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無法者

二人は、のきを連ねる武家屋敷の門構もんがまえを何とはなしに検分けんぶんしながら、城下の目抜(めぬ)き通りをそぞろ歩いていた。


「でも、なんで弘道館こうどうかんなんだい?」

黙って歩くのに飽きてきた繁之介がたずねた。


「別に。水戸っていえば、それしか思いつかなかっただけさ。町のどん突きにあるんだろ?ブラブラ散策さんさくするには、いい目標じゃないか。上手うまくすれば、有名な武田耕雲斉たけだこううんさい先生や、天下の俊才しゅんさいたちってのが、どんな顔してるのか拝めるかもしれないだろ」

「なんだよ、それ」

夕日に照らされた大蔵おおくら端正たんせいな横顔を見ながら、繁之介は嘆息たんそくした。


自らをさいなむ不安感の正体を、当の大蔵おおくらはよく解っていた。

親元を離れたからではない。

今まで片時も離れず一緒に育ってきた琴が、かたわらにいないせいだ。

琴は大蔵おおくらにとって、ただの姉弟ではなく、まさに自らの半身(はんしん)だった。

そんな時、大蔵おおくらはきまって例の刀を抱えて、何時(いつ)もしゃがみこんでいた。

水戸に来てからの大蔵おおくらは、いつも引き裂かれた半分だった。

そして、漠然(ばくぜん)とではあっても、繁之介だけはそれに気付いてくれたのだ。


「ありがと」

大蔵おおくらは前を向いたまま、そうつぶやいた。

「なんだよ、それ」

繁之介は照れたように、同じ言葉を繰り返した。


「おい」

繁之介が大蔵おおくらのわき腹をひざでつついた。

「あれ」

大蔵おおくらは繁之介が、あご(あご)で指した方に目をやった。

弘道館こうどうかんの方角からこちらに向かって、4、5人の若い武士が歩いてくる。

「誰?」

どうやら、昼間から飲んでいるらしく、何人かは一目でそれとわかるほど泥酔(でいすい)していた。

行き交う人々に、何やら汚い言葉を吐き掛けている者もあったが、呂律ろれつが回っていないので何を言っているのか聞き取れない。

その中でも一際目立つ巨躯きょくの手に黒光りする大鉄扇だいてっせんを見た時、大蔵おおくらは思い当たった。


「芹沢の三男坊には手を出すな」

金子道場の兄弟子あにでし達から何度も聞かされた話だ。

上席郷士芹沢家の三男さんなん嗣次つぐじは、今は婿養子むこようしに入り、下村姓を名乗っていた。

酒癖さけぐせの悪さで知られ、きょを構える玉造村は水戸からずいぶん外れた場所にあったが、その悪評(あくひょう)は城下にまでひびき渡っていた。

しかも、同じ神道無念流しんとうむねんりゅう免許皆伝めんきょかいでんの使い手で、滅法めっぽう腕が立つと言う。


大蔵おおくらが道場にやって来る数ヶ月前に、大工町の盛り場で吉永(なにがし)という金子道場の客分(きゃくぶん)が、この下村嗣次しもむらつぐじや取り巻きと、ちょっとしたイザコザを起こしたことがあった。

次の朝、丁度道場にいた繁之介は、居酒屋の女中からの知らせで、怪我けがをしたという吉永を引き取りに行ったと言う。

吉永は利き腕とあばらの骨を折られ、顔は原型を留めぬほどれ上がって、ふた目と見られない状態だった。


「奴には関わるな」と口をそろえる門人もんじん達に、大蔵おおくらはたずねた。

「でも、その男に会ったことがないわたしはどうすればいいんですか?」

先輩の一人が答えた。

「一目でわかるさ。あんな300もんめもある鉄扇てっせんを持ち歩いてる奴は、他にいない」


「目を合わせちゃダメだ」

繁之介が耳打ちした。

大蔵おおくら物怖ものおじしたわけではなかったが、好んで藪をつつく事もなかろうと繁之介の言葉に素直すなおに従った。

下村達は、一間いっけんも先から強烈な安酒やすざけの匂いを放っていた。

二人は素知そしらぬ顔で一行をやり過ごすと、首尾良しゅびよくいったとお互いに目配めくばせを交わした。


その時、

「おうい」

背後から低い声がした。

大蔵おおくらが振り返ると、すぐそこに、青白い顔に頬だけを上気させた精悍せいかんな男が、手にした鉄扇てっせんで自らの肩を軽く叩きながら立っていた。

「ボウズ、面白れえもんを持ってんな」

大蔵おおくらは、そびえ立つような下村嗣次しもむらつぐじの目を真っ直ぐ見返した。

「何のことです」

黙っている大蔵おおくらに代わって、生来せいらいの向こう気の強さが顔を出した繁之介がこたえた。

下村は、繁之介には見向きもせず、鉄扇てっせん大蔵おおくらの方を指した。

「その、腰に差してる。それ」

大蔵おおくらは、一瞬下村から視線を外すと、腰の長刀にチラと目をやった。


どうやら、大蔵おおくら体躯たいく不釣合ふつりあいなこの刀が、下村の目を引いてしまったらしい。


「ちょっと、見してくんねえか」

下村が立ち止まった事に気づかずに行き過ぎた取り巻き達が、ゾロゾロ戻ってきていた。


実のところ大蔵おおくらは圧倒されていた。

下村のすさまじい風聞ふうぶんを耳にしても、その姿を目の当たりにしてさえも、少しも怖いと思わなかったが、彼の目を見た途端とたん、足に根が生えた様に動けなくなってしまった。


「なんだいなんだい。下村さん。どうかしたんですか」

いつの間にか、2人は酔っ払い達に取り囲まれていた。

「下村さん!今日は戸賀崎先生の仕官祝しかんいわいで水戸まで出てきたんですから、ね、晴れの日に無粋ぶすいはナシですよ」

彼らは下村が悶着もんちゃくを起こすのにはもう慣れっこといった風で、言葉とは裏腹(うらはら)に止める気などまるでなかった。


下村は相変わらず、周りの喧騒けんそう頓着とんちゃくする様子はなく、酒気しゅきを帯びて少し血走った眼で大蔵おおくらの刀を見つめていた。


そして、大蔵おおくらけわしい表情に気づくと、今度は少しくだけた調子で言った。

「なんだよ、おい。なにも取り上げたりするつもりゃねーよ」

大蔵おおくらは、まるで魔物にでも魅入みいられたように、下村の目を見据みすえたまま、帯からさや返角かえりつのを抜くと、刀を手渡していた。


無造作むぞうさにそれを受け取った下村は、慣れた手つきでつかに手を掛けると、衆目しゅうもくも気にせず、スラリと抜き放った。

これには、さすがの荒くれ達も、思わず一歩退いた。


繁之介ののどがゴクリと鳴った。

「はぁん…」

今まさにれなんとする陽の光が刃先はさきに反射して、下村の面をあかく染めていた。

「悪くねえ」

無銘むめいの刀です」

大蔵おおくらはやっとの思いで声をしぼり出した。

「そうかい。だが悪くねえ」

そう言ってニヤリと笑った下村の目を見て、この男はヒトを斬った事があるに違いないと大蔵おおくらは思った。

「だがなあ、ボウズ。こいつはざっと二尺八寸はある。おまえのタッパじゃ振り切れたとしてもつっかえちまうぜ」

下村はゆっくりと刀をさやに納めながら言った。


パチンという鯉口こいくちの音に、繁之介はホッと息をついた。

大蔵おおくらはただ黙ったまま、下村をにらみつけている。


「へっ」

下村は鉄扇てっせんで頸の後ろをきながら、照れた様な笑みを浮かべて大蔵おおくらの視線をかわした。

「やっぱアレだな。この刀は俺がもらっとく」

大蔵おおくらは下村につかみかかろうとしたが、意に反して、身体はピクリとも動かなかった。

「これを差しとけ」

下村嗣次しもむらつぐじは自分の腰に差していた刀を外すと、大蔵おおくらの手を取って無理矢理むりやり握らせた。


「ちょっ…!」

見兼ねた繁之介が口をはさもうとすると、酔っ払いの1人が大声を上げて彼の言葉をき消してしまった。

「下村さん、待ってくださいよ!それ、戸賀崎とがさき先生に頂いた『三郎兼氏さぶろうかねうじ』じゃ⁈」

しかしその時、下村はすでに歩き出していた。


「下村さん!今は酔っ払って、気が大きくなってるだけですから!ダメですよ!そんなものと交換しちゃあ!」

男はなおも千鳥足ちどりあしで追いすがって行ったが、下村が振り返る事は無かった。


「ちょっと‼これ」

呆気あっけに取られていた繁之介が我にかえって、大蔵おおくらの刀を引ったくり、叫んだ時には、下村達の姿はもう小さくなっていた。


「ど、どうするコレ?なんか、随分ずいぶん良いものらしいけど」

繁之介は手にした『三郎兼氏さぶろうかねうじ』に目を落とすと、途方とほうにくれたように言った。


大蔵おおくらは、ずっと呼吸を止めていたことに突然気がつき、大きく息を吐いた。

「…ねえ、その吉永さんて人、ほんとにあの人にやられたのかい?」


下村継次:後の新選組局長、芹沢 鴨

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