魔王として
魔王イファール。
今や魔界全土にその名を轟かせる絶対強者である彼は、しかし10年前までは無名の一魔族に過ぎなかった。
ガンドラ、ヴィラルド、テオローグ。
この絶対強者が統べる魔界内には彼らに準じる実力者が掃いて捨てるほどにいる。
イファールも元々そのひとりであり、魔界内では相当な実力者でありながらも魔王には一歩及ばないというのが自他ともに認める見解であった。
そんなイファールを化けさせたのは、ふらりと現れた人間界からの来訪者、ロウセイとの出会いである。
当時、魔界の西に居を構えていたイファールは、そのさらに西方からふらりと現れた何者かにたいして考えもなく戦いを挑んだ。
イファールから見て、その何者かは決して強い存在には見えなかった。
魔力も、力も、速さも、何もかもが自分を下回っていた。
だが、だというのにイファールの攻撃はロウセイには届かなかった。
魔王のような絶対強者以外を過たず打ち砕いてきたイファールの力は、ロウセイと名乗る闖入者の扱う珍妙な戦法によって交わされ、防がれ、受け流された。
そして、ロウセイの扱う奇怪な技や魔法の数々に、イファールは苦戦を強いられた。
何の前触れもなく始まった二人の戦いは、実に7日にも及んだ。
双方が満身創痍になる中で、イファールの中には一つの確信が生まれていた。
魔界内においては強さが全て。
力ある者が力なき者から奪うことが唯一の理であった。
だが、それを言うのであれば、自分と互角に戦っていたロウセイと名乗る人物は明らかに奪われる側と呼べる程度の力しか持っていない。
だというのに、ロウセイと名乗るその男は、その巧みさを以て自分と互角以上に渡り合ってのけたのである。
強さとは、力の強大さだけを指すのではない。
7日間にも及ぶ死闘の果てに、イファールはこれまで自分が見ていた世界がいかに狭かったのかということを思い知った。
戦いで大きく疲弊したロウセイが人間界へと戻っていくのを見逃した後、イファールは網膜に焼きついたロウセイの奇怪な技の記憶を頼りに試行錯誤を繰り返し、やがて溶岩魔法という未知の魔法を生み出すことに成功した。
だが、溶岩魔法を編み出したイファールの心の内には、今も一つの事が頭にこびりついて離れなかった。
自分が強くなったという自覚はある。
だが、それはロウセイと名乗る弱者が編み出した工夫と技巧を模倣したが故のものであるということだ。
異質な者との触れ合いが、自らの世界を広げた。
力こそ全てという考えが、狭い世界の考えであるということに気付かされたのである。
それを知ったイファールは、それから長い時間をかけて魔界内を旅してまわった。
そして、イファールは過酷な魔界を生き延びるために工夫を凝らす弱者たちの生き方の巧みさに心を惹かれることとなる。
それと同時に、理由もなくその弱者たちを蹂躙する強者たちに対して嫌悪感を抱き、今までの自分がその立場に立っていたことに激しく後悔した。
ゆえに、イファールは当時暴威の象徴であった竜人王ガンドラに戦いを挑んだ。
竜人族はベヘルのように堅固な竜燐を身に纏った魔界最強の種族。
中でも当時竜人族を束ねていたガンドラは、溶竜弾にさえ耐えきるような屈強な竜燐を纏っていた。
だが、イファールはガンドラを下した。
それが、今ロウセイ相手に用いている魔法である。
「魔道装甲……というより、全身を溶岩で覆っておるそれはどちらかといえば奥義に近いな」
地面から湧き出した溶岩を身に纏うイファールを前に、ロウセイはそんな軽口をたたく。
そんなロウセイに対し、イファールは拳を構えて振り抜いた。
刹那、ロウセイを強烈な熱波が襲った。
「ぬ!?」
拳から放たれた熱波を前に、ロウセイは二の足を踏んだ。
直後、イファールはロウセイの元へと踏み込んできた。
「ハア!!!!」
溶岩を纏ったその拳を、ロウセイは真正面から迎撃した。
二人の拳が真正面から激突し……片方の拳が弾かれた。
「ぬうぅ……」
弾かれたのはロウセイの拳であり、その拳と腕は炎に焼かれたような跡が残っていた。
「どうした? 私を倒して魔族を従わせるのではなかったのか?」
溶岩をその身に纏いながら、イファールはこれまで以上の闘志を宿しながらロウセイを睨みつける。
それに対し、ロウセイはニヤリと口元を歪めた。
「思いだすな。10年前にお前と戦った時のことを」
ロウセイの一言に、イファールは無言で拳を振るった。
その一撃を受け、ロウセイは大きく後方に弾き飛ばされる。
「思い上がるな。10年前、確かに私はお前を倒すことはできなかった。だが、それは私がお前と互角であることを示してはいない」
そんなことを口にしながら、イファールは弾き飛ばされたロウセイに追い打ちをかける。
バストラングでさえも置き去りにしかねないような速度の踏み込みから放たれた拳は、全てを溶かす熱波を放ちながらロウセイめがけて振り抜かれる。
「ぬうぅ!!」
その一撃を受け、ロウセイの表情に苦悶が浮かぶ。
再び弾き飛ばされたロウセイは、しかし即座に体勢を整え直す。
「全く、厄介な攻撃を仕掛けてきおる。打ち抜かれるかと思ったぞ」
「……ぬかせ。この攻撃を受けて五体満足でいる貴様に言われたくはない」
自分の攻撃を受けてなお五体満足でいるロウセイを見て、イファールはそんな問いを口にする。
溶岩を覆ったイファールは、今や触れることはおろか近づくことすらままならない死の象徴である。
にもかかわらず、ロウセイはその拳を受けても火傷を負うばかりで重傷を負ってはいない。
その理由を分析し、イファールはロウセイの体が魔力の障壁で覆われていることに気付いた。
「それは悪魔族の得意としていた魔法だと思ったが、お前も使えたのだな」
「ふ。しばし前にテオローグと名乗る魔王が使っておったのでな。模倣させてもらった」
「……相も変わらず、小細工が得意なようだな!」
そんなことを口にするロウセイを前に、イファールは再び拳を振るった。
溶岩を纏った拳は、局所展開されたロウセイの魔法障壁に阻まれながらも再びロウセイを弾き飛ばす。
だが、弾き飛ばされながらもロウセイはニヤリと笑みを浮かべながらすぐさま体勢を整え直した。
「懐かしいな。こうしてお前と戦っていると、10年前を思い出す」
イファールの一撃を受けながら、ロウセイはそんなことを口にした。
その一言に、イファールはピクリと眉を動かす。
「お主は思い出さんか? お主が力で押し込み、わしがそれを捌く。これはまるで10年前の焼き直しだろう?」
「……」
軽口をたたくロウセイを前に、イファールは無言で再び拳を振るった。
が、その拳をロウセイは真正面から受け止めた。
先ほどイファールの拳で焼かれたはずの右腕で。
「貴様……」
「思い出さぬか? これも10年前の通りだろう?」
イファールの拳を受け止めたロウセイの右腕は、いつの間にか火傷の跡がきれいになくなっていた。
そして、その右腕はイファールの拳を真正面から受け止めていた。
「ようやくその魔法になれてきた。戦いはこれからだぞ! イファール!」
「戯言を!」
そういってイファールは再びロウセイめがけて拳を振るう。
「ハアアアアアア!!!!」
それに対し、ロウセイは先ほどと同様に拳で真正面から迎撃する。
先ほどイファールに弾き飛ばされたロウセイの拳は、拮抗していた。
「ヌアアアアア!!!!」
「!!!?」
直後、ロウセイは反対の拳を振り抜く。
その拳をイファールが防いだとき、イファールの全身を衝撃波が襲った。
その衝撃波に弾き飛ばされるように、今度はイファールが大きく後退した。
「魔族の未来を背負うのも重かろう。すぐにその重責を解いてやる」
「抜かせ。お前はここで果てる定めだ」
イファールの足元から再び溶岩がせり上がる。
「ロウセイ。お前は確かに強い。だが、私ほどではない」
「そうかもしれんが、まずはそれを証明して見せろ」
互いにそう告げると、二人の怪物は真正面から激突した。
直後、大地が悲鳴を上げた。
イファールの拳には溶岩が纏われている。
それはフィナリアの断空閃のような奥義に類する一撃。
魔王として君臨するイファールの持つ拳が溶岩を纏うことにより、その殺傷能力を爆発的に高めているのだ。
だが、それを迎え撃つロウセイの拳は真正面からイファールの一撃を迎撃する。
そして、拳同士がぶつかり合った瞬間にロウセイの拳から衝撃波が放たれる。
その衝撃波が余すことなくイファールの熱波を周囲に拡散させているのだ。
全身に溶岩を纏うイファールと、打ち合った瞬間に衝撃をまき散らすロウセイ。
大気を焦がし、大地を溶かすイファールの拳。
大気を揺るがし、大地を砕くロウセイの拳。
ともに必殺の威力を誇る二人の拳は、真正面から、何にも憚られることなく相手の命を砕かんと振り抜かれた。
「こ、これが旦那の全力ってやつなのか!? シャクト!?」
二人の戦いを眺めながら、ライオスは叫ぶようにシャクトに問いかけた。
ロウセイとイファール。双方の拳が振るわれるたびに、足元の大地が砕け、周囲に拡散する熱波が吹き荒れる。
気を抜けばこの余波だけでも吹き飛ばされかねないライオスに対し、隣で同じく熱波にさらされているシャクトは頷いた。
「間違いない。あれが、竜人王ガンドラを屠ったイファール様の魔技。
肉体に溶岩を纏いその殺傷力を増幅させ、触れた者を焼き尽くす無敵の鎧だ」
「ああ! 旦那のあれが馬鹿げてるってことは見てりゃあわかるさ!
だがよう、だったらそれと正面からぶつかり合ってるあいつはなんなんだよ!?」
熱波にさらされながら、ライオスはそんな叫び声を上げる。
魔王イファールが纏う溶岩の鎧は、まともな者なら触れることさえ許さない最強の鎧であり、いざ拳を振るえばすべてを焼き尽くす灼熱を纏った一撃となるだろう。
事実、二人のぶつかり合う余波だけでもまともな魔族なら即死してもおかしくない威力がある。
だからこそ際立つ。
そんなイファールと真正面から打ち合っている人族の強さが。
「ライオス、あなたはイファール様が負けるとでも思っているの?」
そんなことを考えるライオスに対し、セネルが問いかけた。
「いや、旦那が負けるとこなんて想像もできねーけど」
「なら、疑わないで」
セネルの一言に、ライオスは黙り込む。
そんなライオスに対し、セネルは静かに告げた。
「イファール様はこの魔界の頂点に君臨されるお方。並みいる魔界の強者たちすべてを滅ぼし、私達魔族を背負われる史上最強の魔族よ。いくらあの男が強くとも、イファール様に敵うはずがないわ」
「……そうだな」
セネルの一言に、ライオスは頷いた。
「人間界で豊かに生きてきた奴らなんぞに、イファール様が負けるはずねーか」
セネルの言葉に納得したライオスがそう口にしたとき、突如イファールとロウセイの間から放たれていた熱波が収まった。
「な、何だ?」
一際大きな熱波が放たれた直後に、突如訪れた静寂。
それを前に、ライオスたちはやや戸惑いを抱いていた。
ロウセイとイファールは、拳を構えたまま対峙している。
だが、その二人が何か話をしているように見えた。
「セネル。二人は何を言い合ってんだ?」
「……次の一撃で決着をつけると」
ライオスの問いに、セネルはそう答えた。
「ハアアアアアアア!!!!!」
「オオオオオオオオ!!!!!」
ロウセイとイファールの二人が真正面から打ち合うたびに、大気には衝撃波と熱波がばらまかれ、大地は赤く溶けた傍から弾き飛ばされた。
ゆえにロウセイとイファールの二人が打ち合うたびに、地面には深々とその爪痕が刻まれ、次から次へと足場が失われていっていた。
だが、そんなことに対して二人は何の興味も示していない。
ロウセイはイファールを叩き潰すために。
イファールはロウセイを焼き尽くすために。
互いに譲らず、真正面からぶつかり合っていた。
「イファール! お前は何のために戦う!」
「言ったはずだ! 魔族の繁栄のためだと!」
打ち合っていく中、いつしかロウセイとイファールは昂ぶり、互いに正面から拳と魔力と魂をぶつけ合っていた。
「ならばわしらとともに来い!」
「断る! 人間界が犯し続けてきた罪を贖うまで、私がお前たちと共に歩むことなどありえん!」
「魔族としてか!」
「魔王としてだ!」
一際激しい熱波をまき散らしながら、ロウセイとイファールはしばし距離を置いた。
「私は魔族を統べる者だ。魔族が人族に対して激しい憎しみを抱いている以上、お前たちと共存する道を選べるはずなどない」
「……なるほど」
そのイファールの一言に、ロウセイは頷いた。
「だからお前の拳は軽いのか」
「……なに?」
突如ロウセイの口から放たれた一言に、イファールは眉をひそめた。
「私の拳が、軽いだと? 訳の分からん戯言を」
「軽いではないか。魔力も力も速さもわしの上を行くお主が、わしを仕留めきれていないのが何よりもの証拠じゃ」
「……」
ロウセイの一言に、イファールは目を細めながら刃のように研ぎ澄まされた殺気を放つ。
それに対して、ロウセイは拳を構えながら言葉を続けた。
「拳を交えてみてはっきりわかった。
お主は強い。わしよりも。だが、今のお主はわしには勝てん」
「……どういう意味だ?」
ロウセイの一言に、イファールは戯言の一切を許さぬとばかりに怒気を露わにする。
そんなイファールに対し、ロウセイは一言告げた。
「迷いを抱いた拳では、わしを貫けぬ。そう言っておる」
「私が迷っているだと? 馬鹿を言え!」
「馬鹿は己が迷いに気付いていないお主の方だ」
その一言に、イファールは全身を覆っていた溶岩を右腕に集め出した。
元々赤々としていた溶岩が一か所に集まったせいか、その右腕から放たれる熱気はこれまで以上に凄まじいものだった。
「奥義の深淵、か。そんなものまで独力で編み出すお主は紛れもなく天才だ。だが、それでもお主はわしには勝てん」
「やかましい。お前の小言は聞き飽きた。私に勝てるというのなら、その拳でもって示してみろ」
「勿論そうするさ」
そう言うロウセイは、しかしその身に何の魔力もたぎらせていなかった。
だが、そんなことで戸惑いを覚えるイファールではない。
全魔力を集約させたイファールの拳が、過たずロウセイめがけて放たれる。
バギン!
鈍い音をたてて、その拳がロウセイの腹部に直撃した。
「……馬鹿な」
だが、その拳はロウセイの体まで届いていなかった。
局所展開された三重の魔法障壁に阻まれたのである。
「残念だったな。イファール」
そう言って、ロウセイは拳をふり下ろした。
直後、イファールの全身を衝撃が打ち抜いた。
「がっ!」
全身の魔力を攻撃に集中していたイファールは、その一撃を受けて血反吐を吐く。
「言ったはずだ。迷いを抱いた拳では、わしは倒せぬと」
「迷い、だと。この私が、何に迷っていたというのだ?」
片膝を突きながらそう問いかけるイファールに対し、ロウセイは静かに告げた。
「魔王となったお前が抱く、理想との乖離にだ」
「魔王である私の理想だと?」
問い返すイファールに対し、ロウセイは頷き話し出した。
「そもそもおかしいと思っていた。
お前が動けば、シェルビエントの制圧など造作もないにもかかわらずに魔族を率いるなどという無駄なことをするという時点でな」
そう言って、ロウセイは腕を組んだ。
「お主、初めから人族を支配するつもりなどなかったな?」
「……」
ロウセイの一言に、イファールは睨みつけるかのように視線を向けた。
だが、その視線はどこかこれまでのような鋭さが欠けていた。
「やはりか。魔族たちが人族を滅ぼそうとする中で、お主は人族を滅ぼしたいとは願わなかった。ゆえに支配という名目を掲げたということだな?」
「……よせ」
ロウセイの言葉に対し、イファールは否定も肯定もしなかった。
ただ、その先を口にするなという意図を込めて睨みつけるだけだった。
だが、ロウセイはそんなイファールに対して言葉を続けた。
「力が支配する魔界を束ねはしたが、束ねた魔族たちは人間界に牙をむく。そのことが分かっていたお主は」
「……やめろ」
「人族を支配することで双方を生かす道を模索しようとしておった」
「やめろ!!」
叫び、イファールはロウセイに向かって拳を振るった。
だが、魔力も何も帯びていないその拳をロウセイはあっさりと掴み取った。
「そんなお主にとって、あのイルアムが持ってきた話は文字通り渡りに船だったはず。だが、お主の言った通り、ただ形だけの共存関係になったとすれば、その怨嗟はやがて火を噴くこととなるだろう」
「……」
拳を掴まれたまま、イファールは再びロウセイを睨みつける。
だが、その瞳から放たれていたのは、憎しみでも怒りでも闘志でもなかった。
「わしは魔界の事は何一つわからんが、お前が魔界を変えるために戦ってきたことはイルアムから聞いておる。魔界の中において、人族と和を求めるお主の思想は極めて異質なものだったのだろう。だからこそ、お主は表向きには我々と敵対し続けてきたということなのだろう?」
「………」
ただ黙してロウセイを睨むイファールは、そのまま力なくうなだれた。
かつて、イファールはロウセイと戦い、力なき者達からも学ぶことがあるということを知った。
ゆえに、あの日からイファールにとって弱者は虐げる対象ではなく、学ぶ対象となったのだ。
だからこそ、イファールは人族と敵対したいとは思ってはいなかった。
出来ることなら、共存を望んでいた。
だが、魔族たちはそれを許さなかった。
5000年もの長き闘争の歴史によって魔族に刻まれた人族に対する怨念の深さは、人族の血を以て清算するしかなかったのだ。
「不器用な奴め。確かにお主は強い。だが、お主の理想と魔王としての責務が矛盾していては、その理想は重荷となる。お前の拳が鈍っていたのは、それが原因だ」
「……ならば、どうだというのだ?」
ロウセイの言葉に、イファールは拳を降ろしながらそう問うた。
「殺し合い、奪い合うことこそが魔族の歴史だ。
それ以外の生き方を知らぬ者達が、無条件で平穏を享受し続けてきた人族と、本気で共存できると思っているのか?」
「出来る」
イファールの問いに、ロウセイは迷わずそう口にした。
「……なぜそう言い切れる」
そんなイファールの問いに、ロウセイはイルアムの方を指さし、その後、炎鳥ファーレンベルクとその背に乗る三人を指さした。
「あ奴らがいい例だろう。少なくとも、魔族との共存を望む者達と、我らと共存を望む者達はいるのだ」
「……」
「イファール。わしは魔界を知らん。同様に、お前も人間界を知らん。わしらは互いに未だ世界を知らん無知な愚か者に過ぎん。そんな愚か者の思いこみ通りに世界は動かん」
ロウセイの言葉に、イファールは問いを返す。
「必ず、魔族と人族の争いは巻き起こるぞ」
「ならばわしらで抑えればいい」
いともあっさりとそう告げ、ロウセイはイファールに対して手を差し出した。
「イファール。
お主がシェルビエントの砦を破壊したおかげで、我々と魔族たちは過去にないほどに彼我の距離が近づいた。
その先に待つ歴史がどうなるかは、今この場にいるわしらにかかっておる。
魔王として、お主個人として、終わりなき闘争を選ぶか、手を取り合う未来を選ぶか、選べ」
ロウセイの一言に、イファールは初めてその視線を落として呟いた。
「ロウセイ。貴様の弁は理解した
だが、ここは魔界で、私は魔王だ。
そして、魔界について何も知らぬという貴様でも、魔界の唯一の法度は知っているな?」
「おう。勿論じゃとも」
「ならば、何をするべきかも分かっているな?」
イファールがそう言うと、その右手から赤い魔力があふれ出した。
「全魔力を集約させた一撃。か
ならば、わしも相応の一撃を以て応えよう!」
それに対し、ロウセイは右手に白い魔力を宿す。
それは、これまで打ち出してきた衝撃波を圧縮させた代物。
「では」
「いざ」
双方の怪物は、互いの右手に膨大な魔力を龍形成魔法以上に極限まで圧縮した一撃を、躊躇わずに振り抜いた。
双方の拳は真正面からぶつかり合い、その場には灼熱の魔力と天を揺るがす衝撃波がまき散らされた。
「うおわああああああ!!!!!」
ロウセイ師匠とイファールが互いの右手に魔力を集約させた一撃をぶつけ合った直後、俺はまき散らされた熱波と衝撃波の前に情けなくもそんな悲鳴を上げながらひっくり返った。
『風波壁!』
それに対し、フィナリアが風の盾を生み出した。
その壁が襲いくる二つの魔力を逸らす。
「くぅ、なんという魔力じゃ」
それに対し、セレスティーナが苦しそうな声を上げる。
凄まじい魔力のぶつけ合いの余波が、とうとう遠くで観戦している俺達が防御を行わなければならないほどの域に達したのだ。
「ぜぇ、はぁ、全く、とんでもねーなあの二人」
そんな中、俺は余波がなくなるのを見計らってフィナリア達の元へと歩み寄った。
観戦している俺達であれなのだ。
そして、それは打ち合っている当の本人たちがそれだけの力を解放しているということを意味していた。
「……決着、着いたのか?」
「……しばし待て。魔力の残滓が濃すぎて妾の感覚が届かん」
セレスティーナの一言に、俺とフィナリアは息をのむ。
彼女の索敵が届かないほどの魔力の爆発が、立った二人の人間によってもたらされたなど誰が信じられるだろうか?
見ている俺たちも信じがたいのだから。
「む?」
そんな中、セレスティーナが眉をひそめた。
「どうなりましたか?」
フィナリアの問いに、セレスティーナは頷き答える。
「うむ。どうやら決着がついたようじゃ」
「それで、結果は?」
「それは…ッッツツ!!!」
俺の問いに答えようとして、セレスティーナは突如手にしていた霊弓を構えた。
「セレスティーナ様!? 何を!」
フィナリアが制止しようとしたが、その前にセレスティーナは弓を引き絞り
、その矢を放った。
爆発の中心。爆心地にて、二人の男が対峙していた。
両者は表情にこそあらわさないが、疲弊の色濃く、双方の右腕は力なく垂れ下がっていた。
「よもや、私の最後の手でも倒しきれんとは」
「ふん。それはこっちのセリフじゃな」
イファールの一言に、ロウセイが鼻息荒く答えた。
双方が瞬発的に扱える全魔力を右手に凝縮させた一撃。
それが真正面からぶつかり合ったため、両者の右腕はその負荷に耐えきれなかったのである。
というより、未だに原型を持ってくっついていることの方が異常なのだ。
だが、当の本人たちはそんな事に対して執着してはいない。
問題は、双方の奥の手が相打ちに終わったということに合った。
「さて、今のがお主の奥の手だというのなら、わしは魔界最強の魔王と互角に渡り合った猛者ということになる。
それでも足りぬというのなら続けるが、弱肉強食というあり方に照らすならこれ以上の戦いは蛇足以外の何物でもあるまい」
「……ロウセイ」
そんな言葉をかけるロウセイに対し、イファールは一言だけ問いかけた。
「人間界のもの達は、私達と共に歩むことを容認するのだろうか?」
「少なくとも、わしはお前と共に歩もう」
「そうか……」
迷いのないロウセイの一言に、イファールは憑き物が落ちたような表情を浮かべた。
それに対し、ロウセイはニカリと笑って右手を差し出す。
そして、イファールはロウセイの差し出した手を掴もうと手を伸ばし……二人は突如大きく後方に飛び去った。
直後、二人がいた場所に炎の龍が叩き込まれた。
「……貴様」
いつの間にか忍び寄り炎龍弾を叩き込んだ張本人の方を向き、ロウセイは怒鳴り声を上げて術者の名を叫んだ。
「いったい何の真似だ! ロイルド・インディオス!」
ロウセイが怒鳴り声を上げた先には、いつの間にか現れた元帝国魔道総師ロイルド・インディオスがいた。