第四十七話『悪手』
――日が沈んだ後、食後に夕方少女は何の断りもなく寝床に入り込んできた。
今部屋にあるベッドは一つだけ、しかもどう見ても一人用。
二人で使うには少々無理がある。
関係ないとばかりに、強引に体を詰めてきた。
「ユーラ!本当に悪いけど、一人で寝させてくれ!!」
今日一日だけで体力を消耗しているゼントは焦った。
夜すら一人になれないのかと、危惧したからではない。
異性と寝るなど、彼にとっては大罪に等しい。
なぜなら、亡き恋人にあれだけ想いを寄せる男が、操を立てていないはずがなかったからだ。
いつかの黒髪の少女が家に泊まると言われ、感情を荒立てたのも同じ理由。
「えっ?何も問題ないし、別にいいでしょ?」
一方少女の思考は、ゼントの気持ちの理解など超越していた。
彼の想いは、初めから常に自分に向いていると記憶している。
彼女の視点では、どうして嫌がる理由が分からない。
「今日はちょっと疲れてるんだ…!狭いと疲労が取れないだろ?」
「ゼントは何もしなくていいんだから、疲れはゆっくりとって!でも私とは一緒に寝てほしい!!」
厳しい言い訳とは思っていたが、やはりユーラは動こうとしない。
「だったら、朝言った剣を持って来てくれないか…?今日はずっと俺に付きっ切りで、持って帰ってくれなかったじゃないか」
「あ、忘れてた…………分かった。必要なら今すぐ取って来るね」
今度は何とか意識を逸らすことに成功した。
ベッドから下りて、服の裾を軽く払うと、
外はもう暗くなっているというのに、部屋の外へと元気に飛び出していった。
「――今のうちに……!」
ゼントはその光景に安心する事無く、腕から縄を外すための行動を開始する。
誰でもない彼女のために、
いつ戻って来るかも分からない。
中途半端に解かれた縄を見られたら、間違いなく今度こそ終わりだというのに。
少女が帰ってきたら反論する余地もなく、耐え難い激しい感情をぶつけられるだろう。
でもこの状態のまま彼女が戻ってきたところで、何をされるかも分からない。
脱出するなら今しかなかった。
両手首から伸びる縄を交差させて、ひたすら交互に引っ張る。
格好は悪いが、これは華麗な脱出ショーではない。
左手に付けられた鈴が、果敢無くゼントの耳に入ってきた。
少しずつだが繊維がほつれて、脱出の兆しが見えて来る。
頭の中は何も考えられてなかった。
もうすぐ脱出できると希望に満ちていて、意識を配る余裕が無かったのだ。
だから、すぐ隣で物音がしたことも、扉の前で立ち尽くす少女にも気が付かなかった。
「なんで……??」
縄が千切れる寸前というところで、横から疑問が音として露わになる。
突然出現した最大限危惧すべき存在にゼントは固まり、恐る恐る顔を横に向けた。
考えうる中で最悪の結末、見ると少女の手には何も持ち合わせてはいない。
つまり、まだ用事を済ませていないという事だ。
何も言わず、素早くこちらに近づいて視線を落とし、物惜しそうに解けかけた縄を見ている。
「ユーラ!?剣を取りに行ったんじゃ……!?」
さっさと縄を解き、少女を押しのけて逃げ出せばよかっただろうに。
脱出できるかもしれないという希望から、突然の絶望へと叩き落されたことにより、すぐには立ち直りが出なかった。
ゼントのあらゆる部分の脆弱さが露呈した場面でもある。
しばしの気まずすぎる静寂が、至近距離の二人を覆う。
そしてゼントは見てしまった。
少女の白濁した輝きのある瞳が、赤黒く刺々しく虚ろなものへと変貌する瞬間を……
「……結局、全部私の一人よがりだったんだね……互いに愛し合っていると思っていたのに、そう思っていたのは私だけだったの??勝手に一人で舞い上がっちゃって、私って馬鹿みたい……」
一瞬正気に戻ったのかと思ったが、そうではないようだ。
黒ずんだ血液のような目は、鮮明にゼントの頭に焼き付いた。
「告白は嘘だったの?遊び半分だったの?」
当たり前だが、状況は悪くなる一方だった。
だが、少女は現実と妄想の狭間で苦しんでいる。
ゼントは咄嗟に彼女の洗脳を解く好機だと思った。
まさか少女が、自身への愛ゆえに狂ったとは微塵も思わず、
凶悪な現実を、無慈悲に真正面から叩きつける。
「――ユーラ!俺たちは恋人なんかじゃないだろ!?お前の事が別に好きなわけでもないし、告白した記憶も一切ない!」
射った真実の矢の先には、須らく甘い蜜を塗るべきだった。
本人とっては辛い真相なのだから、せめて言い方を考える必要があった。
どうしようもなく、仕方のない事だったのは言うまでもないが……
言葉に刺された少女はただただ黙り、どこから取り出したのか手には金属製の鎖が握られていた。
瞳は更に黒が沁み広がり、自身の過ちに気が付いた時にはもう遅い。
「ゼントがそんなになるのなら、私も少し我儘になっちゃってもいいよね?」
気が付くと両手には、縄の代わりに少女が持っていた鎖が取り付けられていた。
両手首が隣り合っている。前と違って自由に動かせない。
感化させたい一心で、抵抗する暇も気力もなく許してしまう。
案の定、少女は再びベッドに入り込んでくる。
両手が完全に拘束された状態では、押し返して抵抗することも出来ない。
そして想い人を見つめながら、ゼントにとって最悪な場所に手を伸ばした……
「ユーラ!やめてくれ!俺が悪かったから!!本当にそれだけは!!」
「大丈夫、好きな人同士なら当然でしょ…?私も初めてだから……!」
「――誰かた、たすけ……!ユーラ本当に止めろ!!!」
彼が抵抗できる最後の手立ては、叫ぶことのみ。
もう終わりだと、直感で感じた。
しかし、ゼントは次の瞬間には放心してしまう。
全てを虚無と諦め、投げ出したからではない。
少女のとは比べ物にならない。
この世の終わりとも思える異様な光景を目撃してしまったから。
世界で初めて起こった出来事だと思えたし、実際そうだった。
――ユーラの後ろに見えた天井が……
一面、鮮血のように赤く染まっているのを……
夜の黒と相まって赤黒く見える何かは、
こちらにゆっくりと、巨大な手のようなものを差し伸ばしていた。




