第六十六話『帰宅』
昨夜は、ユーラがどうしても同じ寝台で寝たいと言って来たので、ゼントは困ってしまった。
無論、他意はない。純粋に近くに居たかったのだろう。
しかし流石の彼も許容しかねた。
よそよそしかった態度が軟化したのはいい事なのだが、距離感が近すぎるのも問題がある。
将来的には、再び自立してほしいとの願いから、付き合い方を考えなくてはならない。
根気よく説得し続け、だが彼女も強情でなかなか譲らない。
妥協に妥協を重ね、明らかな屁理屈を大人げなく用いてようやく、ベッドを隣り合わせて互いに眠ることになった。
そのまま、翌朝――
寝る前から嫌な予感がしていたゼントは、夜明け前に起きた。
そして、眠る前に無かった感触を受け、すぐさま寝床を飛び出す。
振り返ってみると、やはりユーラがベッドの境界を侵犯してきていた。
何故そんな予想が立ったのかは自分でも理解できない。
「はぁ……」
直後に出てきた深いため息は、一体どういう意味なのか。
日の出後、起きて来たユーラの顔はやや不満げだった。
今のところできる準備は全て整えてある。
確認したのだが、ユーラは一刻も早くここから出たいとのこと。
とりあえず身支度を済ませ、周りに挨拶をして教会を後にすることにした。
「それじゃあユーラ、達者でね」
庭園の出口、そう告げる神官長やその他の面々が集まっている。
だが、声を掛けられている彼女は、その方向を見向きもしない。
怯えているのだろうか。
ゼントの後ろで縮こまったまま、俯いている。
いや、目を強く瞑り見ないようにしていたのだろう。
その明らかな異変を感じつつも、軽く会釈をしてとりあえず後ろを向いて歩き出す。
異常だったが、呼びかけて返事を催促する気にはなれなかった。
敷地を出て、一先ずは今使っている住処に向かうことになっている。
移動している間、きょろきょろと周りを見て、
でもユーラは折れている右手を器用に使って、終始ゼントの手と肩を強く握っていた。
人と出会う度に彼女は目を瞑って地面だけを見るようにしている。
どうやらゼント以外の人を見ると極度に怯えるようだ。
だから、人通りが少ない道を選んで行くようにした。
それは町人の視線が気になる彼にとっても好都合だ。
道中、互いに会話という会話は無く、気まずいとも言えない空気が流れる。
ゆっくりとした足取りだったが、確実に目的地に進んで行く。
二人のどちらかの知り合いに会う可能性も十分にあったが、何事もなくゼントの家までたどり着いた。
「――うわー、ずいぶんとかいてきそうなばしょ!」
家に到着するなり、ユーラは声を輝かせて言い放つ。
ずっと怖がっていた様子だったので、ゼントは少し安心した。
それにしても、今のセリフは最近どこかで聞いた気がする。
中に入っても態度は変わらず、部屋を色々と物色していた。
一瞬嫌な記憶が頭を過るが関係ない、とにかく今を営むだけだ。
「――これなに?」
「それは危ないから触らないで」
「はーい」
ふと声が聞こえて、見るとユーラが形見を不思議そうに見かけている。
触らせないように注意すると、大人しく引き下がった。
ゼントはしばらく考え込んだ後、声を張って大きく言った。
「お金が貯まったら、もう少しいい所に住めるからな」
「え!?なんで?」
それは自分への言い聞かせと、ユーラへの報告のつもりだったのだが……
歩き回っているところに横から話しかけると、勢いよく振り返って来る。
見える顔は目を丸くさせた驚愕だった。
「なんでって、ここじゃ色々不便だろ?必需品もそろってないから生活が大変だぞ。上からも横からも風通しが良すぎる気がするし……」
「やだ!ゆーらここがいい!」
「そうか?そんなに気に入ってくれてるなら、それでいいんだけど……」
自嘲を含めて説明するも、真っ向からお断りの返事をされる。
子どもながらの感性で、秘密基地のような憧れを抱いているのだろうか。
でもさすがに手を加えた方が良さげだ。
さて、ゼントはずっと気になっていたことが二つある。
ユーラの消えた記憶の件で、考えれば考えるほど不可思議だった事。
神官長やフォモスたちの事は忘れているのに、何故か自分の事は覚えている。
途切れ途切れに消えてしまったのなら、他にもどこが残っているのか。
例えば、兄と呼ぶものとの記憶はどうなっているのか。
今いる場所はどのように認識しているのか。
目の前に居るユーラに聞けばすぐに解決することなのだが、如何せん手が出せない。
というのも、精神が不安定だからだ。彼女自身の思い込みと現実との差が、混乱をもたらしてしまう。
多少言動に違和感があっても、否定しないようにと例の医者から言われていた。
だが、もう一つの方は……
「そう言えばユーラ、聞きたいことがあったんだ」
「どうしたの?」
「他の人が近くに居ると震えているだろ?もしかして人間が怖いのか?」
「おにいちゃん、にんげんってしゃべっていたやつだよね?……あれってほんとうに、にんげんなの?みためがきもちわるくて、ゆーらみたくない……」
明るかった声から急転、不思議そうに首を傾げてくる。
それはおおよそ、子供とは思えない声の暗さだった。




