第十章 泥の悪魔と火炎竜(3)
しばらくすると、フェリアが戻って来た。
エレサリア、ランディオの二人が一緒にいるのが見える。エレサリアと一緒にいるはずのボガア・ナガアの姿はなかった。
「ひとまず、二人を呼んできました。ガーデン軍と協力して斥候や見張りをしてる、シエル、ムイム、ボガア・ナガア、市民と一緒にいるレレーヌやガムルフは来られないので今集まれる全員です」
フェリアがそう説明してくれた。
それから、フェリアに代わって、ランディオが話し始めた。
「シーヌ様、聖宮が倒壊したことはご存じでしょうか。巻き込まれたのではと心配しておりましたが、無事なようで安心しました」
「心配をかけてすみません、ランディオ殿。私はラルフ様の御助力のおかげで聖宮からは逃げ出すことができました」
シーヌが頷くと、ランディオとエレサリアが安堵の表情を浮かべる。そんな彼等に向かって、シーヌは平静の表情のまま言葉をつづけた。
「そも、聖宮の倒壊は私がこちらのサリア様にお願いして行っていただいたことです。侵略軍は聖宮に異界と繋がるゲートを築き、それを用いて狂戦士を増強し続けていました。それを止めねばガーデンは滅んでしまう。もともと聖宮は不正と民への暴虐で腐敗しきっていましたし、私は、聖女の権限をもって、聖宮の破壊を決断しました」
「なるほど。そういうことだったのですね。良く決断しましたね、シーヌ。私はあなたの決断を支持します」
エレサリアがうっすらと笑みを浮かべる。その顔は誇らしげで、まるでわが子を見る母親のようだった。
「あなたは立派な聖女になりましたね」
「いいえ、エレサリア様、聖女はもういません。私はただのシーヌです」
首を振って、シーヌは答えた。それから、ランディオに視線を向けて、尋ねた。
「ランディオ殿、私が以前預けた書籍はまだ保管していますか? もしまだ手元にあるようであれば、エレサリア様にもあとでお見せしてください。ガーデンとは何か、ガーデンの最高指導者はなぜ聖女なのか、この国の生い立ちがすべて書かれていますから」
「もちろん他の防衛重要文献と一緒にレデウに退避させてありますとも。畏まりました、エレサリア様にもお読みいただけるよう、手配いたします」
ランディオが首を垂れる。それを聞いて満足げに頷いたシーヌは、再度エレサリアに顔を向けた。
「エレサリア様はなぜ私たちが聖女と呼ばれたのか、疑問に思ったことはありますか? 何故ガーデンの指導者は女王や女帝ではなく、聖女なのか。そもそも聖宮とは何だったのか」
「疑問には思ったけれど、降り続く雨の原因を調べる方がずっと重大だったから、調べはしなかったわ」
と、エレサリアは首を傾げた。彼女にとっては降りやまなかった雨こそが最大の問題だったのだから無理もないのだろう。
「そうですか。では」
シーヌが口を開き掛けると、
「それはボクから説明するよ。その方がいいと思う」
サリアが横から声を上げた。
「キミが言っている本って、“ガーデンと聖宮についての建国期細録”って本だよね。西のはずれの丘の上にある遺跡にあった本でしょ?」
「はい、そうです」
シーヌが、やはり、と言いたそうな微笑を浮かべた。彼女には誰が書いた本かの見当が付いていたのだ。
「それでは、あなたの本なのですね。サリア様」
「うん。キミが見つけた西の丘の遺跡は、ガーデンが軌道に乗るまでの間、ボクとケーちゃんがニューティアンたちを見守っていた場所なんだ。そうか、キミが見つけたのか。必要としているひとが現れるまで、あの遺跡は、見つからないように隠蔽してあったんだ」
そういうことか、と僕も思った。豊穣神ケセレンシルのもと暮らしていたニューティアンたちが国家を作るにあたり、同時に信仰も満たす場として聖宮という場が作られたのだろう。おそらく本来、ガーデンの指導者は豊穣神ケセレンシルを司る神官でもあったのだ。果たして、サリアの説明も僕の理解と一致していた。
「古代のレインガーデンにおいて、ニューティアンたちは豊穣神ケセレンシルのもとに誕生した種族だった。ニューティアンたちは女神であるケセレンシルの存在を知っていて、交流もあったんだ。彼等はケーちゃんの庇護のもと、導かれることを望んでいたけれど、ケーちゃんはそれは正しい生命の在り方ではないと断ったんだ。彼女は、ニューティアンたちに、自らの中に指導者を決め、自分たちの意志に従い生きるのが生命のあるべき姿だと説いた。それに感銘を受けた古代ニューティアンたちは、自分たちの力で生きていくことを彼女に約束して、その代わり、ただ称えるための象徴として、国の最上位にケーちゃんのための地位を設けることを望んだ。彼女はただ見守るだけという約束のもと、それを受け入れた。そして政治の場はケーちゃんを称えるための場所を兼ねることになり、そのために名前を聖宮とすることになった。そしてニューティアンたちの指導者は、豊穣神ケセレンシルを称える役目も兼ねることになったため、ケセレンシルの出産や誕生などと言った領分から女性が代々その役目を担うことが決まり、役職名は聖女となった。最後に、ケーちゃんはいつもレインガーデンを庭と呼んでいたから、国家の名前もケセレンシルの庭という意味を込めて、ガーデンと定められた。それが、この国のはじまりなんだ」
サリアは静かに語った。そして、聖宮を破壊するということの意味を、こう話した。
「ケーちゃんは自分が手を出してしまうことをおそれて、レインガーデンを去った。ガーデンの民に二つの約束をさせて。一つは、もしガーデンの民がケーちゃんの下から独り立ちする決心がついたら、聖女の地位を廃止し、自分たちの中から最上位の地位に立つ者をもつこと。そして、もう一つが、もしケーちゃんを称え治政を行う、聖宮という為政のあり方が人々の害になるようであれば、聖女の地位と聖宮を排し、新しい行政組織を編成すること。シーヌはね、最後の聖女として、後者の判断により、聖女の地位を返上したんだ。だから、彼女が言うように、聖女はもういないんだよ」
そして、シーヌににっこり笑って。
「キミたちは、ケーちゃんの庭から独り立ちをして、自分たちの庭を持つ時が来たんだ」
と、エレサリアたちに告げた。泥の悪魔にして神の座に最も近い人物であるサリア=レラ=サリアの言葉は、エレサリアたちにとってどのくらいの重さがあるのだろうか。
「豊穣の女神の信仰がガーデンに根付いているのは知っていたけれど、まさか、ガーデンそのものが豊穣神ケセレンシルの国だったなんて……知らなかった」
エレサリアは呆然とした顔で呻くように言った。それから、シーヌを見て、頷いた。
「そう……シーヌ。あなたの決断は正しいわ。今の聖宮は、豊穣神ケセレンシルへの感謝も忘れ、民を虐げるだけのものでしかない。聖女の地位も形骸化して、豊穣神ケセレンシルに仕えている自覚もない。聖女にも、聖宮にも、もう建国時の精神は残っていないわ。私は、ああ、今心から言える。後任にあなたを指名して本当に良かった」
「ありがとうございます、エレサリア様。けれど、そうじゃないんです。私はゲートの破壊と腐敗を理由に自分を正当化しただけで、本心ではあの場所が失くなってしまえばいいと思っただけ。あの場所が憎くて憎くて仕方がなかった。エレサリア様から連絡があって、ラルフ様たちを聖宮に入れるように指示を出して、すぐに私は監禁されました。私の部屋に繋がれて。でもその時はそれだけだったのでまだマシでした。聖宮長ガリアスはあなたたちが水の精霊を解放するのを妨害しようとしたけれど、妨害が失敗に終わると、邪悪な火炎竜を降臨させました。都を、ガーデンを、計画通りに手に入らないならと邪竜に差し出したのです。挙句にガリアスは私を手駒としようとしてきました。私は最早ただ繋がれているだけじゃすまなかった。心身ともに汚されて、追いつめられた。あの場所で、聖宮の、離宮の、私の部屋だったはずの場所で! 私は聖宮を憎んだ! 聖女の地位を憎んだ! だから、全部捨てたかった! 私は後任になんか指名されたくなかった! エレサリア様の指名でなければ! 私をもう聖女として扱わないで! 私はあの場所に私を閉じ込めた元凶だと、あなたをそう思いたくないの! 私にエレサリア様を憎いと思わせないで!」
それはまさに狂った叫びだった。サリアの言うとおりだった。シーヌは傷ついていた。彼女はギリギリの正気で、狂気にまみれた心をもたせているだけだった。
そしてそれはまたエレサリアにとっても心を抉られる真実のようだった。エレサリアはシーヌから投げつけられた、激しい言葉を、愕然と聞いていた。
「ああ、シーヌ……私があなたに押し付けた役目のせいで、あなたが苦しんでいるのに、私にはどれほどの苦しみなのか全く想像もつかない……なんて無責任で、なんて愚かなの……ごめんなさい、シーヌ、ごめんなさい」
エレサリアはただ謝罪の言葉を繰り返した。
「見ての通りでね。彼女は今帰せないんだ」
そんな中で、サリアだけが淡々としていた。