第四十二話『序開』
――頭を過るは、文字通り最悪の結末。
突然に、大切な人間が目の前から零れ落ちてしまう光景を、
もちろん杞憂であれば、それ以上の事はない。
しかし何か、何かがゼントを焦らせる。
心の中が目まぐるしく騒いで、落ち着いてなどいられなかった。
ユーラはゼントにとって大切な人間だ。
一番とは言い難い。だが今の世界で、落ちこぼれた彼を気にかけてくれる人間はそう居ない。
半年より前は、ほとんど交流が無かったというのに……
単に同情を寄せられたのかもしれない。
闇雲に、無作為に、町の中で視線を狼狽させ、徘徊する。
無意味だと分かっていても、後悔の無いように全てを尽くしたかった。
訳も分からず、立ち止まって考え込んでしまうこともあった。
最後の彼女との会話を思い出す。
唐突に抱きついてきて、“自分が渡した料理を食べたか?”と問われた。
嘘をついて、食べたと答えた。
丹精込めて作った料理を食べてほしかったのだろうか?
だとしても様子がおかしかった。結局何をしたかったのだろうか。
嘘をついた事がまずかったのか。無理やり対話から逃げ出したことが原因か。
考えれば考えるほど分からなくなっていく。
行動で解決するしかない、と言われているようだった。
フォモスは言っていた。街中は“ほぼ”探したと、
おそらくまだ探してない場所があるはずだ。
町の外へも行ければいいのだが、一歩でも出れば魔獣の脅威が襲い掛かる。
装備を整えたところで彼の腕では余計に時間がかかるだろう。
ならば、まだ可能性が残っている町中を探すべきだ。
未だに探してなさそうな場所。町はずれに点在する空き家や、隅にある路地裏など。
歩き回り、時には駆け抜ける。ルブアという町は一日がかりでようやく回れるほどの大きさ。
だが一向に状況は解決されず、時間だけが刻々と過ぎていく。
やがて日が傾いて来ると、協会で起こした出来事が効果を発揮してくる。
通りを歩いているだけで、町ゆく人から冷めた視線を浴びせられるようになった。
理由は自明の理、彼が自分自身を卑怯者と喧伝したからだ。
「…って聞いたんだよ!みんな話してるぞ!」
「……それは本当?信じられない……」
こちらを見つめては、微かに聞こえる声で話し合っている。
朝の出来事について噂が予期した通り広まっているようだ。
自らの思惑が、こうも裏目に出るとは思わなんだ。
可能な限り、全ての場所を探したつもりだがいるはずもなく。
心配なのは山々、だがこれ以上視線に晒されて精神的に困難だと感じてしまった。
一切の成果が得られず、とぼとぼと家路に就くも、町中での白い眼は止まらない。
むしろ強くなっている気がする。自意識過剰というわけでもなさそうだ。
自らの意志で仕出かしたことなのに、耐え切れなくなり走って戻った。
家に戻ったところで、胸騒ぎが落ち着くわけではなく、焦ってもいい事はない。
だが苦悶が膨らみに膨らみ、頭痛や眩暈すらしてきた。
こんな時は眠って、無理にでも体を休めよう。そう思って家の前まで来た。
住処の周囲は相変わらず静まりかえっていた。
耳を澄ましても、風の吹き抜ける音と木々の葉がさざめく音しか聞こえない。
自然だけの雑音のない静けさと、夕日がもたらす揺らめく赤はゼントの心の不安を掻き立てる。
自分は本当にこんなところに居ていいのか?
増長した憂いが、理性が押さえつけている。
何度も自らに言い聞かせたはずだ。
できる事には限りがあり、焦っても仕方がないと、
それによく考えるべきだ。もう日が暮れる。
夜の暗闇でろくな明かりも無い中で捜索は無理だ。町の視線も耐え難い。
それに………それに、まだ行方不明と決まったわけじゃない……
彼自身にも、なぜここまで落ち着けないのかは分からなかった。
焦りと苛立ちの中、部屋に入る足取りは重く、
ふと、正面を見ると、
ユーラが居た。
――あれ……?あれ?あれっ?あれ!?
彼女を見た瞬間、
背筋に凄まじい寒気が走った。
全身が小刻みに震え、波打つ。
こちらに気が付く様子はなく。
亜麻色の髪を靡かせて、何事も無かったかのように佇み、ゼントに背を向けて部屋の中を物色している。
後ろ姿も髪型も、間違いなく彼女のものだった。
求め過ぎていたものが、幻覚となって目の前に現れたのだろうか。
実際、半年前には頻繁にあった。
そもそも彼女が失踪したということ自体が夢だったのだろうか。
もしかして今も、覚めることのない悪夢を見てしまっているのかもしれない。
しまいに、脳みそはまともな稼働を止めてしまう。
足音を立てず、そっと近づいて、肩を持ってみた。
しっかり掴めた。感覚も確かに存在している。
夢や幻覚ではないという論証がそこにはあった。
「ユーラ!…ユーラ!いなくなったって聞いて心配してたんだぞ!!」
どのように声を掛けたらいいか分からず、ただただ正直な思いを伝える。
誰にも告げず三日も行方を眩ませて、何をしていたのか、何故ここに居るのか。
疑問は全て、頭の中から零れ落ちた。
いきり立つ声と肩への感触で、彼女もさすがに部屋へ入った存在に気がついた。
ゆっくりと、首と体を声の方へと向ける。
しかし――
予想してなかったわけじゃないが、どこかで期待していた。
目の前の彼女は、何の変哲もない、いつも通りで、ごく普通の可憐な少女であると、
でも――振り返ったユーラの瞳には……
残念ながらあの時と同じような狂気が混ざっていた。
毒々しくも美しい、今にも壊れてしまいそうな、
虚空を見つめるように輝きが無く、目の前の相手を見据えられているのか怪しい。
「私なんかを心配してくれたの……?ごめんなさい……新居を用意してたの。誰にも妨げられることのない、私たちだけの空間を……!」
祈るように手を正面で組み、表情は歓喜に震えている。
上目遣いで見つめられ、声色にもあらゆる感情が一緒くたになってしまっていた。
同時に、相変わらず彼女の言動は意味不明だった。
会話に脈絡があるように見えて、意思の疎通ができていない。
ゼントの返事を待たず、訳が分からない言葉を続ける。
「じゃあ時間もいい感じだし、今すぐ案内するね。初めて入ったけど、こんな崩れかけたところに居たら危険だよ?」
前のように危険は感じない。
だが、何を言っているのか本当に理解できない。
いい感じとはどういうことなのか?もう外は暗くなっているというのに。
そして突然。あまりにも突然だった。
ユーラが手の中に潜ませていた布を口元に押し付けて来る。
何が起こったのかは分からなかったが、どこかで嗅いだような香りが鼻を突く。
共に頭の先から力が抜け、意識が遠のいていくことだけは分かった。
最後に見たユーラは、今まで見たこともない至上の笑みを浮かべて、
目を瞑ったまま、甲高く乾いた笑い声を上げていた。
頭の中で描いた最悪の結末は、どうにか回避できたとゼントは胸を撫で下ろした。
だが唐突な再会から、再び彼の道筋は真っ黒に染まろうとしている。
偶然か必然か、神なぞにも分かってたまるものか。
苦痛を耐え偲ぶ彼の人生に、選択権など無い。




