第十一章 モンスター(2)
レデウ側で集まってくれたのは、シエル、ムイム、エレサリア、ボガア・ナガアの四人だった。
ランディオは民衆の中で民兵に志願してくれた市民の取りまとめで忙しいらしく、フェリアは見張りの当番中らしい。
水晶球にレデウの皆が映り、サリアの隣にルーサの映像が、エルフの少女の姿で出現する。まず口を開いたのはルーサだった。
「レダジオスグルムがレインカースから逃走したのを観測しました。ラルフ、怪我はありませんか? 大丈夫ですか?」
心配で心配で泣きそうだったといった表情で、ルーサは食い入るように僕を見ていた。
「大丈夫だよ。これで晴れて僕とあいつは意地と誇りを賭けた敵同士だ。生まれ変わった気分だよ。なんて爽快なんだろう」
両手を打ち合わせて僕が答えると、
「ああ」
と、ルーサが天を仰いだ。
「そうなるのではないかと思っていました」
「先生、すこし雰囲気が変わりましたか?」
シエルも困惑したように言う。彼女に分かるように説明して聞かせるのは難しい。それでも僕はシエルをあんまり心配させたくなくて、できる限り説明した。
「そうかもしれない。レダジオスグルムに会って分かった。彼はとんでもない悪党だけれど、誇りある竜の目をしていた。僕と彼とは相容れないから、友達にはなれないけれど、僕は彼に誇りをもって挑戦したいし、彼が誇りを失わない限り、彼の挑戦を受けるつもりだ。そして一度戦いが始まれば、僕と彼の戦いは、死力を尽くしたものになるだろう。それが誇りに対する礼儀だから。僕はたとえ彼に殺されることになったとしても、逃げはなしない」
「やめてください!」
つんざくような声。
ルーサが怒りを隠そうともせずに震えていた。そうだろう。彼女の目は竜の誇りよりも大切なものがあると考えている目だ。そういう意味では、僕はシルファルサーラよりもレダジオスグルムに近いのだろう。
「あなたが死んでしまったらどれだけの者が悲しむと思っているのですか!」
「え? あ」
僕はうまく伝わらなかったことに気が付いてはっとした。皆が僕を不安の目で見ていた。
「ごめん、皆。僕の言い方が悪かった」
僕は慌てて謝った。たぶん皆には死にたがりの言葉に聞こえたのだろう。
「彼になら殺されてもいいという話ではないんだ。たとえ僕の全力が及ばなくてレダジオスグルムに負けたとしても、本気で戦えれば本望だというだけの話で。ごめん、ルーサ、大丈夫だよ、僕は死ぬために戦うつもりはない」
「それならいいのですが……お願いします。あまり心配になることを言わないでください」
ルーサが大きくため息をつく姿が見える。無用な心配をさせてしまうくらい、僕は高揚感に乗せられていることを自覚した。少し冷静になろう。
「すまない。今までどおり、救われなければいけないひとを助けるのが最優先であることは変わらないよ。それは僕の誇りなんかよりもずっと重要なことだ」
「良かったです。それを聞いてやっと安心しました」
ルーサが頷いてくれた。それで僕もほっとした。
「痴話喧嘩は済んだ? 本題に入って良い?」
横からサリアに言われて、ルーサが、
「真剣な話です」
と、不満の声を上げる。サリアは陽気に笑い声をあげた。サリアは短く、
「そうだっけ」
と答えた。
「さて、まずどこからにしようか。丁度いいや、シルファルサーラ、援軍のほうはどう? まだ出せてないんでしょ?」
それから、サリアは声色を真面目なものに改めて、確認を始めた。
「はい、すみません。あちこちの次元で並列して問題が起きていて、編成が遅れました。レダジオスグルムの手勢に先手を打たれた形です。まもなく第一陣の編成が完了します。まずはドラコニストを二〇、ガーディアンを三〇、二、三日のうちに派遣します」
ルーサの表情は暗い。もう少し出せたはず、という無念さが見て取れた。
ドラコニストと言うのは、竜の大いなる力を習得することを目的に、竜に協力し、その見返りとして竜の息吹を間近で享受する者たちのことだ。ドラコニストを目指す種族は様々だけれど、竜の息吹を間近で受け続けることで、竜のごとき強靭な肉体を得ることから始まり、最終的には竜に近しい姿への変身能力を獲得するのだという。変身したデミドラゴンも、空を飛び、ブレスを吐くなどといった竜と同じような能力が使えるそうだ。
一方、ガーディアンというのは、いわゆる善良な竜に仕える兵士たちのことだ。正式にはドラゴンフェロー・ガーディアンという。兵士といっても竜の従者であり、ドラコニストほど大袈裟に竜の能力を使うことはできないまでも、一騎当千の膂力を備え、頑強かつ勇猛な戦士たちだと言われている。もっとも白兵戦に長けた者だけが、ガーディアンになるとは限らず、竜が操る強大な魔術を託された強大な魔道兵である場合も、一撃で城壁を穿つバリスタのごとき強弓を一人で持ち運ぶ弓兵である場合もあるという。
「ドラコニストが二〇人もいたら乱戦が危なくないかな。味方を巻き込みそうだけれど」
逆にそれが心配だ。僕は聞いた。
「大丈夫です。私の友人たちには、そのような下手をうつような粗忽者はいません」
「まあ、エンタングラたちが大丈夫だったんだから大丈夫じゃない?」
サリアも言った。確かに根こそぎ狂戦士を吹き飛ばしていたエンタングラたちも、味方を吹き飛ばすような問題は起こしていなかった。
「レデウの砦のほうはどう? 何か問題は?」
「一番の問題は」
エレサリアが口を開いた。レデウの映像は今回も僕のテントの中だ。エレサリアとボガア・ナガアがテントの床に並んで座っていて、ボガア・ナガアの上に人形フォルムのシエルが浮かんでいた。
「新しい政治システムが決まらないことね。今までは、聖女、あるいは、聖宮が国の意思決定をすべてしていたものだから、いざ新しい行政組織を、といっても、ほとんどの国民にはどうしたらいいのか分からないのが痛いわ。私がすべて決めしまうこともできるのだけれど、それでは今までの聖宮の治政構造と何も変わらないのよね。とはいっても、このままでは兵士たちに無給で命を賭けさせることになるし、どうしたらいいのか」
「それはキミが腹をくくるしかないと思うよ」
サリアがエレサリアに答えた。僕も同意見だった。今大事なことは民が生活できること、兵士が十分に戦えることだ。
「キミしか案が出せないなら、暫定政府をキミが設立するしかないんじゃない? 平和になった後に、暫定政府は一度解体して、正式な政治システムをもう一度模索して作ればいい。今を勝ち抜かないと、それすらできないでしょ? 覚悟を決めよう、うん」
「……シーヌはまだ戻れないの?」
はあ、と音が聞こえる。エレサリアの大きなため息の音だった。
「考えることができる頭の数が足りないの。頼みの綱にしていた知恵者がどこかへ行ってしまって困っているのよ」
「知恵者?」
僕が聞くと、エレサリアが答えた。
「水の精霊ドネよ。見かけていない?」
「ドネならここにいるけれど。ドネ? どういうこと?」
ドネは知識量も豊富だし、エレサリアを助けていたと言われても納得はできる。けれど、ドネ自身はそんなことは一言も言っていなかったから、帰らなくても大丈夫なのだと、僕も思い込んでいた。
「もしエレサリアの言葉が本当なら、君がここにいたらエレサリアが倒れてしまうよ」
「すみません、エレサリア。その件については申し訳なく思っています。おそらくそろそろお呼びがかかる頃で、わたしはここ数日のうちに行かなくてはいけないのです」
「え……」
エレサリアが泣きそうな顔をする。彼女は魂が抜けたように笑った。
「あ。そうなの。ああ、そう」
まずい状態なのは見れば分かった。それはそうだ、彼女が一人で、暫定といえども国政の全機能を担うことは不可能だ。
「シエル」
僕は口を挟み、シエルの名を呼んだ。
「分かりました」
僕が何かを言う前に、シエルは了承の言葉を返してくる。おそらくきちんと分かってくれているだろう。
「すまない、頼むよ。ムイムにも手伝うように伝えてくれ。交代で当たってくれればいい」
「ありがとうございます。そう指示してもらえると私も気が楽です」
シエルはそう言って、エレサリアのそばに移動した。
「エレサリア、ドネほど頼りにはならないかもしれませんが、私とムイムがあなたのサポートに入ります」
「あ、ああ。あ。ありがとう」
エレサリアが泣き崩れた。
「良かった。本当に助かるわ」
「あ……」
そんなエレサリアを見て、シーヌも泣いた。
「エレサリア様。自分で聖宮を破壊したくせに、なんにもできない子でごめんなさい」
「ああ、シーヌ。ごめんなさい。情けなくてごめんなさい。あなたのせいじゃないの。あなたのせいじゃないのよ」
エレサリアが、泣きながら首を振った。
「アンティスダムにも支援を頼んだ方がいい。不可能なものを頑張ったら駄目だ」
僕が提案する。
エレサリアは涙を流しながら、頷いた。