第十一章 モンスター(3)
最後に、僕たちの近況を連絡する。
「すでにルーサに言った通り、レダジオスグルムはレインカースから去った。ただ、敵の軍勢の総戦力はこちらでは把握できないから引き続き気を付けてもらう必要があるだろう」
「敵戦力の調査はこちらで対応できる思うわ。レダジオスグルムを刺激するのを避けるために、大っぴらに斥候部隊を出すのは控えていたけれど、敵戦力の把握を再開するよう、ランディオに伝えるわ」
涙をぬぐいながら、エレサリアが答えた。シーヌがその姿が直視できないとばかりに水晶球から顔を背けていて、エレサリアもそれが気になっているようにちらちらシーヌを見ていた。
「シーヌ、良くないのね」
「うん、良くない。というか、悪くなった。ちょっと想定外の問題が起こっちゃったんだ」
サリアがぐにょぐにょと萎れたように体を縮こまらせて答えた。
「何があったの?」
心配するエレサリアに、サリアは答えた。
「レダジオスグルムと遭遇したことで、ラルフが彼と同類だと自覚をしちゃったんだよ」
「まさか」
ルーサが口を挟んだ。彼女には分かっていたのだろう。その視線は完全にサリアの無知を責めていた。
「ラルフのその姿を、見せたのですか?」
「うん。ボクも知らなかったんだ。竜とコボルドが同類なんて普通は考えもしないでしょ」
サリアがますます萎れる。彼女くらいの存在でも、知らないことは知らないのだなと、僕は他人事のように眺めていた。
「ボス見てれば分かるはず。たまにボスすごいそんな感じ」
ボガア・ナガアが何故分からなかったのかが分からないと言いたげに首をひねった。どんな感じだろう。すごく気になる。
「かわいそうに」
シーヌを見つめて、ルーサが何かをつぶやいた。それからしばらく目を瞑ると、ゆっくりと首を振った。
「ラルフ、彼女を助けられるのはあなただけです。しっかりと向き合ってあげてください。彼女は自分を助け出してくれたラルフを探しています。その意味を、自分にしっかり問いかけてください」
「分かった」
ルーサの視線で、僕は自分が抱えている危険性を自覚した。
僕は、レダジオスグルムから、同類の血の誇りを知った。シルファルサーラから、その危険性を教わったのだと思った。
僕には竜とも同類の血が流れている。それを知ってしまったから、悪竜も陥りやすい、力を誇示することへの渇望に流されるおそれが常にあるということだ。僕はそれを理性で乗り越えなければいけないのだろう。そしてそれこそが多分、シーヌを怖がらせている原因なのだろう。
「やってみるよ。間違いなくやらなければいけないのだろう」
「気づいてくれてありがとうございます」
ルーサはすこしだけ笑った。安心したように。
「わたしが思うに、君はもうすこし休むべきなのだと思いますよ。走り続けていると見えないものもあるものです。誰かを救うのも良いですが、たまには自分をのんびり労わることも大切です。ああ、そうでした、救うと言えば」
ドネはそう言って僕の前まで宙を泳いできた。ドネは突然僕の前で尾鰭を高く、頭を低くした。どうも頭を下げたらしい。
「随分前の話にはなりますが、ラルフ、精霊の祈り子たちの危機を、救っていただいたと聞きました。ありがとうございます。知らなかったからとはいえ、お礼を言うのが随分遅れてしまい申し訳ないです」
「精霊の祈り子?」
初めて聞く言葉に、僕は首をひねるしかなかった。礼を言われても、心当たりがない。
「セラフィーナと、ロッタという名前に心当たりは?」
と、ドネに言われてようやく合点がいった。
「なんでも彼女たちは彼女たちの使命があって旅をしているということは聞いているけれど」
詳しい話を知らないので、僕はドネと彼女たちに接点があることがにわかに信じられなかった。話が理解できないでいる僕に気づいたドネが、詳細を教えてくれた。
「あの子たちは精霊の次元を回り、次元宇宙のために二人が何をしなければいけないのかを学んでいるところです。精霊の次元に至るには、夢幻の繭と呼ばれる場所を旅しなければならないのですが、その夢幻の繭にバグベアが入り込んでしまったそうで、祈り子たちが危険に晒されたと聞きました。君に助けられたと本人たちが言っていたとも。覚えていますよね?」
サレスタス盆地の冒険の途中、ネビロスの迷宮攻略後にそんなことがあったことを思い出した。なるほど、そういうことだったのかと頷く。
「あったね、そんなこと」
正直に言うと、しっかり覚えている。ただそれは二人が助けられたということではなくて、死したる小さな神官が、僕に治癒魔法の使い方を伝授してくれた、そういう思い出としてだ。それにあの時はシエルのこともあって急いでいた。だから二人がどういういきさつであの危機に陥っていたのかなんて、気にするのも忘れていた。
「君が行かなければいけないのも、彼女たちと関係があるということ?」
おそらくそうなのだろう。僕は尋ねた。
「ええ。わたしは祈り子の求めに応じて、他の属性の精霊たちと共に、次元宇宙の平穏を守るための儀式に臨まねばならないのです。それがどのような目的で行われるものなのか、祈り子たちが精霊の次元で何を知るのか、わたしには知る由もありませんが、精霊の祈り子が現れること自体、次元宇宙に危機が迫っていることを意味しているとされています。その危機を脱するために必要な存在なのだと。何かこの先に重大なことが起きるのだということだけは、わたしにも分かります」
ドネの話は判然とはしないものの、不吉な響きを伴っていた。そして僕は思った。まだ僕が見習いだった頃の日に、エレオノーラは彼女たちの道が、僕の足元を固めてくれると言った。ということは、彼女たちの存在が次元宇宙の危機を救うためのものだとするならば、おそらくその危機は、僕にとっても無関係ではないのだ。
「今僕にできることはあるのだろうか」
思わずそう口走っていた。僕にはその危機の予兆すら見えない。それで良いのだろうか。漠然とした不安だけを感じた。
「そうやってなんにでも首に突っ込むからみんな心配するんじゃない?」
と、サリアに言われた。確かにその通りだ。分からないことを今考えても仕方がない。今考えなければいけないことは、いつか来るかもしれない次元宇宙の危機などではなく、今実際にここにあるレインカースの危機を救うことだ。
「そうだね。今考えても分かるわけがないことは考えないことにするよ」
僕は頷いた。なにより、今一番考えてあげなければいけないひとがいる。次元宇宙の危機とやらが、どれほど規模が大きな話だったとしても、今の僕にとってはシーヌの心を救うことのほうがずっと大事なことだった。
「ありがとう、サリア」
「どういたしまして。さて、こんなもんかな。あと何か言っておくべきことがあるひとはいる?」
サリアが一同を見回すと、
「俺いいか?」
ボガア・ナガアが声を上げた。
「俺一回、あー、俺たちの世界、帰りたい。レグゥ。オークの長。相談してきたい」
オールドガイアに戻ってレグゥたちを雇いたいという意見だ。おそらくレグゥに話を通せばレウダール王国そのものにも話が通るだろう。試してみる価値はあるかもしれない。
「それは名案かもしれない。そうだな、そこに僕の盾と盾から外れたカレヴォス神のシンボルがない? レグゥは君の顔を知っているから大丈夫だろうけど、万が一の場合、そのシンボルを持って行ってレイダークの使いだって言ってみてくれ」
僕が言うと、ボガア・ナガアはすぐにカレヴォス神のシンボルを拾い上げて見せてくれた。僕は頷いた。
「そう、それだ。よろしく」
それから、シエルに声を掛ける。
「シエル、ムイムと相談して、手が空いている方が一度ボガア・ナガアをオールドガイアに連れて行ってあげてくれる?」
「分かりました」
シエルが頷く。おそらくレグゥに会うことができれば、援軍が見込めるだろうという気が、僕はしていた。
「よし、じゃあ。みんな頑張れ。シーヌが良くなったら、ボクも一度そっちへ行くから」
そうサリアが告げて、話し合いが、終わった。