第6-1話 お城に行こう
暗い。真っ暗だ。夜ではない。目を瞑っているわけでもない。ただただ真っ暗なのだ。
これが俺の世界。今でさえ暗い道を歩いているというのに、その先は道があるのかもわからないほど暗い。
このままでは自分が意図せぬまま道を踏み外し、底があるのかもわからない暗闇に落ちてしまう。ならば、自分の意思で落ちた方が心構えができている分、楽なのかもしれない。
そう思うことによって心に少し余裕ができた。
『本当にそれで良いのか?』
声がした。もう十何年と聞いているような声。
それで良いに決まってる。もうすぐレールはなくなるのだ。俺が新しくレールを敷く自信なんてない。合っているのか間違っているのかわからずに、ただ闇雲に進むなんて俺にはできない。
『ただ逃げているだけじゃないのか?』
ああ、その通りさ。だがそれの何が悪いというのだ。じわりじわりと、まるで楽しんでいるかのように俺を苦しめる世界から逃げて何が悪い。
誰もわかってくれない。誰もわかってくれようとしない。誰も。誰も。誰も。
誰か助け――。
『起きろ! おらあ!』
「ぐぼお!」
鳩尾に強烈な一撃が加わった衝撃で目が覚めると、目の前には薄汚れた白い天井があり、俺はシワだらけの白いシーツが敷かれたベッドの上にいた。
「あはは! ぐぼお、だって! ぐぼお!」
けたけたと笑う声がする方に目を遣ると、黒い髪で黒いローブを着た少年が腹を抱えていた。
「また、ガーディはリュートと遊んで……、私もするー!」
その声と共に振り下ろされた小さい手は、グーの形をして俺の鳩尾に抉り込もうとしている。俺が寸前のところで身体を横に転がして回避すると、ボフッ、とベッドを叩いた音がした。
「もー! なんで避けるのー?」
上半身だけ起こして、そんな理不尽な言葉を飛ばす方に顔を向けると、白い髪で白いローブを着た少女がほっぺを膨らませていた。
「えっ、い、いや、痛いじゃないですか……」
「ガーディのは避けなかったのにー!」
「いや、まあ……、寝てたので……」
俺はベッドに腰掛ける姿勢になって靴を履き、木枠にはまったガラス窓の外を見ると、すっかり明るい色に戻った街並みが見えた。今日も良い天気のようだ。
「まあまあ、明日の一発目はハーディがやっていいからさ!」
「ほんと? やったー!」
「…………」
今日はうつ伏せになって寝よう。
身支度を整えて宿屋を出ると、大勢の人が噴水のある広場に向かって足を進めていた。この人達はこれから仕事だろうか。今日は何をしようかな。
当てもなく広場や繁華街辺りをうろうろしていると、ハーディの天使の輪が光り、十リラを頂いた。これで八十九リラだが、そのうち食費や宿代で底をついてしまう。俺が頑張って歩いても限界がある。なにか仕事とかした方が良いのだろうか。仕事か……、嫌という気持ちしかないな。
そんなことを考え、今日何度目かになる広場の噴水の近くを通り掛かると、
「おや? リュート君じゃないか!」
「へっ?」
名前を呼ばれるとは夢にも思わなかったので、間の抜けた声が出てしまう。
振り返るとそこには、黒髪に白い長袖シャツと黒いズボンに黒いブーツを履いた男がいた。どこかで会ったことある顔だ。というか、この世界で俺の名前を知っている人なんてそういない。
「あっ、た、タブラさん……。こ、こんにちは……」
「こんにちは。ハーディちゃんにガーディ君も元気にしてるかい?」
「元気ー!」「元気ー!」
子供の姿をした二人は両手を上に挙げて元気アピールをしている。その二人の頭をタブラさんはにこやかに撫でている。
「ははは。元気いっぱいだな。ところで、リュート君達はこんな所で何をしているんだい?」
「あっ、いえ、当てもなく、ブラブラと……」
今の俺は旅人なんだから、それでも良いはずだ。学校や仕事に行ってなくても良いはずだ。うん。
「そうか、暇なんだね。それなら良いことを教えてあげるよ!」
「良いこと、ですか……」
なんだろう。急に話しかけられた驚きがまだ残っていて頭が回らない。
「今日はね、お城で月一の催しが開かれる日なんだよ。毎回、色々なことをするらしいんだけど、今回は〝足に自信があるもの集まれ〟という御触れが出ているんだ」
足に自信があるものと言えば、美脚大会だろうか。それなら是非参加ではなく観戦したいが。
「面白そうだから俺も行ってみようと思うんだけど、キミ達も一緒に行くかい? あっ、それと参加費で二リラ必要らしいよ」
「あー……。まあ、や、やることもないので行きます。二リラもありますし……」
「どこ行くのー?」
「あのお山にあるお城だよ」
「お城ー!」
「行くー!」
二人も大喜びだしやることもないのでタブラさんについて行こう。
広場から城へと続く坂道になっている通りを歩いて城を目指す。坂を登るのがめんどくさいのか、チビっ子二人はチビウサギ二羽になっていた。
十分ほど歩くと背後にはこの街の形を一望できる高さまで登っていた。そして、目の前には城へと続く長い行列が見える。月一の、しかも城が行う催しとあって、人もかなり集まっているようだ。
仕方なく列の最後尾に並び、少しずつ進んでいく人々の後をついて行く。列は進み、坂を登りきると立派な城があったが、城の門と建物の入口となる扉の間にある大きな広場には人がごった返している。しかし、それでも収まらず、門の外側まで溢れていた。
列が進まなくなったので待っていると、袖付きの青い外套を着た兵士が、前から順番に何やら手渡しで配っている。俺達の前まで来ると、見ていた時と同じ動作で一枚の紙を渡された。紙には『千二百七番』と書かれている。
「なーに、それー?」
「な、なんだろう? 番号札かな……?」
その予想は当たっていたようで、城の大きな扉の前に設けられた一段高い壇上に兵士が立ち、クジを引いて番号を読み上げている。番号が読み上げられるたびに歓喜の声を上げる人がいて、その人達は城の中へと消えて行く。扉の近くにいる人ならまだ良いが、門の付近に居る人が当たると、文字通りに人を掻き分けるように扉の前まで行かないといけないので大変そうだ。
これは何人まで呼ばれるのかわからないが、千回も番号を読み上げていたら日が沈むので百もいかないぐらいだろう。そうなると、この人数だし呼ばれることはそうそうない。
それでも一応、壇上の兵士の声がしなくなるまではわからないので待っていると、
「千二百七番! 千二百七番!」
呼ばれた。
「おっ、リュート君じゃないのか? やったな! 俺も、もう少し待ってみるけど楽しんでおいで」
「あっ、はい。い、行ってきます……」
俺は特に呼ばれたことによる喜びもなく、何十層にも重なった人の壁を掻き分け、当たった番号札を上に掲げながら俺は扉の前を目指した。二羽は人々の頭の上を飛んでいるので、なんのそのだ。この先に何が待ち受けているのか俺は知らないのに、肉壁の中をひたすら前進する。




