11
昼を過ぎて、国を立とうとしたライラ達一行を待ちかまえていた姿があった。
何故か旅支度を調えたサイディス国王だった。
サイディスはライラと初めて会った時同様にどこにでもいそうな傭兵の衣装に身を包み、大きな剣を背負っている。
彼はライラ達を認めると片手を上げて合図をした。
「ノウラから、ライラへ礼を預かってきた」
「お礼?」
「ユクも、自分も助かったのはライラのおかげだと。……君にはそのつもりはなかったのかもしれないけど、俺の婚約者の気持ちだ。良かったら受け取ってはもらえないだろうか」
そう言って差し出してきたものをライラは受け取る。
断ろうと思ったが、そう言う言われ方をしてしまえば受け取らざるを得ない。彼女が何を自分に持ってきたのかは見当が付かなかったが、彼女の性格を考えれば旅に役立つものを何か考えてくれたのだろう。大きさから恐らく短剣の類ではないかと想像が付く。
受け取るとそれは大きさから予測していたよりも軽いものだった。
ライラは包みを開いて少し驚く。
木製の短剣だった。
細かい細工が施されており、木製にもかかわらず宝石が埋め込まれていた。書簡を開くためのナイフのようでもあったが、それが何であるのかを悟ってライラは慌てて首を振る。
「受け取れないわ」
「もう遅い、受け取った時点でそれは君のものだ」
「……知っていれば受け取らなかったのに」
ライラは木製の短剣を見つめる。
それを覗き込んだユーカが不思議そうな顔をした。
「何? これ、何かあるの?」
「普通は男の人にあげるものよ」
木で作られた短剣。女同士ではいけないということもないが通常は旅立つ男と恋仲の娘がその無事を祈って渡すものだ。昔はユクで作られたものだったらしいが、今では普通の木で作られている。ただこれは古さから察するに本当にユクで作られているのだろう。
意味は「あなたが死んでしまえば私も命を絶ちます」という脅迫にも似た誓い。無論渡したからと言って必ずそうするわけではないが、それだけ思っているのだと伝えるためのものなのだ。そして、受け取っておいて拒否するのは相手に死ねと命じるのと同じ事。
本来ならばサイディス国王が受け取るべきものだ。
「ディロードの家で代々受け継がれているもの?」
「そのようだな。俺としては少々腹立たしい」
言った彼の表情はからかっているようにも見える笑顔だ。
そして続ける。
「腹立ちついでに頼みたいことがあるのだが。……俺も一緒に行かせてはくれないだろうか」
「……………………はい?」
言われたことが飲み込めずにライラが問う。
「だから、お前達はサラブに向かうと言うのだろう? だから、俺も同行させろと言っているんだ」
「ちょっと待って、貴方、自分の立場……」
「分かっている。だからこそ、行くんだ。そもそも自分の立場云々は男と思われていることを良いことに好きかってやっているティナの十三には言われたくないことだが?」
ライラは言葉を詰まらせる。
確かにその通りだ。
はぁ、と息を吐いたのはジンだった。
「エテルナード王を連れて旅なんか出来るか」
「王族と思うなら少しは敬った言葉を発したらどうだ?」
「では陛下を連れて旅など出来ません、そう申し上げましょうか?」
慇懃無礼な言葉に彼は苦笑する。
「いい、何故か妙に気持ちが悪い。前にお前と飲み交わした時も思ったが、お前の言葉は敬っているようには聞こえない」
「敬ってないんじゃないの?」
ユーカの言葉に男二人が苦笑する。
サイディスは頭の後ろを掻きながら言う。
「……どっちにしても、必要でなければイディー・ヴォルムとして行動しようと思っている。言っておくが、今回は無断ではないぞ。弟も、ノウラも承知している」
その上でノウラが短剣を彼に預けたのなら、これ以上言う必要はないのだろう。彼が自分の身も自分で守れないようなら反対もしたが、彼は強い。魔法の心得こそ薄かったが、剣の腕や力強さを見せつけられればライラが心配するのも失礼だろう。
「……一応反対するわ、私は」
「反対してもついて行くぞ、俺は」
「でしょうね」
ライラは笑う。
「んー? じゃあ旅の仲間もう一人増えるって訳?」
「そうみたいね」
ライラが言うとユーカがふふふ、と笑う。
「こうなると、ジンくんがまた大変になりそうだよねー」
「ああ、頭が痛いな」
「………ジンくん、分かってないでしょ」
何がだ? とでも問いかけるようにユーカを見たジンをからかうように、少々呆れたとでも言いたげに腰に手を当てる。
「これはある意味手強そうだ」
「何の話をしているのよ」
苦笑してライラがたしなめる。
先が思いやられる。
だが、同時に孤独な旅では無いことを安堵した。
この四人の出会いが、後に世界の運命をも揺らす事になることはまだ彼女たちも知らなかった。
それはもう少し後の話である。
※ ※ ※ ※
ライラ達がエテルナードを立つ頃、一人の男が異界魔王城に現れた。
床に描かれた魔法陣から現れた男の髪は、熟成された葡萄酒を思わせる色をしている。その目は冷たさの混じる金色、そしてその顔には大きな傷が刻まれている。
お帰りなさいませ、と出迎える異形の女達は彼にすぐさま青い外套を肩に掛け、歩いて進む彼の妨げにならないように順序よく変わりながら彼に略式正装をさせる。
赤い髪の男、リオリードはふと立ち止まる。
目の前には山吹色の髪の男が立っている。男は腕組みをして彼を見た。目つきの鋭い男だった。にやりと笑った口元がまるで友人に声をかけるような気軽い声を出す。
「戻ったな、傷の旦那」
「変わりないか、ノアーズ」
「こっちは相変わらずだ。……それよりのぞき魔から報告受けている。アンタ、接触しちまったみたいだな。例の、あの娘と」
ああ、とリオリードは頷いた。
「そのことに関して報告に上がる。……陛下はいつもの場所か?」
「あー、旦那の帰りを今か今かとまっておられました、と。……嫌がらせされないよう重々気を付けるんだな」
嫌味っぽく言う男を睨み付けて、リオリードは「いつもの場所」へと向かった。
その場所は彼に用でもない限りは誰も立ち入らない場所。
魔王城の中で、最も静かな場所だ。
その場所に立ち入るとまるで人形のような男が佇んでいた。
長身で恐ろしく細い身体。漆黒の髪は腰の辺りまで伸ばされており、その瞳はまるで画されるように赤い布で覆われている。
男はリオリードの気配を感じ顔をそちらへと向けた。
目隠しをしているが、彼には見えているようだった。
その口が、ゆっくりと開かれる。
「……」
声を発したのか分からないほど僅かな音が漏れる。
リオリードは苦笑した。
「仕方なかったんだ。……分かってる、反省している。いや、大丈夫だ、ヨハ・アジェからの報告にもあっただろうが、その辺りは何も問題はない」
目隠しの男がゆっくりと手をあげる。
来いと言っているのだ。
リオリードは近づき、その目隠しの奥にある瞳を見るかのように真剣な眼差しを彼に向ける。
「……兆しはある。だがまだだ。それに、確証はない」
「………」
「何だ、俺を心配していたのか。相変わらずだな、お前は」
呆れたように言う彼の表情は優しい。
まるで弟を見るような顔だった。
「俺は大丈夫だ」
「……」
「そうだな、まだ調べるべき事がある。もう一度あちらへ戻る」
くるりと踵を返した男に向かって、黒髪の男はようやく声と言える声を出した。
その声は低く、無機質で、感情を伴っていないようでもあったが、一度聞けばそのまま引き込まれてしまいそうなほど妖艶な声音だった。
「リオリード」
名を呼ばれて彼は立ち止まり振り向く。
「……かの娘を」
言われて彼は暫く男の顔を見つめていた。
そしてやがて笑みを浮かべて恭しく頭を下げた。
「……仰せのままに、魔王陛下」
第一部 エテルナード編 終