶したままうつぶせに倒れている。
半獣半人は僕ではなく弓を追った。床に転がるまえにそれを鷲掴みにして、ニヤリと笑った。初めて見せる明確な表情。勝ち誇った嘲りの笑い。
そして、そいつは。
弓をへし折った。
「ごめん」
僕は謝ることしかできなかった。視界はかすみ、体はいうことをきかない。サリアは折られてしまった。たった一体の異形も倒せず、仇も討てず、サリアは折られてしまった。
「ごめん」
サリアの無念は晴らせなかった。それでもまだ。シーヌを守らなければいけない。半獣半人に勝てる方法を探す。ない。そんなものは、今の僕にはなかった。立ち上がることすらできずに、這いずることさえままならないのに、どうやってシーヌを守るというのだ。
半獣半人は、けれど、僕たちから視線を外し、なぜか壁を見た。そして、壁に向かって、結晶を放った。
次の瞬間。
壁を崩し、炎のように真っ赤な巨人が、僕たちの前を通過していった。逆の壁を崩して、足を止めずに、何かから逃れようとするように、後ろ向きになって、炎の球をまき散らしながら下がっていく。それを追うように、小さな影が現れた。半獣半人の結晶は彼を襲った。彼はそれを足場にして躱し、さらに襲い掛かる本体を、邪魔だとばかりに一刀のもとに斬り捨てた。半獣半人が腕を振り上げるより速く。まるですべて読めていたというように。彼は半獣半人に視線を向けもしなかった。
僕がまったく勝てる気がしなかったそいつを。全く歯が立たず、無様にサリアを折られた僕の前で。
彼はいともたやすく、半獣半人を斬り捨てて走り去っていった。炎をまき散らす巨人を追いつめていく。
でもあれは僕なのだ。
きらびやかな鎧を着た僕は、僕たちを救うために来たわけではない。彼にとってはあの巨人との戦いの間に、たまたま襲ってきた雑魚を蹴散らしただけのことなのだ。
動けない体で、僕は泣いた。
あの強さが今の僕にあったのなら。
僕はサリアの仇を討てなかった。僕でない僕が、何の感慨も持たず、あっさりと倒してしまった。
体は痛み、心は擦り切れたぼろ布のようだった。それでも僕たちは進まなければいけない。
僕は何とか起き上がると、足を引きずりながらシーヌのそばに歩み寄った。遠くにシーヌのグレイブが転がっている。
シーヌがピクリと動いた。
生きていた。僕は心底ほっとした。