第15話 ステージという名の処刑台。そして、新たな絶望
私は今、ステージという名の処刑台に上がっている。
薄暗い地下ライブハウスの店内で、私たち五人が立つ場所だけが暴力的なまでに光り輝いていた。無数のスポットライトが熱を持ち、私の肌をじりじりと焦がしていくような錯覚を覚える。
ドッドッドッドッ……と、嫌になるくらい心臓の鼓動がうるさい。
それはまるで、私の身体の奥底から「お前はここにいるべき人間じゃない、場違いだ!」と必死に主張しているかのようだった。
そんな極限の緊張で吐き気を催している私の隣で、才川さんは堂々とマイクの前に立ち、観客に向けてにこやかに話しかけている。
「皆さん、こんにちは! 私たちは結成したばかりの『KANADE-ZAKURA』です。今日は最後まで楽しんでいってくださいね!」
眩しい。
流石は天性の陽キャだ。
大勢の見知らぬ人間の前で、どうしてあんなに淀みなく、しかも楽しそうに言葉を紡げるのだろう。
やはり、私と彼女とでは根本的に住む世界が違うのだと痛感する。
* * *
客席には、結構な人数のお客さんが残っていた。
それは私たちに集客力があるからではなく、今日のメインキャストであり、私たちに快く出番を割いてくれた先輩ガールズバンド『Crimson Riot』のメンバーたちが、「次に面白い新人たちが出るから、絶対見ていってね!」とMCで紹介してくれたおかげだ。
彼女たちの厚意で用意された、恵まれたステージ。あとは自分たちの実力で、この見知らぬお客さんたちの興味をつなぎとめるだけ。
私には何の自信もないけれど、他の四人の実力は本物だ。
私が足を引っ張りさえしなければ、きっと大丈夫。
「ワン、ツー、スリー、フォー!」
金剛寺さんの力強いスティックのカウントが響き、演奏が始まった。
その瞬間。
私の中で、何かがプツリと切り替わった。
緊張が限界の閾値を超えたからだろうか。
私は唐突に「無心」のトランス状態に入り込んでいた。
自意識過剰で、怯えきった「細川桜」という個人の意識を切り離す。
自分の体を、ただ音を出すためだけの「一つの楽器」に見立てて、客観的にそれを操作するのだ。
そうでもしなければ、私はこの場に立っていられなかった。
* * *
一曲目は、私が作詞した『生存戦略』。
朝の絶望と、目立たぬように息を潜めて生きる日陰者の切実さを歌った、陰鬱極まりない曲だ。
金剛寺さんのドラムと凛ちゃんのベース、そして小清水さんのピアノが、重厚で沈み込むようなリズムを作り出す。そのどっしりとした土台の上で、私は無心で、ただ息を吸い、声を放った。
『朝の光は わたしの影を焼き尽くす
まぶたの裏に貼りついた 悪夢を剥がして
世界の片隅に 境界線を引いて
誰の視界にも触れないように 息を潜める』
普段の私なら絶対に口に出せない、黒い感情。
しかし、自分がただの「楽器」になった今、私は演奏の間だけ、自分の存在を世界に向けて強く訴えかけていた。
『ここは地獄の底
光はわたしを避けて屈折し 沈黙だけが味方
処刑台の上で
誰にも届かないノイズを吐き出せ』
腹の底から絞り出すような、力強く迫力のある声で、自虐と呪詛に満ちた歌を歌い上げる。
フロアの空気が、ピリッと張り詰めるのがわかった。
ただの女子高生バンドのお遊びだと思って、腕を組んで斜に構えていた観客たちが、一人、また一人とステージに釘付けになっていく。
私の「冷徹なまでの没入」が、彼らの目には計算された「孤高のアーティストの風格」として映っているようだった。
息をつく暇もなく、曲は二曲目へと移る。
才川さんが作詞した『君に触れる速度で』だ。
先ほどの重々しい空気から一転、小清水さんの軽快なピアノのグリッサンドから始まる、ポップでキャッチーなメロディ。
歌詞の内容は、思春期少女のうぶな初恋。
奥ゆかしく、可愛い恋心を描いたものだ。
一曲目の陰鬱なサバイバルから、いきなりパステルカラーの純愛ソングへの急旋回。情緒がどうにかなってしまいそうだが、私は自動演奏機械のように、その可愛らしい歌詞を正確になぞっていく。
ふと視線を横にやると、才川さんがテクニカルなギターのカッティングを刻みながら、こちらを「さりげなく(いや、全然さりげなくないレベルで)」チラチラと見つめていた。
私が演奏をミスらないか、心配で仕方がないのかもしれない。
* * *
二曲の演奏が終わった。
アンプの残響が消え入るのと同時に、一瞬の静寂の後、フロアからわぁっと大きな拍手と歓声が沸き起こった。
観客の反応を見る限り、大好評だったと思う。
最前列の方では、驚きと感銘を受けたような顔でステージを見上げている人たちの姿がはっきりと見えた。
それは曲自体の評価なのか、(私以外の)四人の超絶技巧が凄まじかったからなのかは分からない。それでも、彼らの顔が、このバンドの演奏のレベルの高さを確かに物語っていた。
私は、静かに息を吐いた。
そして、胸の奥からじわじわと温かいものがこみ上げてくるのを感じた。
感激だった。
大したことのない、いつも教室の隅で息を潜めているだけの私だけれど。
才能あふれるこの四人と一緒なら、一つのことをやり遂げることができるのだ。
生まれて初めて味わう、強烈な肯定感と達成感。私は微かに震える手でマイクスタンドを握りしめ、深く頭を下げた。
* * *
無事にステージを終え、バックヤードの狭い楽屋に戻ってきた。
汗を拭い、ギターをケースにしまいながら、私はあのステージでの熱狂の余韻を一人静かに噛み締めていた。
うん、よく頑張った。
今日の私のHPはもうゼロだ。あとは家に帰って、お風呂に入って泥のように眠るだけ。最高の気分で、この日を終えられる。
ギターケースを背負い、早々に楽屋から立ち去ろう。
凛ちゃんに声をかけようとした、その時だった。
「お疲れ様、細川さんっ!」
背後から、熱を帯びた声とともにガバッと抱きしめられた。
「……っ!?」
「最高だったわ! もう、細川さんの歌声、ビリビリきちゃった!」
テンションが最高潮に達している才川さんが、バックハグ気味に私をガッチリとホールドしている。彼女の体温と、少し甘い香水と汗の混ざった匂いが鼻をくすぐる。
私は身をよじって離れようとしたが、興奮したギタリストの腕力は思いのほか強かった。
「あ、ありがとう……。それじゃあ、私、もう帰るね」
「えっ? 何言ってるの細川さん」
才川さんは私の耳元で、甘く、しかし絶対に逃がさないという圧を込めた声で囁いた。
「これから打ち上げがあるから、まだ帰っちゃだめよ」
……え?
私の思考が、ピタリと停止した。
う、打ち上げ……。
それは、陰キャにとってライブ本番よりも遥かに恐ろしい――
難関中の難関イベント……。
しかも今回は、私たちだけでやるのではないらしい。
「今日出番を譲ってくれた『Crimson Riot』の皆さんと合同でやるのよ! ボーカルのレイさんも、細川さんの声にすごく興味持ってたし! ベースのマキさんや、ドラムのナナさんとも仲良くなるチャンスよ!」
大人の人たちと、一緒に食事会……。
クールなカリスマボーカルに、派手な姉御肌ベーシスト、それに謎のゆるふわ系お姉さん。そんな先輩バンドマンたちと同じテーブルを囲み、グラスを合わせて談笑する?
コミュニケーション能力の化け物みたいな才川さんであれば、なんてことはないのだろうけれど……。
この、クラスメイトとまともに挨拶すらできない私が――?
(ムリムリムリムリ、もう帰りたい!!)
脳内で警報が鳴り響き、魂が再び口から抜けかけているのがわかった。
「さあ、行きましょう! 今日は私のおごりだから、いっぱい食べてね!」
才川さんが嬉しそうに私の背中を押す。
嫌だ。
助けて。誰か助けて。
私は目で金剛寺さんや凛ちゃんにSOSを送ったが、彼女たちも「打ち上げは当然の儀式」という顔で片付けを終え、歩き出そうとしている。
ここで「私は帰ります」と振り払って帰るだけの強固な自主性を、悲しいかな、私は持ち合わせていなかった。
先ほどまでのステージでの達成感は綺麗に霧散し、私は処刑台から引きずり下ろされた後、さらなる地獄の釜へと放り込まれる罪人のように、才川さんの体温を感じて硬直しながら、流されるまま夜の街へと連行されていくのだった。




