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鳳凰記  作者: 新野 正
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落胆軍師



それから幾日か過ぎた日、あれから自室で床に伏せている紅夜の下へいつも通り足繁く通う陽奈の姿があった。

「高桐さん! 御加減のほどはどうですか?」

 なんとか紅夜を元気づけようと気合を入れるが如く部屋の前で一呼吸整えた陽奈が、明るい口調で部屋の中へと入り、床に伏せたままの紅夜に話しかける。

「ああ、陽奈か、毎日気に掛けてくれるのはありがたいがな、いつも通り体調は優れないままだ」

「……そうですか? そうは見えませんけど?」

 陽奈は布団の横に置いてある昼食の食器たちが米粒一つ残ってない様子に目をやりながらそう聞き返す。

「生きてる限り、戦場で剣を振ろうが、床に伏せていようが、腹は減るもんだ」

 少しは、ばつの悪そうな表情を浮かべるが、紅夜はすぐに開き直るようにそう言い切る。

「それはそうですけど、今は戦の最中ですよ。七條方との最終決戦も間近と言われてます。もし、御加減がいいんであれば、また、わたしに軍師として力を貸してくださいよ」

「……必要ないさ、俺の力何て」

「そんな卑屈なことを言わないでくださいよ」

 まるで駄々をこねる子供のように紅夜に掛かっている布団を握り軽く揺する。

「そんな子供みたいなことするな、別に卑屈になっているわけでもなければ拗ねているわけでもない、本当にそう思ってるんだ」

「……どういうことですか?」

 少し真剣な口調の紅夜に陽奈は心配そうにそう聞き返す。

「そのままの意味だ、七條軍はすでに七條方に成り下がり、多数いる式兵も指揮している武将たちの霊力ではまともに戦えない、そしてそれは七條方の武将たちもすでに分かっていることだ。すでに勝敗は決している。あとは治意殿が七條方の諸将に呼びかけ、内々に裏切りの密約を結べば残党の掃討戦は戦わずして勝てるだろう。故に俺の出る幕などないどころか、俺が居れば治意殿もやりにくいだろう(それにあの夢以降、気落ちしているのも本当だしな)」

 陽奈にも今の戦況はわかっている。紅夜の力がなくても鳳ヶ崎家の勝利に疑いの余地はないと、それでも陽奈は紅夜の心の傷を知っているが故、なんとか元気を取り戻してほしいと思いそう言ったのだが、上手くいかずどうしようかと言葉に詰まっていると部屋の戸の先から咳払いが一つ聞こえてくる。

「よろしいかな?」

 開かれたままの戸の先に居た修立はそう言って入室の許可を求めたので紅夜はすぐに修立を招き入れる。

「治意殿、盗み聞きとはたちが悪いのでは?」

 紅夜は上体を起こし足元に座った修立にすかさず問いかける。

「盗み聞きとは人聞きの悪い、私は戸が開いたままの部屋の前で御二人の話が終わるのを待ち、声を掛けたつもりですが?」

 紅夜は寝たままだったので部屋の戸が開いたままだったのに気づかず、陽奈の顔を見ると小さな声で「ごめんなさい」と戸を閉め忘れたことに気づき慌てるように謝った。

「そうですか、それは申し訳ない。何分なにぶん寝ていたもので戸が開いているかどうか見えず、申し訳ない。それでどのようなご用件で?」

「いえ、お気になさらず。用件ですが、赤眼軍師殿のご推察通り、私は七條方の武将たちと内々に書状をかわし、裏切りの密約を取りつけましたのでご確認を」

 そう言って修立から手渡された三つの書状には、たしかに七條 金興を裏切り鳳ヶ崎家へ帰順すると書かれていた。

「たしかに、しかし、何故三つだけなのですか? 七條方の武将は十数人おり、その内十一の武将から書状が来ていたはずですが?」

「……金興が逃げ込んだ城は北方の皇家に対する防衛拠点です。しかし、裏を返せば皇家に最も近い城ということになります、つまり、敗戦を悟らせた場合、部隊を捨て皇家に亡命される恐れがあります。ですので最後の最後まで勝機があるように見せかけるために少しずつ追い込む必要があります」

「なるほど、一斉に寝返らせると、勝ち目がないのが見えてしまい逃げ出すことを防ぐためか、先の話では停戦を願う書状を出す者がいると言っていたな、おそらくは最側近らだろうが、その者らは言いかえれば最後まで我々と戦うつもりの者らだ。その者らがいる限り取り逃がす恐れがある、故に慎重には慎重を喫するというわけだな」

「赤眼軍師殿? 今のは私を試したのでは?」

「ん? ……何が言いたい?」

 二人の間に鈍くも重苦しい空気が一瞬流れると、修立は軽く頭を下げる。

「いえ、こちらの勘違いでした。すみません。それでは、私はこれで」

 そう言うと修立は肩で風を切るように部屋から出て行った。

「……高桐さん?」

 修立の背中を視線で追っていた紅夜は、修立の背中が見えなくなると少し落ち込むように、僅かに視線を落とし黙っていたので陽奈はそう声を掛ける。

「(赤眼軍師なんて言っても所詮は張りぼてか)いや、何でもない、だいじょ――」

「大丈夫には見えません!」

 急な大声に意表を突かれて紅夜は目を丸くしていると、陽奈は思わず自分の口を両手で塞ぎ、『ごめんなさい』といった様子で何度も勢いよく頭を下げると、両手を放して話を続けた。

「その、わたしは高桐さんの主です。頼りないかもしれないですけど、主は主なんです、ですから悩んだり落ち込んだりしたら話してください。お願いします。少しは高桐さんの役に立ちたいんです」

 いつもの落ち着いた口調ではあったが必死な想いは伝わり、紅夜は少しむず痒くなりながらも口を開く。

「俺は自信がないんだ。一揆を成功させる(ここまで)ことは出来る。だが、この先を俺は知らない。だから一歩、踏み出すのが怖い」

「そんなことありません。高桐さんはすごいんです。わたしたちが出来なかったことをここまであっさりとやってのけたじゃないですか。わたしは鳳凰旗団が勝つことをずっと信じて来ました。それでもこんなに早く鳳ヶ崎家になれるとは思ってませんでしたし、思えませんでした。だから――」

「それは、ここまでの話だ。言ったろ、ここまでは出来るって。それにさっきの治意との会話だってそうだ。俺には治意の意図が全く視えなかった。それなのに治意は俺がわかった上で聞いてきていると思っていた。つまりはこの程度のことわかっていて当たり前だと思っているということだ。赤眼軍師なんて言っても所詮は元部隊長で敗軍の将なんだよ、単純な智謀じゃ治意には勝てない、戦に勝てたのは金興(重し)があったからだと改めて思い知らされた。そんな俺がこの先、鳳ヶ崎家の軍師としてやっていくなんて――」

「そこまでです。それ以上はいくら高桐さんと言っても許しませんよ」

 紅夜の唇の前に人差し指を立てて紅夜の言葉を遮ると少し怒ったように片頬を膨らませている。

「高桐さんはわたしの自慢の家来なんです。それにわたしの家来の悪口はあまり聞きたくありません。それが本人からのものだったとしても」

 そう言って陽奈は太陽のように微笑む。

「いいですか? たとえ高桐さんが何と言おうとも、わたしは高桐さんのことをすごいと思ってますし、信用してますし、頼りにしてます。それはきっと一生変わりませんし、揺るぎませんよ」

 陽奈はそう言って立ち上がると部屋の戸の方へと歩いて行く、紅夜がどこに行くのか聞こうとすると、陽奈は戸の前で紅夜の方へ振り返る。

「わたしの赤眼軍師は最強ですから」

 質問の答えにもなっていないそんな台詞を子供のようにそう言い切ると、紅夜に話す暇も与えずに陽奈は部屋を後にした。

「……恥ずっ」

 僅かに頬を染めながらではあったが、陽奈に堂々とそう言い逃げされた、紅夜はなんとも言えない気持ちになりながら布団に仰向けのまま倒れ、天井に向かってそう呟いた。

 その後、部屋の障子から零れる日差しもなくなり、枕元の蝋燭に火を灯し何することもなく紅夜は天井を見続けていると戸を叩く音が聞こえる。

「誰だ?」

「私だ。話がある」

 声の主は成実だった。紅夜は特に断る理由もなかったので部屋に招き入れ話を聞く。

「こんな夜更けになんだ? 夜這いか? 生憎だがお前は好みじゃ――」

「言い残すことはそれでいいのか?」

 剣を抜き、眼光鋭く向けてくる成実に紅夜はすぐに頭を下げ謝罪するとすんなりと剣を収めてくれる。

「――まったく、落ち込んでいると聞いていたが、そんな下らないことを言う元気があるとはな」

「(ん? それじゃあまるで俺のことを心配してくれたような言い草だが、そんなことを言えば次は斬られるかもしれないからな黙っておくか)それで用件は?」

「ああ、二日後の戦の件だが――」

「待て、俺はそんな話は聞いてないぞ」

「ん? そんなわけないだろう。貴様も出るのだろう?」

 どうも話が噛み合わないと言った様子で、紅夜はとりあえず、戦の件は知らず、自分が出るのも初耳だと説明する。

「――そうだったのか、だが、貴様を参戦させると言ったのは他でもない陽奈様だったのだが、まぁ、そんなことは些細なことか、陽奈様に戦に出ろと言われたのだ。断るわけがあるまい」

「それは……」

「……どうやら貴様、まだ傷の方が完治してないようだな」

 成実は紅夜の胸の辺りを見てそう言うと続ける。

「心配するな。陽奈様の治癒は大陸一だ。陽奈様一の家来が保証する。――なにせ、私もそうだったように」

「鬼島?」

「貴様は陽奈様の言われた通りにすればいい。体を引きずってでも戦には出ろ。出ないと言うなら私が無理やりにでも連行してやる」

 そう言うと灯りに照らされた成実の表情が僅かに微笑んでいるように見え、少し驚きながら紅夜は問いかける。

「お前、今、笑ったか?」

「どうやら、幻覚まで見えるらしいな、私が貴様に微笑むわけないだろう。その忌々しい赤眼も治して貰ったらどうだ?」

 そう悪態をつくように成実は紅夜に背を向け部屋の戸に向かって歩き出す。

「お、おい、結局話って何だったんだ?」

「戦のことさえ、聞いてない貴様に聞いても意味のないことだ」

 そう言い捨てると紅夜の部屋を出て行った。

「(結局なんだったんだ? あの感じだと戦の相談か? まぁ、それはともかく、出陣かぁ、陽奈の奴いったい何を考えているのやら、あいつはほんと突拍子もないことをやるからな)」

 考えてはみたが思いつかず、考えている内に無駄だと思い、灯りを消して眠りに就いた。


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