39.I wish
四年半も放置してしまい申し訳ありません。
「裏切り者っ!」
その叫び声で、シロはハッと目を覚ました。
聞きなじみのあるその声の主は目の前にいる。
いつの間に空色のコートから着替えたのか、目の前の彼女は山吹色のコートに袖を通していた。
「動くと小僧の命はないよ」
老人、いや老婆の声。
しゃがれていても尚みなぎる声量だった。
間髪を入れずに老婆は、傍らにいる人物に渇を入れるかのような指示を出す。
「レイン。しっかり押さえときな」
「はい」
打って変わって高い声で返事をしたのは背の高い女子生徒。
名前の響きが三年生のレイに似ている。
が、一目で別人であることが分かった。
「青」い短髪のボーイッシュな少女。
そして彼女がナイフを片手に拘束している人物の存在に気付く。
フレッドだった。
学園祭に向けて髪を赤く染める以前の黒髪姿。
気絶しているようで、羽交い絞めにされたまま動かない。
レインと呼ばれた少女のナイフを持つ手と逆の手首に装着された腕輪が、妖しく青い光を放っている。
「ヒナゲシ。シャクナゲ。魔力の放出を続けろ」
「はい!」
次に名前を呼ばれた二人の魔法使い。
パキッと威勢よく返事をした「赤」い髪の少女と、少し引いた位置で口を横に結んだままの「緑」の髪の少女。
各々マジックアイテムと思われる小刀と杖を片手にあのロロロを制している。
不思議な形をした杖だ。
持ち手の部分は一本の木なのに、途中で枝分かれしてダイヤの空間を作り、再び一本の木に戻ろうとしているような形状。
残りの二人が持つ腕輪や小刀と比較して、印象的な形をしていた。
魔力の放出を続けながら、「緑」が「赤」に話しかける。
「ヒナちゃん。やめようよこんな事」
「うるさい! 黙って手を貸しな」
ここに至るまでになにがあったのか知らないが、顔は痩せこけ服もボロボロの二人。
ヒナゲシあるいはヒナちゃんと呼ばれた「赤」の少女も傍目からは立っているのがやっとといった印象を受ける。
一体なにが起きているのか。
フレッドとロロロが面識のない四人の魔法使いに襲われている構図。
四人の中のリーダー格と思しき老婆は真っ黒い三角帽子に真っ黒いローブ姿。
ステレオタイプな魔法使いといった風貌をしている。
首元にも両耳にも両手首にも、色とりどりに光る宝石のようなものをジャラジャラと身に着けている。
黒地のローブには五つの角を持つ「黄」色のスターがデカデカとプリントされている。
あまりにも大きいので実際には二つの角は視認できないが、あれはいわゆる星のマークだ。
「青」「赤」「緑」の三名も一様に漆黒のローブを羽織っている。
その下の服装も皆似たり寄ったり。
まるで同調意識を高めるかのように統一的だ。
タイトスカート、フレアスカート、パンツスタイルとそれぞれ個性は主張している。
それらもすべて膝上丈で揃えられており、それだけに「赤」の少女の太ももに大きなヤケドの痕が覗いて見えるのは気持ちの良いものではなかった。
辺りがぼんやりしている。
石畳の校舎の屋上にいたはずなのに一転して深い森の中だ。
これもロロロの白魔法か?
それともアップルの炎の直撃を浴びていよいよ違う世界に来てしまったのか?
その答えが提示されることもなく、ロロロは叫ぶように尋ねた。
「なんでこんなことするんですか。ティンカ先生」
ティンカと呼ばれた老婆は何も答えない。
代わりにとばかりに口を開いたのは「赤」の少女だった。
「白の魔法使いはモッテモテなんだよ。あーうらやましい!」
語尾をぶっきらぼうに強めて語る。
その口調からはヒナゲシの本音が零れ出しているように見えた。
だがしかし。
そんな彼女の後ろに大勢居る者達の存在に気付いた瞬間、背筋が凍り付くような感覚に襲われた。
いつから待機していたのだろうか。
この場の魔法使い達から離れた茂みの奥に、見える限りで三十人以上はいる。
皆一様に沈黙を守り、木陰に寄り添うように佇んでいる。
ロロロ達から身を隠しているようにも見えない様子で、時折言葉を交わしつつこの場を静観している集団。
見覚えのある甲冑姿。
そして見慣れた紋章。
魔法学園に入学する以前、国境付近の実家に住んでいた頃に何度も目にした。
あれは大陸有数の国土と兵力を有する隣国、イリスア帝国の軍隊のものだった。
その間にもロロロは身動きが取れずにいた。
ヒナゲシとシャクナゲ。
上級生二名からの魔力干渉も、ロロロなら物の数ではなかっただろう。
しかしながら後輩が人質に取られているこの状況がそれを許さない。
より一層の力を込めて締め上げて見せながらレインは脅すように言い放った。
「抵抗するなロロロ! この一年がどうなってもいいのか」
その時!
森から悲鳴にも似た怒号と爆音が鳴り響く。
空間が小刻みに縦に揺れ、土の匂いを含んだ風が勢いよく流れ込んでくる。
どうしたどうしたと現場に緊張が走る。
するとほどなくして森の中から一人の甲冑の男が飛び出してきた。
「ウルスラの兵隊がすぐそこに!」
イリスア帝国を語るうえで隣国のウルスラ民国を外すことはできない。
衝突を繰り返す両国の争いがこんな所にまで伸びてきている。
ティンカの表情が険しくなる。
右手を威勢よく前へ掲げ、指示を送る。
「直ちにロロロを拘束しろ!」
一段と檄の入った命令に、皆の表情にも力が入る。
その時だった。
「もういやっ!」
この作戦に唯一消極的な態度を見せていた「緑」の魔法使い。
シャクナゲが突如そう叫び、杖を投げ捨てる。
ロロロを押さえつけていた二人分の魔力は半減した。
しかし。
状況はなにも変わりはしなかった。
自らの役目を放棄して泣き言を漏らすチームメイトを一瞥し、ヒナゲシは叫んだ。
「弱虫! 私一人でもやってやる」
右手の小刀に、左手を添えて持ち直す。
炎のエネルギー放出が強くなる。
それでもすぐに限界が来た。
抜けたもう一人分を穴埋めするまでには至らず、全身がガクガクと震え出す。
熱風を受け続けているのに汗が一滴も吹き出ない。
全身高温状態の中、それでもヒナゲシは魔力の放出を止めない。
「ヒナやめて! このままじゃ貴方の命が」
「やれヒナゲシ! お前の命に代えてもこいつを逃がすな」
友人と恩師、二人の言葉。
願いと命令。
相反する二つの道標に、彼女は行動で示した。
「ぶっつぶす」
小さく声を漏らすヒナゲシ。
そして覚悟を決めたように大きな声を発する。
「私の、命に代えても!」
その時だった。
彼女の太ももからのぞくヤケドの傷痕が突如、彼女が握りしめている小刀と同じ光を放ち始めた。
フレイムタトゥー。
これもれっきとしたマジックアイテムだったのだ。
第十一章にも書いたが、命の危険を伴う行為だ。
マジックアイテムを二個持つのがどういうことか。
誰かがつぶやいた。
「黒の魔法使いが生まれる」
兆候はすぐに現れた。
ヒナゲシが放出する魔力がドンッと倍増する瞬間があった。
シャクナゲが外れた穴を補って余りある炎がたちまちロロロを飲み込む。
ほどなく、苦痛を訴える術者自身をも飲み込みなおも炎は膨張する。
急速に広まりながら、徐々にその炎は黒みを帯びていく。
「びぃやああああ!」
聞こえてきた声は、少女のものではなかった。
ましてやそれは人間のものでもなかった。
人間の少女に悪霊が取り憑く映画を見たことがあるが大筋はその時の光景に似ている。
違うのは、彼女の全身から真っ黒な炎が噴き出していること。
次第にヒナゲシは苦しみに耐えきれなくなったように地面にうずくまった。
その時に折り曲げた両膝が、ボキンと鈍い音を立てたのを聞いた。
彼女の両目と思われる箇所からは粘度を保った液体が溢れるように流れだす。
辺り一帯はいつの間にやら黒い霧に包まれていた。
視界は遮られ、皆の表情をうかがい知れない。
声と物音はやけにダイレクトに伝わってくる。
ビュオオと勢いを増した風が切り裂いて進む音。
ガヂャガヂャと甲冑の集団が近づいてくる音。
ボッボッボッボッと、「赤」の魔法使いが居た場所から断続的に発生する破裂音をBGMにして。
辺り一帯を黒いもやもやが包み込む頃。
七色の光の束が突如降り注いだ。
依然として大声を張り上げるティンカ。
ボロボロと涙を流して彼女の名前を叫ぶシャクナゲ。
堰を切ったように押し寄せるウルスラ兵隊と、それを迎え撃つイリスア兵隊。
この場一帯の光景がギューンと急速に視界から離れていく。
「ティンカ班はどこへ行った?」
「一年の子はまだ息がある。すぐに学園に」
「まるで戦争じゃないか」
さきほどまでとは違う声が次々と耳に入ってくる。
まばゆい光の端々から、大勢の人間がドタバタと行き来する様が見て取れる。
光の束が落ち着くころ。
そこにはたった二人の人間がいるだけだった。
フレッドもティンカ達も甲冑の集団も居ない。
山吹色のコートを着ていたはずの彼女は、再び元の空色のコートを羽織っている。
シロは、この光景を見せたと思われる目の前の人物に聞きたいことがあった。
しかし。
あまりにも聞きたいことが多すぎてとても要約はできなかった。
何から尋ねればよいのかもわからない。
「夢じゃないよ。これは現実に起きたこと」
ロロロが話す。
今しがた目の前で繰り広げられていた出来事の説明を。
魔法学園の教師が生徒を他国に売り渡していたこと。
「赤」の魔法使いの生徒が、「黒」の魔法使いに変化したこと。
一連の事件にフレッドが巻き込まれていたこと。
「やっと同じ景色が見れたね」
今度はニコッと口元を緩めて笑いかけて来た。
しかしながら表情はぎこちないままだった。
「この出来事は、水晶を通してミスティも見ている。バディを通じてレイにも伝わってる。みんな心を痛めてる。みんな苦しんでる」
「魔法使いがいるから。僕らが悪魔だから」
シロはそうつぶやきながら、あの日の言葉を思い出していた。
魔法使いとは、悪魔の法を行使する者だと。
人間の世界に悪魔がいてはいけないと。
そのことを自覚しつつも消えたくないと願っていたあの日のロロロの姿が重なる。
聞きたいことは山ほどあった。
「黒」に染まったヒナゲシはどうなった?
ティンカやレインはどこへ行った?
それに逆らったシャクナゲは?
ロロロとフレッドはどうやって助かった?
被害者同士の二人がなぜ今は仲違いをしているのか?
なぜロロロは今、ルービックスと名を変えたティンカと繋がっているのか?
これら全ての疑問を、今は傍らに置いていくことを決めた。
どれだけの言葉を並べても意味がないからだ。
どんな大義名分があろうと、ロロロがしでかした事は大きい。
大切な仲間を傷つけた罪は消えないからだ。
石畳の屋上のあちこちで火が燃えている。
視界の端に、うつ伏せに倒れて動かないフレッドを捉えていた。
その近くからはぐすぐすと泣きじゃくるメローネの涙が聞こえてくる。
白魔法で学園上空に飛ばされてもなお平然と着地しているアップルも、ケガがなさそうでなによりだ。
校庭で戦っているサイダーとサラサ、アイリーフ。
渡り廊下で助けてくれたエルザとモカ。
そして。
そして、つらい過去を乗り越えて今ここにいるロロロ達。
一つだけ予想のついていることがシロにはあった。
ここに来るまでにフレッドが話していた、ロロロの「白」魔法の洗脳を突破する方法について。
フレッドと自分。
そして先ほど見せられた過去の光景と、現在のこの屋上の状況を照らし合わせることでその予想はほぼ確信めいたものとなっていた。
色なんて関係ない。
もっと、ずっと単純な理屈だったのだ。
それがわかった今だからこそ、シロは今度こそ堂々と彼女に伝えることができる。
「ロロロさんの宿題の、答えが見つかりました」
まっすぐ向き合いながらシロは言った。
夏休みに出された彼女からの宿題。
魔法学園入学初日に告げられたのは、学園によって決められたバディとなる上級生の名前だった。
「赤」の魔法使いフレッドと、「黒」の魔法使いシロがバディを組まされた理由。
入学してからこれまでの七ヶ月間の経験を踏まえて。
シロの答えはもう、この一案以外に出てはこなかった。
「聞かせてよ」
少しだけ、いつもの優しい口調に戻っていたような気がする。
ロロロの目尻が少し赤くなっていることを気に留めながら、シロはポツポツと語り始めるのでした。
最終回に続く。