第一話:偉大なる母の背と、受け継がれし黒鉄の誇り(前編)
金属と金属が激突する凄まじい咆哮が、地下大空洞に築かれたトラ族の本邸・黒鉄修練場の空気をビリビリと引き裂いた。
「まだ甘いぞ、ティーゲル! 尻尾の魔道力が剣の切っ先まで届いておらん! 腕の力だけで振り回すな、七本の尾と背骨を一本の強靭な弓としろ!!」
雷鳴のような叱咤と共に振り下ろされたのは、大人の身の丈を優に超える超重量の剛剣『コテツブレード』であった。フェリディウム合金を極限まで圧縮して鍛え上げられたその黒鉄の刃が、まだ幼さの残る少女――若き日のティーゲルが必死に両手で構えた練習用の小振りな鉄剣を、真っ向から叩き伏せる。
ガギィィィィィンッ!!
散った真紅の魔力の火花が石畳を焦がし、衝撃に耐えきれなかった少女ティーゲルの小さな身体が、ゴムまりのように後方へと吹き飛ばされた。
「きゃあっ……! ぐ、うぅぅっ……!!」
石畳の上を何度も転がりながら、少女ティーゲルは練習剣を杖代わりにしてどうにか片膝をついた。肩で荒い息を吐く彼女の背後に広がる、黒と黄色の縞模様が入った七本のトラの尻尾が、痺れるような衝撃を逃がすために激しく波打っている。
時は、ティーゲルがフェリディア王国の参謀職を引き継ぐことになる日から、およそ五十年前に遡る。
地底世界で独自の進化を遂げたネコ科の獣人国家、フェリディア王国。女しか生まれないこの国において、「生まれ持った尻尾の数」は絶対的な階級であり、生命の格そのものであった。そして、尻尾が多い高位の種族ほど寿命が遥かに長く、その肉体や精神の成長曲線は地上の人間と比べて極めて緩やかなものとなる。
当時のティーゲルは、実年齢こそすでに数十歳に達していたものの、その外見や発育状況はまだ人間で言えば十代前半の「あどけない少女」の領域にあった。のちに二メートルを超える巨躯へと成長する彼女も、この頃は華奢な訓練着に身を包み、黄金色の髪を揺らしながら懸命に剣を振るう見習い戦士に過ぎなかったのである。
そんな少女ティーゲルの前に、まるで聳え立つ黒鉄の山のように立ちはだかっていたのが、当時のフェリディア王国における「武」の頂点にして、ティーゲルの最愛の母――先代参謀・アルティグラであった。
「どうした、ティーゲル! それでこのアルティグラの娘か! 戦場では『まだ子供だから』などと敵は待ってはくれんぞ!!」
二メートルを優に超えるアルティグラの漆黒の重甲冑がゴゴゴッと鳴り、彼女の背後で扇状に広がる七本の太く強靭なトラの尻尾から、爆発的な魔道力が立ち上った。その圧倒的な圧力だけで周囲の玄武岩の床がメキメキと音を立ててひび割れ、空間そのものが陽炎のように歪んでいく。
「ま、まだです、母上ッ! 私は……母上のように、誰よりも強い武人になるのですッ!!」
少女ティーゲルは血の滲んだ唇を噛み締め、小さな両手で練習剣を握り直すと、気合の咆哮と共に母の懐へと真っ直ぐに突進した。
「ほう……良い目だ。ならば、この剣圧を受けてみよ!」
アルティグラは満足げに口角を上げると、『コテツブレード』を片手で軽々と一閃させた。刃を直接ぶつけたわけではない。ただ剣を振るったことで生じた「純粋な風圧と魔力の衝撃波」だけを、娘へとぶつけたのである。
ズドォォォォォォンッ!!
「あ、ぐぅっ……!!」
少女ティーゲルは刃を交えることすらできず、暴風のような剣圧に呑み込まれて再び床へと叩きつけられた。そして、アルティグラが放った衝撃波の余波はそれだけでは収まらず、修練場の壁際でタオルや水差しを抱えて控えていた十数匹の『侍女キャレット』たちの列をも直撃した。
「きゃあぁぁっ!?」
「ひぃっ……! か、風で吹き飛ばされちゃうにゃあぁっ……!!」
木の葉のように宙を舞い、石畳の上へバラバラと転がり落ちる小さな少女たち。彼女たちは、この王国の最下層民である「一本尻尾」のイエネコ族――通称『キャレット』であった。
一本尻尾のキャレットたちの寿命はわずか二十年ほどしかなく、多尾の上級貴族とは比較にならないほど短命で脆弱な生き物である。彼女たちは産み落とされた後、四足歩行から二足歩行への変態を経て、五歳(人間齢の姿)で親元から引き離されて基礎訓練所へと入れられる。そして七歳から十二歳までの間、王国の歯車として兵士や侍女などの過酷な労働に従事し、十三歳になれば次の世代を産むための繁殖センターへと送られるのが絶対のサイクルであった。
今、修練場の床で互いにしがみついてガタガタと震えている侍女キャレットたちも、まだ七歳から十歳程度の、胸の膨らみすら持たない幼く未発達な女の子たちばかりである。トラ族の屋敷に仕える彼女たちは、極端に露出の高いトラ柄の特注メイド服を着せられており、イエネコ族特有の「な」の発音が「にゃ」になる甘い声で半泣きになりながら、頭頂の猫耳をペタンと伏せていた。
その時――。
ガシャアァァンッ!!
修練場の静寂を破るように、乾いたガラスの破砕音が響き渡った。
剣圧の余波で飛ばされた小さな石片が、つい先週七歳でこの屋敷に配属されたばかりの新米侍女キャレットの足首を掠め、彼女が必死に抱えていた「アルティグラ参謀専用のクリスタルの水差し」が床に落ちて砕け散ったのである。
「あ……あ、あ……」
周囲の先輩侍女たちの顔から、一瞬にして血の気が引いた。水差しを割ってしまった幼い侍女キャレットは、割れたガラスの破片と水たまりの上にへたり込み、青ざめた顔で自分のお尻から伸びる「一本の細い尻尾」を両手で必死に抱え込んだ。
「ひ、ひぃぃぃっ……! し、死んじゃうにゃ……! アルティグラ様のお稽古の邪魔をして、大事な水差しを割っちゃったにゃ……っ!!」
幼い少女の瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ち、極度の恐怖によって弛緩した下半身から、温かい黄色い尿がチョロチョロと石畳の上へ漏れ出していく。
「し、尻尾を……尻尾を握り潰されて殺されちゃうにゃあぁぁっ……!! ママぁ……助けてにゃあぁぁっ……!!」
彼女が幼児のように泣き叫んでパニックに陥るのも無理はなかった。フェリディア人にとって、尻尾は単なる飾りではない。太い脊髄神経が体外へと直接伸び、膨大な痛覚が集中する『第二の脳』とも呼ばれる最大の急所である。そこを力任せに握り潰されたり引き抜かれたりすることは、脳髄を直接素手でかき回されるに等しい致死の激痛を意味する。
絶対的な階級社会であるこの王国では、七本尻尾の上級貴族が「目障りだ」「粗相をした」という理由だけで、使い捨ての消耗品に過ぎない一本尻尾の侍女の尻尾をちぎり取って嬲り殺すことなど、誰も咎めない日常の光景だったのである。
床に倒れていた少女ティーゲルも、「あっ……」と息を呑んで母の顔を見上げた。
また、修練場の入り口の柱の陰で、姉と母の激しい稽古を遠巻きに覗き見ていたティーゲルの妹ハクレイ――まだ幼く、トラ族としては極めて珍しい「武や争いを好まないおとなしい気質」の少女も、水差しを割った侍女キャレットが殺されてしまうのではないかと怯え、自分の七本の尻尾をギュッと抱きしめて目を閉じた。
「……稽古はここまでだ、ティーゲル。剣を収めよ」
アルティグラは低く厳格な声で告げると、巨大な『コテツブレード』を背中の鞘へと戻した。そして、失禁した尿と水たまりの上でガラスの破片にまみれて震えている幼い侍女キャレットの前へと、地鳴りのような重い足音を響かせて歩み寄っていく。
「ひぃぃぃっ!! ご、ごめんにゃさいにゃん! ごめんにゃさいにゃん!! 殺さにゃいで……にゃー、まだ第4居住区のママのお墓に一回もお参りできてにゃいのにゃ……っ! お願いだにゃ、殺さにゃいでにゃああッ!!」
七歳になったばかりの侍女キャレットは、ガラスの破片で小さな膝や手のひらが切れて赤い血が滲むのも構わず、石畳に額を必死に擦り付けて命乞いを繰り返した。
だが、王国最強の猛将アルティグラは、震える少女の首根っこを吊り上げることも、その細い尻尾を踏み潰すこともしなかった。
アルティグラは漆黒の甲冑に包まれた巨体をゆっくりと屈めると、鋼鉄の手甲を外した素手の分厚い掌で、泣きじゃくる侍女キャレットの小さな頭――柔らかな猫耳の間を、まるで我が子を撫でるかのように優しく、そっと撫でたのである。
「……え……? にゃ……?」
侍女キャレットが、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった幼い顔を恐る恐る上げた。
「痛かったな、小さな子猫よ。お前が怯えることはない。私が娘への稽古に熱を入れすぎて、剣気を制御し損ねた私の落ち度だ」
アルティグラの声は、先ほどまでの修練場を揺るがす怒号が嘘のように、深く、温かく、母性の慈愛に満ちていた。彼女は壁際に控えていた白衣の『医療キャレット』たちを手招きすると、穏やかに命じた。
「この子の膝と足首にガラスが刺さっている。すぐに医務室へ連れて行き、傷跡が残らぬよう丁寧に手当てをしてやりなさい。それから、温かいお風呂に入れて新しいトラ柄のメイド服を着せ、蜂蜜入りのホットミルクを飲ませて休ませるように。今月のこの子の配給には、私から特別に『危険手当』を色をつけておく故、故郷の母親の墓にたっぷりお供えをしてやるとよい」
「は、はいっにゃん! ただちに処置いたしますにゃ!」
「う、うわああああんっ!! アルティグラ様ぁぁぁっ……! ありがとうございますにゃあぁぁっ……!!」
医療キャレットたちに優しく抱きかかえられながら、幼い侍女キャレットは恐怖から解放された安堵と感動で声を上げて泣きじゃくった。残された侍女キャレットたちも、自分たち最下層の一本尻尾を「ゴミ」や「道具」ではなく、同じ血の通ったフェリディアの民として慈しんでくれる偉大な主君に対し、魂からの敬愛を込めて深々と頭を垂れた。
アルティグラはゆっくりと立ち上がると、その一部始終を見つめていた少女ティーゲルと、柱の陰から出てきたおとなしい妹の二人を手招きした。
「ティーゲル。そしてハクレイよ、よく聞いておきなさい」
アルティグラは二人の娘の肩に大きな手を置き、修練場の高い天井――その遥か上層にそびえる白亜の王宮『天帝聖獅城』の方角を見上げた。
「よいか、ティーゲル、ハクレイ。我らトラ族に与えられたこの七本の尻尾と無双の怪力は、決してあのような幼く弱い一本尻尾たちを怯えさせ、泣かせるためにあるのではない。いかに一本尻尾の下等兵や侍女といえど、彼女たちもまた高貴なるフェリディアの民であり、誰かの愛しい娘なのだ」
少女ティーゲルは、母の言葉を一つたりとも漏らすまいと、黄金の瞳を輝かせて真剣に頷いた。
「我らトラ族の武は、十本尻尾の絶対君主・ライアライア女王陛下が掲げる『大いなる平和と調和』を守り抜くための盾である。ライアライア様は誰よりも慈悲深く、太陽のように温かい光でこの国を照らしてくださる素晴らしい女王陛下だ。だが、どれほど美しい理想の国にも、必ずそれを脅かす外敵や内なる影が生まれる。その影をこの『コテツブレード』で斬り払い、女王陛下の玉座と、この国に生きるすべての弱き者たちを守り抜くこと……それこそが、代々王国のナンバー2たる『参謀』の座を担う我らトラ族の誇りなのだよ」
「はいっ、母上! 私は必ず母上の剣と誇りのすべてを受け継ぎ、ライアライア女王陛下をお守りする最強の盾となります!!」
少女ティーゲルが胸を張って高らかに宣言すると、アルティグラは「うむ、頼もしいぞ」と破顔した。そして、姉の隣で申し訳なさそうに俯いているハクレイの方へと向き直り、その小さな顎を優しく持ち上げた。
「お姉ちゃんみたいに強くなくて、ごめんなさい、お母様……。私、剣を見るだけでも足が震えてしまって……」
トラ族でありながら闘争本能を持たず、花や読書ばかりを好む妹が涙目で呟くと、アルティグラは少しも怒ることなく、その頭を愛おしそうに抱き寄せた。
「謝ることはない。お前のその優しさと穏やかさもまた、神が我らトラ族に与えてくださった大切な心のひとつだ。お前が剣を握れずとも、お前の姉であるティーゲルが、お前の分まで強く育って必ずお前を守り抜いてくれる。……そうだな、ティーゲル?」
「もちろんです、母上! ハクレイには一生、血の匂いなど嗅がせません! 私が母上のように強くなって、ハクレイも、将来生まれるハクレイの子供も、みんなこの腕で守ってみせます!!」
少女ティーゲルは妹の小さな手をギュッと握りしめ、太陽のように眩しい笑顔を向けた。
その日の夜。
厳しい鍛錬を終えた少女ティーゲルとハクレイは、母アルティグラの寝室の巨大なベッドに潜り込み、母の豊満で温かい胸に左右から顔を埋めていた。
アルティグラの背後から伸びる七本のふさふさとしたトラの尻尾が、まるで巨大な羽毛布団のように二人の娘の全身を優しく包み込み、その根元から伝わる穏やかな魔道力の鼓動が、少女ティーゲルの打ち身や筋肉痛をじんわりと癒やしていく。
「……ねえ、母上。私にもいつか、母上のように強く、そして誰よりも大きくて優しい『お母さん』になれるでしょうか」
まどろみの中で少女ティーゲルが呟くと、アルティグラは愛おしそうに目を細め、娘の黄金色の髪を優しく撫で続けた。
「なれるとも、ティーゲル。お前は私の自慢の娘だ。まだお前の身体は幼いが、あと五十年もすれば、お前は私を超えるほどの立派な武人へと成長し、私の跡を継いでこの国の参謀となるだろう。そしていつか、お前自身の胎に誇り高き七本尻尾の赤子を宿した時……お前は、私以上に素晴らしい母親になるはずだ」
アルティグラの大きく温かい手が、少女ティーゲルのまだ平坦な下腹部をそっと撫でた。
「母になるということはね、ティーゲル。自分の命よりも大切な『光』を、この世界に産み落とすということだ。私が今、こうして迷いなく王国の盾として剣を振るえるのも、お前たち姉妹というかけがえのない宝物がいてくれるからなのだよ。……だからティーゲル、いつかお前も必ず、可愛い赤ちゃんを産んで、私がこうしてやったように七本の尻尾で温かく抱きしめておやり」
「はい……っ。きっと、母上みたいな、最高のお母さんになります……」
母の優しい声と、七本の尻尾に包まれた絶対的な幸福感。それこそが、ティーゲルという少女の魂を形作るすべてであった。母アルティグラを誰よりも尊敬し、ライアライア女王に純粋な忠誠を捧げ、おとなしい妹ハクレイを守り、そしていつか自分も母のように強く優しい母親になるのだ――少女ティーゲルは、一点の曇りもない瞳でその輝く未来を夢見ながら、穏やかな眠りへと落ちていった。
だが、その同じ夜。
平和な寝息が満ちるトラ族の屋敷から遠く離れた、天帝聖獅城の地下最深部――王立科学開発局の『深層ラボ』では、外界の光が一切届かない冷酷な箱庭の中で、おぞましい狂気が産声を上げていた。
むせ返るような強烈な消毒薬の臭気と、無機質な機械の駆動音。天上から降り注ぐ青白いLED照明が、フロアの中央に並べられた金属製の手術台を残酷なまでに明瞭に照らし出している。
「ぎ、ぎにゃああああああああああああっっ!! いたい、痛いにゃあぁぁぁっ!! ママぁ! ママぁぁぁっ!!」
手術台の上で、全身を太い革ベルトで拘束された幼い『キャレット兵』が、喉から血を噴き出しながら絶叫していた。訓練所から「身体測定」という名目で連れてこられたばかりの、まだ七歳になったばかりの小さな女の子である。支給品の白いマイクロビキニすらハサミで無造作に切り裂かれ、未発達な全裸の肢体が冷たい金属台の上に晒されていた。
彼女の最大の急所である「一本の細い尻尾」の根元は、レーザーメスによって皮膚と筋肉が無残に切り開かれ、剥き出しになった白く脈打つ『馬尾神経の束』に、直接極太の電極針と細胞採取用の吸引チューブが突き刺さっていたのである。
「ヒッ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!! し、尻尾の中を、チュウチュウ吸われりゅぅぅっ!! 頭の中が、お星さまみたいにチカチカして……こ、壊れちゃうにゃあぁぁぁっ!!」
第二の脳である尻尾の神経髄液を活きたまま吸引される激痛に、少女の華奢な身体が弓なりに反り返り、拘束具が食い込んだ手首や足首から真っ赤な血が滴り落ちる。開かれたままの小さな股間からは、限界を超えた痛覚による神経バグで、熱い尿と水様便がプシャアァァッと噴水のように吹き出し、手術台の下の排水溝へと流れ落ちていった。
「……対象番号108、仙骨神経幹細胞の抽出完了しましたにゃ。で、ですが、神経原性ショックにより心拍数が急激に低下……も、もう持ちませんにゃん……っ!」
手術台の脇でモニターを操作していた『科学キャレット』の少女が、分厚い眼鏡の奥の瞳を恐怖に揺らしながら報告した。彼女もまた、手術台の上でのたうち回る少女と同じ十歳足らずの一本尻尾であり、ぶかぶかの白衣の裾から出た自分の尻尾を、恐怖で股の間にきつく巻き込んで震えていた。
「構いません。出力を最大に上げ、心臓が止まる最後の一瞬まで脊髄の魔力伝達データを吸い上げなさい」
手術台の正面に立ち、冷徹な声音で命じたのは――純白の白衣をスタイリッシュに着こなし、背後で七本の美しいピューマの尻尾を揺らす上級貴族、ピューレル博士であった。
すでに実年齢で二百数十歳を超えている彼女は、白衣のポケットに片手を突っ込んだまま、もう片方の中指で眼鏡のブリッジをクイッと押し上げた。
ズキュウウウウンッ!!
機械の吸引出力が最大に達した瞬間、手術台の幼いキャレット兵は「ア゛ッ――!」と声にならない断末魔を上げ、両目と鼻の穴から真っ赤な血の泡を噴き出して絶命した。活きたまま尻尾の神経を根こそぎ吸い出された彼女の死体は、まるで干からびたミイラのように萎み、白目を剥いて動かなくなった。
「……やれやれ。やはり一本尻尾の雑魚の神経細胞では、わずか三本分の魔力負荷をかけただけで簡単に焼き切れてしまいますね。何百匹すり潰しても、これでは基礎データの足しにしかなりません」
ピューレルは退屈そうにため息をつくと、手元のホログラムモニターに映し出された「ある人物」の生体データへと忌々しげな視線を向けた。
そこに表示されていたのは、今日のお昼の軍議でも女王ライアライアの隣に堂々と控え、圧倒的な発言力でピューレルの科学予算増額案を「小細工など不要、王国の防衛は我がトラ族の武が担う」と一蹴してみせた武の最高幹部――アルティグラ参謀のプロフィールであった。
(……忌々しい筋肉だるまめ。自分と同じ『七本尻尾』の上級貴族でありながら、代々トラ族が軍の参謀を務めているというだけで、常にこの私の上位に立ち、実質的なナンバー2として振る舞いおって……!)
ピューレルの眼鏡の奥で、どす黒い嫉妬と憎悪の炎がギラリと渦巻いた。
現在、女王ライアライアの治世は平和であり、本来であれば科学や医療を司るピューレルの方が重用されるはずであった。しかし、現参謀のアルティグラは圧倒的な武力だけでなく、下級貴族や一本尻尾のキャレットたちからも絶大な人望を集めており、女王ライアライアからの信頼も極めて厚い。さらにアルティグラには「ティーゲル」という、母に勝るとも劣らない武の才能を持った長女まで育ちつつあった。
このままでは、アルティグラが引退しても娘のティーゲルがそのまま参謀の座を継ぎ、向こう数百年、いや数千年にわたってトラ族がナンバー2の座に君臨し続けることになる。
「冗談ではありませんよ。このフェリディア王国を正しく導き、やがては十本尻尾のライオン族すらも超越して『絶対神』の座に就くのは、この私……知の頂点たるピューレルなのですから」
ピューレルは実験室の奥にある巨大な培養槽へと歩み寄った。その青白い培養液の中では、何万匹ものキャレットたちから切り取った尻尾の神経組織を編み上げた、おぞましい『人工多尾化』のプロトタイプが脈打っている。
生まれ持った七本の尻尾を人為的に増やし、女王の十本を超える「十一本尻尾」へと進化するための禁忌の研究。だが、その完成にはまだ数十年の歳月と、何より「同じ七本尻尾を持つ強靭なトラ族の生きた細胞と胎児サンプル」が不可欠であった。
「……急ぐ必要はありません。トラ族の寿命と成長速度に合わせ、三十年がかりで完璧な『盤上』を作り上げてあげましょう」
ピューレルの口元が、悪魔的な愉悦に三日月型へと裂けた。
「まずは五十年後、あの小娘が成長してアルティグラから参謀の座を引き継ぐその日に合わせて、母親のアルティグラを『原因不明の奇病』で合法的に屠り去り、その新鮮な七本尻尾の細胞をまるごと私の研究材料として頂戴する。そして母親という最大の後ろ盾を失った新米参謀のティーゲルには……一生涯、絶対に跡継ぎが産めない『呪われた不妊と流産の地獄』をプレゼントしてあげるのですよ」
ピューレルはすでに調べていた。ティーゲルの妹が、トラ族としては完全な不良品である「戦えないおとなしい性格」に生まれていることを。
もしアルティグラが死に、長女のティーゲルが子供を産めない「石女」となれば、由緒正しきトラ族の後継者の座はいずれ、あの無能で気弱な妹ハクレイが産むであろう「姪っ子」へと転がり込むことになる。そうなれば、代々王国の武の頂点を担ってきたトラ族は完全に骨抜きとなって自滅し、王国の実質的なナンバー2の座は、自動的にピューレルの手の中へと落ちてくるのだ。
「ククク……アハハハハハハッ!! 今のうちに母娘仲良く剣を振って、せいぜい幸せな夢を見ているがいいですよ、アルティグラ、ティーゲル! 貴女たちの誇りも、血脈も、これから産まれてくるはずの赤子の命も……すべてこの私の科学で、一片の曇りもなくスクラップにしてあげますからね!!」
「ひぃっ……!」
ピューレルのあまりにもおぞましい独り言を、すぐ近くで死体の片付けをしていた『医療キャレット』の一匹――まだ八歳ほどの小柄な少女が、誤って耳にしてしまい、持っていた医療トレイをガシャンと床に落としてしまった。
ピタリ、とピューレルの笑い声が止まった。
「……おや。そこの医療キャレット。今、私の独り言が聞こえましたか?」
ピューレルがゆっくりと振り返り、眼鏡の奥の氷のような瞳で少女を射抜いた。
「い、いいえっ!! にゃ、にゃにも聞こえておりませんにゃ!! にゃーはお耳が遠いから、にゃにも知らにゃいのですにゃんっ!!」
医療キャレットの少女は顔面を蒼白にし、ナース服の下から伸びる一本の尻尾を股の間に巻き込んで、床に突っ伏してガタガタと震え上がった。
「そう。耳が遠いのですか。医療局のスタッフとして、聴覚に異常があるのは致命的ですね……今すぐ『治療』してあげましょう」
ピューレルが一歩踏み出し、白く細い指先を軽く振った、その瞬間。
七本尻尾のピューレルが持つ固有の超魔道――『不可視の念力』が発動し、床に突っ伏していた医療キャレットの小さな身体が、見えない巨大な手に首根っこを掴まれたように宙へと吊り上げられた。
「ぎゃっ……!? あ、あがががっ……! くる、しいにゃ……っ!!」
「五十年後の素晴らしい計画に、ほんの僅かな情報漏洩のリスクも残すわけにはいきませんからね。お前のその小さな脳みそごと、物理的にフォーマットしてあげますよ」
ピューレルが冷酷に微笑み、右手の五本の指をギュッと握り締めた。
メキ、バキバキバキィッ!! グチャアァァァッ!!
「ア゛ッ――――!!」
見えない念力の万力が、空中で医療キャレットの『一本の尻尾』を根元から捻り潰し、同時に彼女の小さな頭蓋骨を両側から挟み込んで、熟れたザクロのように一瞬で圧し潰した。
悲鳴を上げる暇すらなかった。少女の可愛い猫耳がついた頭部は跡形もなく破裂し、飛び散ったピンク色の脳漿と鮮血が、周囲で震えていた他の科学キャレットや医療キャレットたちの顔面にベチャベチャと降り注いだ。首から下の小さなナース服の肉体だけが、尻尾の切断面と首口からドクドクと血を噴き出しながら床に落下し、ビクビクと数回痙攣して動かなくなる。
「……ひっ……! う、うぅぅっ……!」
顔面を仲間の脳髄と血で汚されたキャレットたちは、口を両手で必死に押さえ、声を殺して涙と失禁の尿を垂れ流すことしかできなかった。ここで悲鳴を上げれば、次にあの念力で肉塊に変えられるのは自分たちなのだ。
「そこのお前たち、床が汚れたので綺麗に舐め取るなり拭くなりして掃除しておきなさい。……さて、まずは五十年かけてアルティグラの臓器をゆっくりと蝕む『遅効性・遺伝子崩壊ナノウイルス』の調整に取り掛かるとしましょうか」
死体と血の海を背に、ピューレルは純白の白衣を揺らして優雅にコンソールへと向かった。
光り輝く上層の屋敷で、母アルティグラの温かい七本の尻尾に包まれて幸福な夢を見る少女ティーゲル。
そして、暗黒の地下ラボで、三十年後の破滅に向けた狂気の種を蒔く白衣の悪魔ピューレル。
二つの運命の歯車は、幼き一本尻尾たちの夥しい血と涙を潤滑油としながら、すでに残酷な音を立てて回り始めていたのである。




