第九章 聖女の決断(8)
螺旋通路をもう一度下ると、ルーサが言った通り、聖宮方向への通路とは逆の通路が姿を現していた。上を見ると、空は薄暗く、日が落ちようとしているのが分かった。
僕たちが通路に入ると、背後に岩肌が出現する。少し驚いて岩肌に触れようとすると、僕の手は壁をすり抜けた。念のために指輪を外してみると今度は岩肌に手が当たった。ルーサがこの洞窟の隠し通路の魔法を解析して、同じようにしたということだろうか。考えても分からない。僕たちは進むことにした。
穴はやや下り道になっていて、僕とシーヌは、足元を確かめながら進んだ。その頃になって、僕はやっとあることに気が付いた。
「あれ、今更だけれど、ひょっとしてシーヌも暗闇でも見える?」
とても今更な質問だった。洞窟以上に地下通路は真っ暗だったはずだし、僕たちは明かりを持っていない。シーヌの態度があまりにも平然としていたので、僕は今の今まですっかりそのことを忘れていた。
「本当に今更ね」
シーヌは笑って頷いた。
「いろいろあったし一杯一杯だったのは分かるけれど、いつ聞いてくれるのかなとは思ってた」
「ごめん。本当に大失敗だ。最初に聞かなきゃいけなかったのに」
本当に申し訳ないことをした。基本的な確認を怠るなんて自分が情けない。
「僕は暗闇のほうが落ち着くんだけれど、君はやっぱり明るい方がいいよね?」
「そうね。あればうれしいかな」
シーヌが頷いたので、僕は背負い袋からカンテラを出して火をつけた(書き忘れていたかもしれない。カンテラと油差しはレウザリムで滞在していた間に買い直した)。しばらく通路を進むと、脇に扉があって、シーヌが少し寄りたいと言うので、罠がないことを確かめてから扉を開いた。
中は岩をくりぬいたような空洞で、古い武器庫のようだった。たいしたものは収められていない。古びた木の盾や、腐って使い物にならなくなった革鎧、さびて脆くなった剣などがある程度で、ほぼ使い物にならなくなっていた。中には何本かぎりぎり使い物になる武器はあって、シーヌは一本のグレイブを武器棚から外した。
「あら。まだ使えるグレイブが」
片手で一回転させると、彼女は残念そうな顔をした。
「ちょっと状態が悪いかな。こんなところに放置されていたんだものね、使い物になるだけで良しとしないと、かもね」
念のため、とつぶやいて、彼女は壁に掛けられた木の円盾に向かってグレイブを真上から一閃させた。円盾が真っ二つに斬り裂かれて転がる。彼女は頷いた。
「まあ、大丈夫かな」
「すごい腕前だね」
そういえば、と、泥人形もグレイブを使っていたことを思い出した。肩当ての上から叩かれただけで骨にひびが入るくらいの痛打を受けたくらいだ。本物の彼女の腕前はそれ以上なのかもしれない。
「たぶんあなたには勝てないけれどね」
僕の視線に気が付いたのか、彼女はそう言って笑った。
武器庫を出る。
僕たちは、通路を進んだ。しばらく洞窟を進むと、小部屋のような空洞に辿り着いた。そこは一番奥の岩肌に、材質の分からない円盤が埋め込まれていて、魔法陣だろう円形の模様が彫られている。その中央には十字に並んだ水晶の八面体が埋め込まれていて、カンテラの明かりを受けて鈍く光っていた。
「これね。これだわ。間違いない。本で見た通り」
シーヌが何度も頷く。それから彼女は小部屋を見回して急に不安そうな声を上げた。
「動かしたら天井が崩れるとかいうことが、なければいいけれど」
「待って。調べてみるよ。仕掛けがあれば分かるかも」
天上を見上げながら僕は歩き回った。それから、シーヌに言った。
「グレイブ貸してもらえる?」
「ええ」
シーヌが差し出してきたそれを受け取り、天井を石突で軽く叩いてみる。流石は遺跡探検が趣味なだけはあるなと思った。
「いい勘をしている。崩れるね、これ」
「やっぱり」
シーヌも頷いた。たいしたものだ。聖女なんかよりもよっぽど向いていそうだ、と僕は舌を巻いた。
「この盤に連動してるのかな」
シーヌが首を傾げて言う。彼女の疑問はもっともだけれど、天井が崩れる構造からして、そんなに難しいものには見えなかった。
「違うかも」
壁を見回してみる。僕は罠の構造を理解した。これほど大掛かりな罠はなかなか触る機会がないけれど、大きさの割に構造は単純だ。分かってみればたいしたことがない罠だった。
「少し待っていて。できれば動かないでいてほしい。これはもっと単純な罠だ」
僕は床に這いつくばって、地面をたたき始めた。罠の大本を探すためだ。しばらく探し回ったあとで、僕は工具を荷物から取り出した。
「ここだ」
要は一定の床を踏むと崩れる罠だ。盤の周辺に圧力版が集まっていて、不用意に盤の前に立つと、それだけで天井が崩れてくる仕掛けだった。
「地面をほじくると、圧力版から繋がっているシャフトが見つかった。それを一本一本外していく。間違えてさわると天井が崩れてくるかもしれないと最初は思ったけれど、少し調べただけでそれは考えなくていいことが分かった。圧力版が踏まれると罠のロックが外れ、圧力版から慌てて足を離すと罠が動き出す仕組みだ。ロックがかかっている以上、シャフトをいじっても問題はないことが分かった。
見つけたシャフトをすべて外して、圧力盤を中心とした半円状に地面をほじくり返して移動した。何か所かで同様のシャフトを見つけて、全部外していく。罠につながっていた棒が部屋の中に積まれていった。そうやって部屋の床のシャフトを全部外してしまうと、僕は仕上げに圧力版を少し浮かせて、その下に石を詰め込んだ。
「いったん部屋から出てくれる? 念のために」
シーヌに声を掛けて、彼女が小部屋から出た後で、僕は一枚一枚、すべての圧力版を踏んづけ、上で飛び跳ねた。圧力版はガンガン音を立てたけれど、天井は崩れなかった。
「よし、全部外れたな。もう大丈夫」
僕が笑ってシーヌに声を掛けると、
「心臓に悪いからやめてね」
と、ため息をつかれた。絶対の自信があったからやったのに、少しショックだ。
「大丈夫だよ、ちゃんと解除したから試したんだ」
さておき、これで準備は整った。
シーヌは盤の前に立って、
「代々の聖女の皆さん、ごめんなさい。エレサリア様ごめんなさい。聖宮を守れなくて本当にごめんなさい」
シーヌはつぶやいて、水晶に触れ始めた。
「天を仰ぎ、地に思う。右手に花を、左手に雨を。我が心にて、聖宮を無に還さん」
そう諳んじながら、上、下、右、左、中央の水晶に触れていく。
「我が両手にてそれを示し、わが心にてそれを成す。天地に等しく祝福のあらんことを。雨ふる地に感謝を。花の咲く天に祈りを。私は聖女シーヌ。代々受け継がれし聖女の名をここに返します」
そう囁きながらシーヌはその言葉の通りに水晶に触れ、最後に盤の前で目を閉じた。すると。
『本当にいいのかな?』
洞窟の中に、誰かの声が響いた。
『本当にそれで良ければ、ボクの名を称える祝詞を、ここに捧げておくれ。ニューティアンでない珍しい聖女さん』
「祝詞」
と、シーヌが少しだけ考えて。
「知らないの?」
僕が心配して聞くと、彼女は首を振った。
「いえ、逆によく知っている言葉すぎて、祝詞として唱えるのにちょっと心の準備が。私も本で読んだ時はびっくりしたな」
そして、シーヌは、大きく息を吸って、吐いて、もう一度吸った。
「祝詞をここに奉じます。エ・レ=サリア」
『うん、確かに祝詞を受け取ったよ。古き契約の元に、ボク、シャドー・スワンプマン、サリアの名において、聖宮に終わりをもたらそう』
声が答えるのと同時に、壁の円盤に映像が浮かび上がる。狂戦士たちが警備している聖宮の様子だった。
次の瞬間、聖宮の周りの地面から泥が噴き出しはじめた。異変に気が付き、聖宮の中から狂戦士を引き連れた影が何人か逃げだしていく。彼らが去った直後に、聖宮はまるで竜の顎に飲み込まれるように、泥によってたやすく地中に引きずり込まれていった。
『滅びの約束は果たされた』
と、姿のない声は言った。
あっという間の出来事だった。
泥が去ると、聖宮はすべてなくなっていた。