08
「結論から話そう。」と彼は切り出した。
【草木も眠る丑三つ時】というわけではないけれど、そう感じてしまうくらい、18時代と思えないくらい、外は静かだった。いや、実際には音は聞こえていた。しかしそれがあまりにも気にならなかった。気にならないくらいの集中力で私は彼の話を、彼の見解を聞いていた。
「まず、君はまだ化け物ではない。かろうじて人間だ。化け物なのは1年前と全く同じ姿をしている。【そいつ】だよ。」そう言って彼は私の背後を指さした。私の影を指さした。
それに対して私は何も言わない。何も言えない。
彼は続けた。「僕が1年の間でわかった事はたった1つ。君が【そいつ】との約束を遂行しないと、【そいつ】はまた別の奴の所に住み着く。そしてまた【そいつ】は同じ約束を同じ様に言うだろうね。そしたらまたあの時と同じ事が、何処かで起きる。」と彼は言った。最後の部分に関しては、言い切った。
私は口を開いた。「あなたは、その1年の間にどこで何をしていたんですか?」私は聴いた。
「まぁ砕けた言い方をすれば【逃げていた】かな。」
「何からですか?」
「主に【面倒事】からだよ。ほら、僕の体質知ってるでしょう?【照れやすく】また【照らされやすい】んだよ。相変わらずね。」彼はそう言いながら笑った。
「だからと言って、君が持ち込んだ【面倒事】からも逃げるほど、僕は薄情な人間でもないからね。」
それは知っていた。彼は自分で決めたことには最後まできっちりとけりをつける。そういう人だ。
「ほら、これをあげるよ。」そう言って彼はスーツの胸元から1枚の札を私に差し出した。
「これは?」
「【約束を遂行しやすくするお札】だよ。京都に行ったときにもらったんだ。まぁ無いよりはましだと思うよ。」
「座敷さん、京都に行ってたんですか?」私は聴いた。
「あぁ、良かったよー清水寺。あそこから飛び降りたらそりゃ気持ちいいだろうね。」
「やめてください。ニュースで知り合いの自殺報道を見たくはありません。」
「はは、そりゃそうだ。」彼は笑っていた。
「18:45か...じゃあそろそろ帰るとするかな。女子大生の1人暮らしに長居するのも気が引ける。」
「夕飯まで食べた人がそれ言いますか。」私は言った。少し呆れながら、少し懐かしみながら。
彼は玄関で靴を履くと、振り返って私に言った。
「あぁ、そうそう言い忘れるとこだった。昨日神鬼君に会ったよ。なんかスケッチをしてたかな。」
「あぁ、それ多分課題のヤツですよ。私も彼も美大生だから。」
「あーなるほど。そういえば相変わらず、【あれ】も一緒だったよ。」
「【あれ】って...あぁ、【あれ】ですか。まぁいつも一緒に居ますから。」
「まったく...君達はいつまでも変わらないんだね。お兄さんホッとしたよ。」
彼はドアノブに手をかけて、ドアを開いた。
外は5月ということもあるからか、寒くもなく暑くもない風が私と彼の間を吹き抜けた。
「最期に1つだけ言っとくよ。君はいつでも【それ】を見捨てられるんだ。君だけじゃなく、神鬼君もだ。お兄さんとしてはそれも忘れないでいてほしいかな。」
彼は言った。振り向きはしなかったけれど、確かに彼は言っていた。
「はい、わかってます。」嘘だ。私は嘘をついた。あまりにもわかりやすく。あまりにも白々しく。
「そっか、なら良かった。」
そう言って彼は帰って行った。私の嘘など無かったかの様にして。私の白々しさなど知らない様にして。彼は帰って行ったのだ。
時刻はすでに19時を回ろうとしていた。