第十一章 モンスター(1)
レダジオスグルムは撃退したものの、手下たちがまだ残っているし、シーヌがまだ危険な状態であることも変わっていない。
僕たちはサリアの秘密基地に戻り、テーブルを囲んでいた。僕とシーヌがテーブルを挟んで向かい合い、床の上にサリアが立っているのは変わらないけれど、僕の頭の上にドネがいることが変化だった。
「それにしてもよくサリアの次元牢からレダジオスグルムが脱出しかけていることに気が付いたね。おかげで助かったよ」
僕はドネを見上げた。サリアにもらった鎧は脱いでいて、剣や盾と一緒に部屋の隅に置いてある。僕の装備の隣には、シーヌの装備も並べて置かれていた。
「この程度の広さの次元であれば、その中で起こっているだいたいの霊的事象は把握できます。もっとも拘束できたのは次元牢そのものがかなり強力だったからです。次元牢に亀裂が入ってしまっていたら、わたしでは拘束は困難だったと思います」
ドネの力量では、単独ではレダジオスグルムを抑えることはできないという。それでも助かったことには間違いなかった。
「それにしても、わざと拘束を外させたのには面食らいました。何故あのような危険を?」
「誇りを掲げるためだよ」
とだけ、僕は笑った。
ドネは分かったのか、分からなかったのか、それ以上は何も言わなかった。
「ボクはどっちかっていうと、ラルフがドラゴンのファイヤーブレスを消し飛ばしたのに驚いたんだけど、あれは何?」
サリアが、宝箱の中から、水晶球を抱えた神像を取り出しながら言う。たぶん彼女には分からないだろう。僕もレダジオスグルムを前に初めて自覚したのだから仕方がない。
「それは僕がコボルドだからだよ。僕たちは爬虫類で、だから最も強大な爬虫類である竜の眷属を自称してきた。でも、眷属じゃなかったんだ。レダジオスグルムを前にして分かった。竜もコボルドもただ同じ爬虫類だった」
僕は笑った。僕はドラゴンブレスを吐くことはできないし、強大な魔力もない。空を飛ぶ翼もなければ、敵を引き裂き叩き潰す巨大な体もない。ただ、竜と同じ爬虫類型モンスターの血だけがあった。
「かき消したんじゃない。ブレスを消したのは、レダジオスグルム自身だよ。レダジオスグルムは、あの一瞬、ちっぽけなコボルドであるはずの僕に、怯んだんだ。だからこそレダジオスグルムは僕に昏倒させられたことを認めて引いた。みっともなく居直るのは、彼の誇りに反することだからだ」
僕はそう説明した。一方的にコボルドが竜を恐れるのは、竜に近しいものとして、自分が逆立ちしてもどんな竜にも勝てないと本能で知っているからだ。それこそが同じような血を引いていることの証だった。
だとしたら、もし、ほんの少しでも、コボルドが竜に近づき、あるいは勝負になる程度にまでその能力を向上させたとしたら? その答えがこれだった。あの瞬間、僕とレダジオスグルムの間の戦いは、同類同士の争いになっていたのだ。だからこそ、僕は一人で戦わなければいけなかった。誇りにかけて。
所詮は、同じ蜥蜴だ。
「え? あ。じゃあ何? コボルドって、眷属じゃなくて、竜の傍系だったの?」
サリアがびっくりしている。けれど、それは正しくはなかった。コボルドは竜ではない。
「というよりも、コボルドも、ドラゴンも、たぶんリザードマンとかも、同じ土俵の上で同じような『爬虫類の血』を引いているんだ。レダジオスグルムが引いたってことは、彼もそれを理解したんだと思う」
僕は笑っていた。竜と同じ爬虫類の血を自覚してしまった今、屈服させるべき敵対者を得た高揚感は何物にも代えがたい愉悦だった。世界が俄然愉快なものに思えてきた。
「世の中って不思議だね」
「ほええ。世の中ってほんと、分かんないもんだねえ」
体を伸ばしてテーブルの上に水晶球を置きながらサリアが感嘆の声を上げた。それから彼女は少し声を落とした。
「でも困ったねえ」
と、ちらりとシーヌを見る。シーヌは完全に怯えた目をしていて、僕とも目を合わせようとはしなかった。
「シーヌ、怖がらせちゃったね。ごめんよ、シーヌ」
「あ……うん」
シーヌはどうしていいか分からないように頷いた。彼女は僕を見て、すぐに目をそらした。
「分かってはいるの。ラルフが狂暴なわけない。でも、何故だかとても怖い。怖いの」
「ごめん、シーヌ。それはきっと僕が自分の本音がモンスターだと自覚したからだと思う。君が悪いわけじゃなくて、きっと、どちらかと言えば僕の問題なんだ」
ヌークは非好戦的な種族だ。憎いわけでなく、嫌いだからでもなく、ただ相手を叩き潰して満たされたいだけの衝動は、彼女にはとても怖いものだろう。
「選択の時かもしれない。僕は君を連れて行くべきなのか、置いて行くべきなのか。僕はこれから先、レダジオスグルムと顔を合わせるたびに血みどろの闘争を繰り返すかもしれない。それは僕と彼が同類で、僕等の血が優劣を確かめることを求めるからだ。あるいはそれよりも優先されるべきことがあれば争わないこともあるかもしれないけれど」
僕は彼女が怖がらないように、視線を合わせないように、天井を見上げて告げた。
「でも僕と彼は出会ってしまった。優劣を決めるべき敵として認め合ってしまった。これは互いの誇りを賭けた衝突なんだ。だから僕は、君には、この先、きっと平穏はあげられない。あるのは血と争いの旅だけかもしれない。おそらくそれは君のためにならない」
「ええ……」
シーヌは迷っているようだった。来るのも怖い。残るのも怖い。彼女にはどちらも恐怖しかないのだろう。
「それでも、僕は君が望んでくれるならついてきてほしいと思う。今すぐでなくてもいい。しばらく考えよう。それから君の結論を聞かせてほしい」
そして、僕はサリアを見た。
「それまでもうしばらくここにいてもいいかな」
「ボクは全然かまわないよ。キミたちが行っちゃうと寂しくなるしね」
サリアはどこまで本気かは分からないけれど、口調だけは寂しそうに言った。それでもいつかその日が来ることは覚悟しているのだ。そんな空気を纏っていた。
「ボクも、シーヌが残ってくれたら寂しくない。ラルフと一緒に旅立ってくれたらほっとする。キミの選択がどちらでも、ボクはキミの選択を応援するよ」
「考えてみる。今日はまだ混乱していて、すこし時間をください」
自信はなさそうに、シーヌは答えた。彼女はどちらを選ぶのだろうか。僕には分からなかった。
「そういえば」
ドネに向かって僕は尋ねた。
「レレーヌの様子はどう? 少しは良くなった?」
「彼女ならもう大丈夫です。苗木はレデウの地に根付きました。わたしとレレーヌで協力して、小ぶりですが林の体裁までは木々を増やすこともできました。今は村の方々に協力して、菜園や畑の作物育成を早め、砦や避難民たちの食糧事情の改善のための活動に入りはじめました。わたしが付いていなくてももう心配ありません」
ドネの答えに僕は安堵した。
それは良かった。ということはエンタングラたちもレインカースの地でうまくやっているのだろう。
「それから、レデウの戦力事情ですが、ムイムとエレサリアが連絡役を買って出たようで、アンティスダムたち経由でも援軍が募れないかを相談しているようです。アンティスダムのうち数人がレデウに状況を確かめに来ていました」
「なるほど。何もしないよりはずっといいね。皆出来ることをやってくれているようで助かるな。あと気になるのはガリアスの動きかな。レダジオスグルムの後ろ盾がなくなった今、どんな破れかぶれな行動に出るか読めない」
僕は唸った。たいていは悪徳に手を染めた人物が追いつめられて開き直るとろくなことが起きない。
「それを確かめて、今後のことを話し合うために、レデウのひとたちとシルファルサーラを呼ぼうと思うんだけど、そろそろ始めて良いかな?」
水晶球に上体を伸ばし、サリアが揺れる。
その言葉に、僕は頷いた。