第四十六話『改竄』
ゼントは、ユーラが彼女の意志由来の言動ではないと推論したが、
誰かに記憶を書き換えられたわけでも、操られているわけでもなく、
ユーラはユーラのままだった。
彼女の頭はたった今も正常に動いている。
ただ、自分で記憶が書き換わってしまったのだ。
ユーラの、未来が、運命が、定まった瞬間だった。
三日前の夕方、
怪しい店主に言われたことが、纏わりつくように頭を離れなかった。
“彼が嘘をついた?”ありえるわけがない。
あいつがいい加減な事を言ったに違いない。
私に対して嘘をつくはずがない。信じるな!
だから確かめるために戻ることはせず、大人しく自分の寝室へと戻るのだった。
それでも、ゆるやかな夜の闇と共に、不安は膨れ上がるばかりで、憂慮が取り巻く全てを満たす。
ここ数日、まともに寝られたためしが無い。
気が付くと、我慢していた涙がベッドの布地に大きく滲んでいる。
無理やり抑え込むために一人寂しく妄想を延々繰り返した。
――好きって言ってくれた!愛しているって言ってくれる!!
少女の心の支えは雛型の妄想だけだった。
視界の狭さが、彼女の世界の狭さをそのまま映し出している。
誰に諭されようと、絶対に揺らぐことのない確固たる自信。
でも逆を言えば、それ以外に彼女の自己を安心させる要素は何もない。
悲惨な事に、唯一心の拠り所だった記憶も彼女の頭の中で捏造されたもの。
やがて妄想は実際にあったような記憶へと定着した。
度重なる計画の破綻、想い人からの拒絶、
寄せる想いの強すぎた少女は、縋るものが無い彼女は、
無意識に頭の中に、ひどくあたたかなシアワセを生み出した。
彼から想われている。求められている。
それだけの記憶で幸せは手に入った。
なんと憐れで傷ましい事だろう。
少女に自身の運命を悼むだけの猶予は残されていない。
残った手立ては、自ら作り出した幸せな想いに浸ることだけだった。
自我が崩壊したから狂ったのではない。精神を守るために狂ったのだ。
それが表すところは、つまり……
――ユーラの人格は、もう人として砕け散ってしまっていた。
壊れてもなお、自分の持つ経験を、財産を、人脈を、
全てを捨てて、自分を愛してくれる人に尽くそうと心に固く誓いを立てた。
…目の前にあの人が居る。絶対にどこへも行かない私だけの……
来る日も来る日も、食事や身の回りの世話をする。
私が働きに出て、彼の事を想いながら仕事をこなし、彼が待っている家に戻ってくる。
帰ってきたら、お互いに愛の言葉を囁いて毎日毎日、あたたかな幸せに包まれて永遠に暮らすんだ。
そのうち、彼との子供も……
……いや幸せには違いないが、どうせ彼との時間の邪魔になるだけだからいらない。
愛されていることを実感するだけ、それだけで満足だ。
都合の悪い事は全て無視する。
見えているのに見ていない。聞こえているのに聞いてない。
望んでないのに入って来る五感の全てを否定した。
ここを出て行く理由なんて無いはず。
今までの彼の行動を思い起こせば、何を重要視しているのかすぐに分かった。
夢を、幸せな夢を私に見せておくれ……
例え幻でも、縋れるものなら余儀なく縋ろう。
願わくばどうかずっと、永遠にこのままで……
いや、願うだけなら誰でもできる。
夢や幻を見ているのも上に同じ。
何かを変えるのに必要なのは意志と行動、ただそれだけだ。
恋慕と欲望と執着と、麻薬のような依存が、彼女の最後の桎梏から解き放った。
そして、思い描いていた幸せを掴むための計画に、身を眩ませて着手する。
◇◆◇◆
「――はいゼント、あーんして!」
少女の欲求に、ベッドの上で両手を拘束されている男が、複雑な表情のまま口を開けた。
眉を潜めて、だが何も言わず動作を受け入れている。
背面にある壁に背を持たれさせて、落ち着いて口を開く。
「おいしい?」
顔を斜めにして、白濁した瞳で見つめている。
少女の言葉を、無条件に頷いて肯定した。
「よかった…!」
喜びを隠しきれず優しい笑顔を見せて、口元からスプーンを引き抜く。
もう歪な笑いはそこには無い。純粋に心を洗われて、清らかな少女がそこには居た。
食事は一口一口、その動作の繰り返しだった。
一回ごとにわざわざ聞いてくる。
その度にゼントは、沈痛な表情をより深めていく。
「今日はずっと一緒に居るから安心してね!」
食事が終わると、食器を重ねながら少女は嬉しそうに言った。
だがゼントにとっては都合が悪すぎる。
予期してなかったわけではないが、好ましくない状況に顔を顰めざるを得ない。
結局彼女は一日中、部屋に入り浸っていた。
気遣うような言葉を何度も投げかける、が、
同時に途中で何度も愛の言葉も求めてくる。
少女自身には沢山耳元で囁かれた。
『大好き!』『愛してる!』『ずっと一緒だからね』
何度も何度も何度も何度も、
甘ったるい言葉を毎回聞く度に、ゼントは焦燥に駆られ続ける。
意識を保つのが面倒なほど、時間は長く感じられた。
一人になったら速攻で脱出するために、腕に括られた縄をどうにかしようと思っていた。
少女の為の行動なのに、目の前の相手が許すはずがない。
仕方がないから、夜寝静まったところをこっそり抜け出そうとあれこれ計画を練っていた。
だがその日の夜――
「――ゼント!一緒に寝よ!!私達恋人なんだから当たり前だよね?」
考えが想定以上に甘かったことを思い知らされる。




