裏庭の勝負
「さあ、行くわよ!白黒ハッキリ、ケリをつけましょう、おじいちゃん!」
エレナは腰に手を当て、裏口の扉を勢いよく開け放った。
そのまま真っ赤な髪を翻し、ラグスの袖を引っ張って外へずんずん歩いていく。
「ちょ、ちょっと待て、娘っ子。俺は別に決闘したいなんて一言も――」
「言わなくても火がそう言ってるのよ!見なさい、この太陽の色!今日という日は炎の女が頂点に立つ日なのよ!」
「こ、怖ーっ……なんだその日は。お、おい、クラウド!」
クラウドは額を押さえた。
「エレナ先生!お願いだから落ち着いて……!」
フィーネとケイト、そしてリィンも顔を見合わせてついていく。
「フィーネおねえちゃん、ほんとにしょうぶなの?」
「……うん、今のところ熱量は本物だね……」
「危ないことにならなければいいのですが……」
裏庭に出ると、春の陽光が石畳を照らしていた。
井戸のまわりに残雪の解ける水がきらきらと光る。
エレナはぐるりとあたりを見渡すと、勢いよく腕を組んだ。
「ここなら火を解き放っても家が燃えないわね。さあ、準備なさい!」
「……なんちゅう強引な娘っ子じゃ」
「問答無用!」
エレナが指を鳴らした瞬間、周囲の空気が一変した。
ふわりと風が熱を帯び、空気の層が歪む。
髪が揺れ、頬に温かい息が触れるようだった。
ラグスは片眉を上げて、ふんと鼻を鳴らす。
「……本気か、嬢ちゃん。火は見せ物じゃねえぞ」
「いいえ、火は芸術よ!」
エレナは両手を広げた。
赤い光が掌の中に渦を巻き、まるで舞うように炎が立ち上る。
炎は蛇のようにくねり、輪を描き、最後には花のように散った。
ケイトが思わず息を呑む。
「……すごい……火が踊ってる……」
「ふふん!これぞ私の“火の舞”!美しく、情熱的で、理屈を超えた炎の真髄よ!」
ラグスは首をかしげながら、杖を地面に突いた。
「……しょうがないのう」
その声は小さかったが、不思議と裏庭に響いた。
風が一瞬静まり、空気が落ち着く。
ラグスの杖先に、ちいさな火の玉が――ぽうっと灯る。
まるで夜の蛍火のように。
「……え、それだけ?」と、エレナが眉をひそめる。
ラグスは微笑んだ。
「火は、騒ぐもんじゃない。火は……聴くもんだ」
その瞬間、彼の杖先の火がふわりと空へ舞い上がり、
まるで見えない糸に導かれるように、エレナの炎の残滓へと触れた。
二つの炎が出会った瞬間、
エレナの火はやさしく溶けるように消えていった。
誰もが息を呑む。
エレナはしばし呆然と立ち尽くし、やがて両手を見つめ、ぽつりと呟いた。
「……火が……歌ってた……?」
ラグスは肩を竦めて笑う。
「嬢ちゃん、火は喋る。だがお前さんちゃんと火の声を聞いとるか?火は囁いてもいるぞ」
その穏やかな声に、エレナは唇を尖らせ――だが次の瞬間、無理矢理口の端を持ち上げるように笑った。
「……おじいちゃん、やるじゃない」
エレナは笑っていたが、声がかすかに震えていた。
負けたとは思っていない。まだ、終わっていない。
「でもね――火の舞は、踊り続けるのよ」
彼女の両手が再び熱を帯びる。
空気が唸りを上げ、井戸の水面が微かに波打つ。
赤い光が掌から弾け、炎が螺旋を描きながら、まるで薔薇の花のように宙へと駆け上がった。
「これが私の“紅蓮旋舞“よ!」
炎の薔薇がひとつ、ふたつ、三つ。
それぞれ別の軌道を取り、ラグスの周囲を包囲するように広がっていく。
熱気が裏庭の空気を押し上げ、風が鳴る。
見ていたフィーネもケイトも、息を飲んだ。
「……凄い!」
「…悔しいですが、炎の大きさだけでなく、美しいですわ」
だが――。
ラグスは、動かなかった。
ただ、ひとつ軽く杖を振る。
「……場所、ずれてる」
その瞬間、エレナの炎が“掻き消えた”。
音も煙もなく、まるで存在そのものが削り取られたかのように。
残ったのは、温度の名残すらない空気だけ。
「なっ……!?な、なんで!?」
「火を出すのは誰でもできる。だが――火を止めるのは、火を“聴いてる者”だけだ」
「何言ってるかわかんないわ!私だって!火の声を聞いてるわ!」
エレナが、ラグスに向かって叫ぶ。
ラグスがゆっくり杖を下ろす。
同時に、エレナの足元すぐ脇――石畳の上に、パチ、と赤い火花が走った。
続いて、肩のあたりで一瞬の閃光。
そして、彼女の背後の空中に、蝶のように燃え上がる火の群れが浮かんだ。
「ひっ――!」
驚きで身を引いたエレナの頬に、熱気だけが優しく触れた。
どれも、焦がしもしない。髪一本焼かず、服の裾すら揺らさない。
まさに“狙った場所だけを燃やす”――極限の精密操作だった。
ラグスはにやりと笑う。
「火魔法の熟練者は、“場所とタイミングと温度”を精密にコントロールして、狙った対象だけを燃やす……嬢ちゃんはできるかの?」
その言葉を聞いた瞬間、エレナの拳が震えた。
唇を噛みしめ、顔を背ける。
「そ、そんなの……ずるい! わたしだって、ちゃんと火と話してるのに!」
「ほんとにちゃんと話しておるかのう。火は……“己の中”におるもんだ」
ラグスの静かな声が、エレナの胸の奥を突いた。
赤い髪が風に揺れ、エレナは目を見開いた。
胸の奥が、熱くなる。
怒りでも屈辱でもなく――理解だった。
「……くっ……ううっ……」
堪えきれず、彼女は俯いて涙をこぼした。
指の隙間から、ぽたぽたと小さな水滴が石畳に落ちる。
火の女が、初めて見せた涙だった。
クラウドとリィンがそれを見て、エレナに駆け寄る。
「エレナせんせーなかないでー」
「エレナ先生、すごく美しい魔法でした」
「…う…う、うわーん!」
ラグスは肩をすくめて、井戸の縁に腰を下ろす。
「泣くこたぁねぇ。火は消えても、灰からまた灯る。お前さんもそういう火だ。……それにな、偉そうに言ってる俺も実は最近気づいたんだ。火は元から己の中にあったってな」
ラグスのゆっくりとした語り口と諭す言葉に、エレナは嗚咽を堪えて、ぐっと唇を結び、涙を拭った。そして、真っ直ぐにラグスを見上げる。
「うっうっ……認めない。……認めたくないけど……」
悔しさを押し殺すようにして、震える声で言った。
「……でも……完敗よ」
ラグスはわずかに口元を緩める。
「素直でよろしい。……お前さん、いい火になりそうだ」
クラウドが見守る中、エレナはぐっと胸に手を当て、深呼吸した。
炎の魔法士としてのプライドと、人としての柔らかさが、初めてひとつになった瞬間だった。




