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第7-1話 マラソンをしよう

 大きな銅鑼の音が波紋となって空気中を伝わり、小刻みに揺れる振動が麓の街まで響かせる。今日もいつも通りの日常を送ろうとしていた人達が、なんだなんだと音源となった方を見遣る。そこには青空の中に浮かぶ太陽からの日差しを浴びながら、堂々たる佇まいをした大きな城があった。

 ああ、そういえば今日は城で何か催しがあるんだっけ、と皆が思い出していると、その城から噴水のある広場を繋ぐ石畳の大きな通りを何十人の人達が一斉に駆け下りてくる。その集団は、あっという間に噴水の広場を通り過ぎて、街の門の方へと行ってしまった。

 何が行われているかはわからないが今日も平和だなと感じると、人々は日常に戻っていくのであった。



 予定通りに俺は最後尾をつけて街の城門をくぐると、既に先頭集団から二百メートルほど離されていた。さすがは機械に頼らずに生きているだけあって皆体力があるようだ。学校には自転車で通っていたが、運動なんてそれぐらいで、あとは温室でぬくぬく育った俺とは基礎が違う。


 このまま俺は最下位で参加賞のボールペン進呈になるのか。――答えは、否。

 俺は、天から与えられた優れた頭脳と、わけのわからない偽死神から与えられた超人的能力を合わせ持っているのだ。その俺が負けることなどない、と言っていいだろう。

 それを証明するために、まずは焦らずに街から遠ざかる。


 十分ほど走ったところで俺は足を止めてから後ろを振り返る。大きな外壁は見えるが、人の姿までは視認できない。俺の前を走る人も俺が止まったことなど気にも止めずに走り去って行く。

 計画を実行に移すときが来た。今俺の周りには誰もいない――、肩の後ろで飛んでいるウサギ以外は。つまり、俺が転移するならここしかない。

 さらに、ただ転移するだけではない。悪魔の知恵を借りて得た必殺技があるのだ。

 ハーディに教えてもらった通りに、転移したい場所を思い浮かべて目を瞑ると俺は自然とほくそ笑んでしまう。そして、これも教えてもらった通りに〝えいっ!〟としてみた。



 一瞬、宙に浮いたような感覚に襲われるが、すぐに足の裏に地面を感じる。

 ゆっくりと目を開けると、先ほどとは少し違う景色が広がっていた。特に目印がない平原なので大きな代わり映えはないが、後ろを振り向くと先ほどまであった街がなくなり、乾いた土の道が広い草原を割るようにどこまでも続いていた。

 本当に転移できたことに俺の心臓が激しい鼓動を打ち鳴らしているが、真に驚くことはそこではない。前方には見覚えのある小さな村があるのだ。


 そう、俺はスタート直前にあることを思い出した。この大会の折り返し地点となる小さな村は、俺が最初に訪れた町と帝都の中間にあることを。つまり、半分の距離を転移する能力を逆手に取って、俺は転移する先に最初の町を思い浮かべたのだ。すると、結果はご覧の通り、俺は帝都と最初の町の半分の距離を転移して小さな村の近くへと降り立ったのだ。計画通りに事が進んだことにより、俺は笑いを抑えきれなくなり、


「くっくっく……! あーはっはっはー!」


 遠くで空とくっつく地平線にも届く勢いで笑い飛ばした。


「何、急に笑ってるんだよ気色悪い」

「きもーい」

「えっ?」


 落ち着いてもう一度後ろを振り向くと二羽のウサギが目の前にいた。興奮のあまり見逃していたが、この二羽も一緒に転移するようだ。我を忘れてしまい、気色悪いだのきもいだの言われてしまった。

 俺は恥ずかしさを通り越して一気に冷静になると、スタスタと目の前の村へと向かった。



 村に入ると見覚えのある果物屋の隣に、この国の兵士の格好をした男が立っていた。きっとあの兵士にこの赤い札を渡せば良いのだろう。

 そばに近寄ると、ただの果物屋の客と思っているのか見向きもしない。仕方ないので俺から声を掛けてみる。


「す、すみません。えっと、お城の大会で来たのですが……」


 おずおずと赤い札を見せると、兵士は驚いた顔で、


「えっ、もう来たの? まだ日も昇りきっていないのに、随分早かったね」

「そりゃ、転移を使ったんだから一瞬で、うわっ――」


 俺は正直に暴露しようとするガーディを急いで捕まえて背中に隠した。兵士に不思議そうな顔をされているので話題を逸らさなくてはならない。


「あ、あの! 急いで城に戻らないといけないので……」

「ああ、それもそうだね。じゃあ、この青い札を渡すので、あとは果物屋のおばちゃんからリンゴをもらってくれ」

「は、はい!」


 手渡された札を受け取ってすぐさま兵士の前を離れた。背中にいるガーディが小さい角をつけた頭で頭突きをしてきて痛い。

 言われた通りにすぐ横にいるおばちゃんの前に行くと、あの一個二リラするリンゴを一個もらえた。すると、後ろで見ていたウサギ達が、


「わあっ! 昨日の美味しいリンゴだー! 食べるー!」

「今日はまだ何も食べてないからなー」


 騒ぎ始めてしまった。しかし、このリンゴを持って帰らないと千リラを手に入れることはできない。なんとか説得をしようと試みる。

 今俺が何のためにこの村まで来たことから、二羽はわかっていなかったのでそこから説明をして、このまま急いで城に戻れば千リラという大金がもらえることを話した。だから、このリンゴは勘弁してくださいと頭を下げる。


「んー、お金たくさんあったら美味しい食べ物いっぱい食べさせくれる?」

「え、ええ、もちろん」

「でも、今もおなかすいてるから何か買ってくれよー」

「じゃ、じゃあ、別でリンゴ買いますので……」

「やったー!」「早く買えよ、おら」


 千リラも手に入るのだ、大会参加費と追加で二リラぐらいの出費で済めば安いもんだ。

 おばちゃんに高級リンゴを一個売ってくれるように所望したが、今日の大会で使う分しか置いていないのでダメらしい。


 とりあえず、二羽をおとなしくさせたい俺は安い方のリンゴで我慢してもらおうと思い、いつも後ろのポケットに入れている財布に手を伸ばしたが、ポケットに膨らみはなく、ぺったんこであった。

 そういえば昨日、財布ごとあの猫かぶりの可愛い女の子に盗られたのを思い出した。それで、お金はカバンの中にある靴を財布代わりに、そこへ入れておいたのだが、外に出るときはいつも肩から斜めに掛けているカバンベルトの感触が今はない。


 頭を捻って逡巡する。そして、走る時に邪魔になるので城に置いてきたことを思い出した。つまり、今の俺は無一文。リンゴが買えない。

 俺は白と黒の宙に浮くウサギ達の前でそれは見事な土下座をした。額を砂利混じりの土に擦りつけた。兵士とおばちゃんが、俺の行動にきょとんとしているが、恥も外聞もない。誠心誠意、ウサギ達にお金がないので安いリンゴも買えません、申し訳ありません、と謝罪をする。


「えー! もう、リンゴの口になってたのにー」

「今から十キロメートル走れよ、おらあ!」


 しかし、そんな己の全て投げ捨てた土下座を見せてもこのチビっ子悪魔どもの心は動かせない。片方は天使の輪と羽があるというのに。

 すると、そんな俺に救いの手が差し伸べられる。事の顛末を見ていた兵士が自腹でリンゴを買ってくれたのだ。


「魔導士も色々と大変なんだな……」


 そんな哀れみの言葉と一緒に。やはり最後に頼れるのは人の優しさなのだろうか。

 人間の姿になった二人は、買ってもらったリンゴを、またおばちゃんにその場で切ってもらって仲良く食べていた。

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