第九章 聖女の決断(7)
竜の護符の目が輝いている。
それを見て、僕は、呼んでいる、と感じた。
それで、通路の脇にシーヌと並んで座って休憩にすると、矢筒から二本の矢を取り出して、炎と冷気の膜のスクリーンを作った。シーヌは僕の隣にぴったりくっついて座って、僕にもたれかかるようにして何が始まるのか興味深そうにのぞき込んでいた。
「呼んだ?」
映った少女に僕が声を掛けると、彼女はすこしひきつった笑顔で頷いた。
「サインの意味に、ええと、気が付いてもらえて、良かったです……」
ルーサは前と同じようにエルフの少女の姿をしていた。僕の隣に座ったシーヌが、不思議そうに画面の中の少女を見つめていた。
「ルーサだ。僕に子の護符をくれた竜だよ。エレサリアが予言で聞いたという、“竜の加護を受けている聖騎士”の竜の加護をくれているひとなんだ」
シーヌにルーサを紹介すると、僕はルーサに聞いた。
「僕の隣にいる人も見えているのかな」
「はい。すこすだけ、本当に少しだけ、距離が近すぎるかしら、とは思いますけれど、ええ、はっきり見えています。いえ、まだ私はあなたにとって直接会ったこともない竜ですから、私がどうこう言えたことではないのでいいのです。本当に、ええ。それにそんな時でもないですし、そのままでいてくださって、ええ、全然かまわないのです。全然」
怒っているというより、狼狽えている、といった表現がしっくりくるような様子で、ルーサは僕たちを凝視していた。彼女の目はずっと驚きに見開かれていて、それは間違いなくいい方向に驚いている目ではなくて、僕は自分がルーサに何を見せているのかやっと気が付いた。
「ごめん、でも許してほしい。シーヌはずっと囚われていたんだ。少しでも不安な気持ちが和らぐならと思って」
けれど、僕が謝った言葉に、ルーサは少しだけ目を伏せて、大きなため息をついた。
「分かりました。今は気にしないことにします」
「ありがとう」
僕が礼を言うと、ルーサはすこしだけ苦い顔をした。それから彼女は、しばらく気持ちを落ち着かせるように大きく深呼吸してから話し始めた。
「そのまま外に出ては駄目です。私が把握できる限り、奥の縦穴の底に、落盤か何かで塞がった通路があります。入り口を塞いでいる岩石を破壊するので、そちらにいったん逃げ込んでください」
「敵がいるの?」
僕はルーサの深刻そうな声に、恐ろしく危険な何かがいるのだと悟った。彼女は僕たちと敵を鉢合わせたくないようだった。
「はい。私はあなたが戦っている敵を知っています。彼は、火炎竜レダジオスグルムという邪悪な竜です。外世崇拝のカルト組織を手下として持ちますが、彼自身には外世崇拝には興味がありません。彼が欲しているのは、ただ他者の破滅と滅亡、そして奪うことだけ」
火炎竜。赤い鱗を持ち、都市を焼き尽くすほどの猛火を吐き、強大な魔力を操る邪悪な竜と知られるドラゴンの一種。ほとんどの個体が破滅的かつ貪欲な性格をもつことで知られる存在だ。
「レダジオスグルムは一度手に入れたものを、他者に奪われることを極度に嫌います。あなたがシーヌを離宮から連れ去ったことで、彼は今激怒してあなたを追いつめようとしています。しかし、彼は非常に気まぐれな性格もしていて、数日もすれば失われたものの執着をなくし、帰っていくはずです。それまでは身を隠してください。その洞窟はすでにレダジオスグルムに気づかれていますが、彼には入り口を見つけることができていません。今のうちに失われた洞窟を進み、その中で一夜を明かすつもりでいてください。失われた洞窟から出ることはできませんが、そこであればレダジオスグルムの目から逃れられるはずです」
それから、彼女は一度スクリーンの外を見て、誰かに頷いた。そしてもう一度僕たちの方を向くと、こう続けた。
「レダジオスグルムは私の長年の宿敵でもあります。砦に戻ることができたら、私の協力者たちを招集しているので、援軍到着まで防戦に徹して耐えるように伝えてください。とはいえ、申し訳ないのだけれど、私の戦力を援軍として送れるまでにはまだ時間がかかります。自棄は起こさないよう、くれぐれもお願いしてください」
「分かった。ありがとう」
援軍の情報だけでも朗報だ、と僕は思う。もとよりガーデン軍の今の戦力では討って出ようがないし、先行きに少しでも明るい話題があることは助かる。
「それから、聖女シーヌ」
不意に、ルーサがシーヌに声を掛けた。自分の名前が呼ばれた理由が分からず、シーヌは驚いた表情で、ルーサを見た。
「この先、もし、あなたがこうしようと思うことができた時には、躊躇わないでください。あなたの決断はきっと正しいから。ラルフをよろしくお願いします」
そう言って、ルーサは深々と頭を下げた。
「それは」
言われた内容に心当たりがあるのか、シーヌは言葉を詰まらせながら、聞いた。
「聖宮の謁見室のポータルについてと考えて、良いのですか?」
「あなたの決断に響くといけないので、内容は話せません。けれど、直に分かります。すぐに」
ルーサは詳細を話さなかった。しばらく二人は無言で凝視しあっていた。それから、シーヌが頷いた。
「分かりました。内容は聞きません。心に止めておきます」
「待って。それはシーヌの命に関わったりはしないよね? だとしたら僕には捨て置けない話なんだけど」
一抹の不安を感じて、僕は口を挟んだ。
すると、ルーサが、そして、シーヌもくすくすと笑った。
「それなら私も捨て置きません」
ルーサが答えた。
「私もそんなに簡単に命は投げ捨てられないよ。せっかくあなたが助けてくれたのに、そんな末路は嫌。それは勘弁して」
シーヌも首を振った。
「たぶん間違っていないと思うから、今話しておきます。私は囚われていた間に、聖宮長のガリアスからいろいろな絶望的な話を聞かされ続けたの。その中で、ガリアスは聖宮の謁見室に異界のゲートがあって、そこから狂戦士は無尽蔵に増強できるのだと言っていた。だから、ゲートをなんとかしなければ、ガーデン軍に勝ち目がない状況なの。けれど、私はそれを破壊する方法について心当たりがあるの。秘密の脱出路について、古い書物を見つけて読んだことがあるのだけれど、その本で、秘密の通路のどこかに、聖宮内に侵入した敵を一網打尽にできるほどの、とてつもないものがいるってことを読んだことがあるの」
静かに、シーヌは僕にそう教えてくれた。
「きっと、私の決断というのは、これから行く、失われた洞窟にそれがいるって話だと思う。だから私は、迷わない。私は聖宮を壊してと頼みます。ぺちゃんこになっちゃえ」
「え」
ぺちゃんこ。僕は言葉をのんで、その意味を理解しようとした。というよりも、理解はできていたけれど、それはとんでもないことになるということを意味していて、感情が追い付かなかった。
「ええと、確認したいんだけど、それって」
「ええ。最後の手段。お願いしたら最後、本宮、離宮、全部倒壊。全部ぺちゃんこ。きれいさっぱり。いい気味やったね!」
半分冗談みたいにシーヌがいうけれど、それはとても恐ろしい仕掛けだ。間違って発動したらとか、いろいろ心配になった。だいいち。
「その本って、聖宮長も読んだりしていないかな? 大丈夫?」
「それはないと思う。私、辺境探索が趣味でね、ストレスたまるとふらふらっと出かけてたの。それで、その本は辺境の遺跡にあったんだけど、一通り自分で目を通した後で、あまりに重大な内容なもので、防衛部隊も知っておいた方がいいだろうと思ったの。都に帰ったその足でランディオに預けたから、聖宮長は存在も知らないはず。うん、間違いなく知らない。聖宮には持ち帰っていないもの。聖宮の誰かに読まれたらパニックになりかねない内容だったし、聖宮には置いておかないほうがいいかなと思ったから。私偉かった」
「その通りです。全部把握されてしまいましたね」
と、ルーサが笑った。
洞窟の奥の方から、何かが崩れる音が聞こえて。ルーサの顔を僕が見ると、彼女は大きく頷いた。
「崩れた道に入れるようにしました。さあ、行ってください」
同時にスクリーンがゆがみ始めた。魔法が限界だ。僕たちは頷いて、立ち上がった。