第25話 最後の視力
第二章ラスト。ここから先は戻れません。
狩猟祭の前日。
リーゼは、完全な闇の中で、未来視だけを頼りに生きていた。
数秒先を視ることで、歩く。障害物を避ける。人の顔を、未来視の映像で「見る」。
代償は、確実に第三段階に入っていた。
朝、呼びかけられた時のこと。
「リーゼロッテ様、朝食です」
「ありがとう——ええと」
名前が、出なかった。一瞬。
「——マリア」
「はい」
「ごめんなさい。少し、寝ぼけていたわ」
嘘。
マリアの名前が、一瞬、消えたのだ。
記憶の、欠落。
第三段階の、始まり。
リーゼは、恐怖を飲み込んだ。今は、狩猟祭に集中する。
* * *
三つの手は、整っていた。
アレクシスは、狩猟祭の警備配置の最終決裁権を勝ち取った。宰相の作った配置図を「確認する」という名目で、穴を塞いだ。
エルヴィンは、ランベルト騎士団の精鋭を森の外縁に配した。参加貴族の護衛という名目で、自然に紛れ込ませた。
セレナは、エルヴィンの拠点に匿われていた。宰相はセレナの裏切りを確信し、計画を、さらに急ぐことになった。
全部が、加速していた。
* * *
前夜。
リーゼは客間で、未来視に集中していた。
明日の森。全ての経路。全ての死角。暗殺者の位置。毒矢の放たれるタイミング。
一つずつ、脳に刻む。
頭が割れるように痛い。鼻血が、止まらない。白髪は——もう、髪の全てが白い。純白の、銀の髪。
そして、記憶が、少しずつ欠けている。
ヴェルナー領の風景が、ぼんやりしか思い出せない。学校の子供の声。水路工事の現場。孤児院の——
孤児院の、何だった、か。
「……やめて」
消えていく。
自分が守りたかったものの、記憶が。
未来視は、止まらない。視れば視るほど、過去が流れ去る。未来のために、過去を支払っている。
扉が、ノックされた。
「リーゼ嬢」
エルヴィン。
「入って」
足音で、位置がわかった。
「明日の配置、確認しました。準備は万全です」
「ありがとう」
「リーゼ嬢。——正直に、お答えください」
「何かしら」
「あなたの身体は、明日まで、保ちますか」
沈黙。
「保たせます」
「それは、答えに、なっていません」
「私にできる、精一杯の答えですわ」
エルヴィンが、リーゼの隣に座った。
「明日が終わったら、もう——力を、使わないでください」
「……ええ。明日が最後。——今度こそ、本当に、最後」
「前にも、同じことを仰いましたよ」
「今度は、本当よ」
一拍。
「だって——明日の後は、視る力も、残っていないかも、しれないから」
リーゼは、見えない目で、エルヴィンの方を向いて、笑った。
エルヴィンが、リーゼの手を握った。
温かい手、だった。
——この手の感触だけは、記憶から、消えないでほしい。
そう、祈った。
第二章、完。
記憶が欠け始めるリーゼ。マリアの名前が一瞬出てこないシーン、書いてて鳥肌立った。
寝ます。今日食べたもの:鍋の残り。一人暮らしの鍋は二日目がうまい。




