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第六十五話『再燃』

 



「――ユーラ、体はもう大丈夫か?」



 今の質問は配慮できていない言葉だった。

 もっと子供に目線を合した接し方でなくては……

 ただゼントはいつもの彼女を思い出してしまうのだ。



 彼には現在、今まで無かった制約が出来てしまっている。


 まずユーラを第一に考えなくてはならなかった。

 彼女のために、死を恐れなければならなくなった。

 死なないために、危険をなんとしてでも回避せねばならなかった。

 危険を回避するために、恐怖心を覚えなくてはならなかった。


 こうして――ゼントには生きる理由が出来てしまった。

 無論、本来死への恐怖は誰にでもある。

 だが、最近の彼にはそれがどんどん薄れていたのだ。



 夜は遅く、暗い部屋の中、

 ゼントが持っていた、手持ち燭台の蝋燭だけが光り輝いていた。

 ユーラはと言うと、ずっとベッドの隅で布団に蹲っている。


 近づいて屈み、怖がらせないように声を掛けると、

 瞬時に毛布の中から手が伸びて来た。

 あっという間にゼントの手首を掴み、

 出て来た腕の隙間から、彼女の顔が見えた。


 少し驚いたがゼントは慣れない微笑を見せる。

 薄明かりの暖色の中、彼女は目が合うとはっとしたように表情を変え、すぐに手を引っ込めた。

 同時に顔も見えなくなってしまう。どうやら、まだ何かに怯えているようだ。



「――ユーラ、もう心配しなくても俺はずっと一緒にいるよ」


 一秒でも早く安心させてやりたい。

 一番求めている言葉を語り掛ける。


 丸まった布団は震え続け、言葉を返してはくれない。

 十数秒の間の後、ようやく布の中から声が聞こえて来た。



「こわい……」


 零れてきた音は、今まで聞いたことも無いほどに震えている。

 ゼントは怯えさせないように精々、細心の気を払う事しかできない。



「なにが怖いの?大丈夫、俺が全力で守るから」


「……ちがうの。おきたら、またおにいちゃんがいなくなってるかもしれないとおもうと……」


 それは診療所で後先考えず吐いた嘘の罰だった。

 実際守り切れなかったゼントに、これを言う資格はないが、今は仕方ない。

 何と言葉を返したらいいか、迷っているうちにまた告げて来た。



「きのういってくれたことはほんとう?」


「本当だよ。今もこうして傍に居るじゃないか」


 ユーラは布団の隙間を作って、またこっそりと顔を出してきた。

 今度はゼントも即答できる。

 だが彼女は未だ疑念を抱えた目をしていた。



「だから、ゆーらはこわいの……」


「どうして?」



「そういわれて、あさおきて、おにいちゃんがまたちかくにいなかったら。うらぎられたら、ゆーらもうたえられない。それだったら、もうおにいちゃんのことはあきらめるから、ほんとうのことをいってほしいの」


「…………」


 それは、まさしく心の叫びだった。

 あの時、後先考えず吐いた嘘がここまで増長してしまうとは考えてもいない。

 絶句だ。ゼントは声すら出せない。


 二つの瞳に溜めた涙は、純粋な心を示している。

 縦に流れるそれは、接している布を泡のように濡らす。



「ユーラ、今度こそ約束する。絶対離れずに居る!」


 彼女と同じ恐怖に飲まれそうになるも、ゼントははっきりと言い切る。

 いや、そうせざるを得なかったのだろう。

 だが、ずっと露呈していた彼の弱い部分が、今だけは無かった。



「ごめんね。おにいちゃんをしんじたいんだけど。わかっていても、どうしてもだめになっちゃうの……」


「ユーラ、何度も言うけど約束を破った俺が悪いんだ。お前は何も悪くない」



「……うん。こんどこそしんじるから、ゆーらをおいていかないで……」


 それは安心しきって出たものではない。

 自棄と悲観に苛まれて、やっとかすかに見えた希望に縋る声だ。



「はっきり言って俺と一緒に来ると、かなり大変だと思う。ここまで言っておいてなんだけど、それでもいいのか?」


「なんでいまさらそんなこときくの?」


 ユーラは布団から顔を出すと不思議そうに、だがここにきて初めて僅かだが笑みを見せた。

 念のため聞いてみたが、どうやら愚問だったようだ。



「……変な事聞いて悪かった。体調は大丈夫か?気持ち悪さとかは?」


「たぶん?だいじょうぶ」


 自身でよく分かっていないような曖昧な返事だ。

 ゼントは思わず彼女の額を手で触った。

 無意識に体温を測ろうとしたのだろうが、少々不遜だったかもしれない。


 手に伝わってくるのは、薄く頭蓋に張った、それでも柔らかい皮膚だった。

 熱はもう下がった様子。少しは枕を高くして眠れるというものだ。


 おもむろに彼女との顔が近くなる。

 脆く、儚く、少しでも目を離せば闇の中に消えてしまいそうな表情をしていた。



「今日はもう遅いから、お日様が昇って、体調も大丈夫そうだったらここを出よう」


 ゼントは、少しだけ自分の顔が熱くなった気がした。

 部屋を流れる冷気が心地よく肌を撫でる。

 落ち着こうとしたのか、大きく息を吐いた。



「うん。ありがとう。ねえ、おにいちゃん?」


 ユーラは最後に言いたいことがあるようだった。




「どうした?」


「――あいしてるよ!」



 ……先程とは一変した明るい声に、一瞬心臓が止まるかと思った。

 何故また似合わないセリフを言うのだろう。


 もちろん恋愛的意図はない、と信じたい。

 あの人以外の女性に心を動かしてはいけないのだ。


 きっとそうだろう。兄と呼ぶ者からの言葉なのだから家族愛とかに違いない。

 動悸が起こったのも、あの人との過去を思い出して、驚いていただけだ。

 ゼントはそう自分にきつく言いつけた。



「早く寝ないと、また熱が出るぞ」


 昨日と同じようにはならなかった。

 表層に出そうになった感情を何とか押さえつけて、遠回しに注意する。



「うん、おにいちゃん。おやすみなさい」


「おやすみ、ユーラ……」



 夜、理由は定かではないが、

 両者ともひどく赤面していたという事だけは述べておく。


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