第66話 偽物が剥がれる時
王都前の戦場は、完全にアリス側が優勢に立っていた。
王都騎士団の列は何度も乱れ、そのたびに暗部が前へ出て押し戻す。だが、押し戻されたところで士気までは戻らない。
元王都騎士達は、その隙を見逃さなかった。
「相手はもう消耗しています! 冷静に、捌いてから崩しなさい!」
アメリアの声が飛ぶ。
盾と盾が激突し、剣が弾け、王都騎士団の列がまた一つ押し込まれる。アルゴが怒鳴りながら前へ出て、怯んだ相手を叩き割るように押し返した。
「見極めろ! 止まるな! 押せるときには押せ!」
「はっ!」
アリスも前線を見渡しながら、必要な指示を最小限に出している。
それだけでいいほど戦況はよかった。
「前衛後退! 援護射撃始め! 入れ替え開始!」
声はよく通る。それだけで、乱れかけた味方の足並みが戻る。
王都騎士団の中には、もう明らかに手が鈍っている者がいた。目の前にいるのが、本当に討つべき相手なのか。そんな迷いが、剣先の揺れになって現れていた。
その時だった。
高く、細く、耳障りな音が戦場へ響いた。
笛の音。
どこから鳴っているのか、一瞬ではわからない。しかしその音は戦場全体に響き渡る。
剣を振るっていた兵が、思わず顔を上げる。馬が耳を立て、王都騎士団の列にもアリス軍にも、同じ戸惑いが走った。
「なんだこの音は?」
「笛?」
「どこから」
次の瞬間、後方にいたイオリが顔色を変えた。
地に落ちる影。戦場の下を這う無数の揺れを感じ取る。
「……ッ!」
影が騒いでいる。しかも一つ二つじゃない。軍勢の夜のような大群だ。
イオリは反射的に後方へ振り返った。
「レイさん!」
レイはすでに笛の音が鳴った瞬間から顔を上げていた。
「魔物がいっぱい地下で動いています! たぶん地上に出て来ます!」
「わかってる」
短い返答。レイの視線の先はただ一点、城壁上。
そこに、ヴァルトの姿がない。開戦時には確かにいたが、今は消えている。同時にアウローラの周囲を固めていた護衛の数も減っていた。
レイの目から、わずかに眠たさが消える。
「なるほど」
「レイさん?」
「イオリ」
レイは視線を外さないまま言った。
「シグレに伝えて。大きいのも来るって。バステリオンを前に出す準備させて」
イオリの目が見開かれる。
「わ、わかりました!」
「任せた」
それだけ言うと、レイはもう動いていた。細い身体が光に溶け込みそこから消える。次の瞬間にはアリスの横に現れ、その腕を掴む。
「レイ!?」
「行く」
「ちょ、ちょっと」
「上。今しかない」
言葉は短い。だが、アリスにはそれで十分だった。
何かが来る。そしてレイは、その前に崩すべきものを見つけたのだ。
「アメリア、アルゴ! 準備しなさい!」
言葉の途中、その猶予すら惜しいとレイの身体が光に溶けて、一筋の光が戦場を走る。白い稲妻に飲み込まれた二人の身体が淡く消える。
王都騎士団も、アリス軍も、誰一人その動きに反応できなかった。
だが、アメリアとアルゴだけは、その短い言葉で理解していた。
「来る」
「おめえら、準備しろ! 魔物が来るぞ! 後退準備!」
すぐに剣を構え直し、地面がかすかに震えた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
城壁の上に着地した瞬間、レイの光が走った。
護衛兵が抜刀するより早く、白い閃光がその手元を弾く。剣が宙を舞い、兵が壁際へ吹き飛ぶ。
その隙にアリスがアウローラへ踏み込んだ。
「捕まえた!」
「っ! 離しなさい!」
叫ぶアウローラの腕を掴み、そのまま壁際へ押しつける。
顔は同じ。姿形も寄せている。けれど、もうアリスは迷わなかった。
「終わりよ。見せて頂戴、偽物が誰なのか」
短く言って、その髪へ手を伸ばす。
アウローラが顔色を変えた。
「やめっ!」
ばさり、長い金髪が不自然に浮き、石の上へ落ちた。
露わになった髪。わずかに崩れた化粧。似せていた顔の輪郭も、近くで見ればもう違う。アリスは、その素顔を見て一瞬だけ目を見開く。
「……アウローラ。あなた」
絞り出すような声だった。
アウローラもまた、怯えた顔でアリスを見る。
「っ……」
何か言おうとして、言えない。
けれど、その一瞬の戸惑いも、もう戦場には十分だった。
下の戦場は、笛の音と地の震えで奇妙に静まり返っている。
だからこそ、アリスの声はよく響いた。
「見なさい!」
王都前の戦場へ、アリスの声が鋭く落ちる。
「これが偽りよ! この女は私じゃない! 私の顔を被っただけの偽物、第五王女アウローラよ!」
どよめきが、王都騎士団へ広がった。
「なっ!?」
「偽物? アウローラ様が?」
「じゃあ、今までのアリス様は、アウローラ様が演じていたってことか?」
城壁の上の兵まで、顔を見合わせる。
前線で剣を構えていた王都騎士の一人が、戸惑いに、口を開く。剣先が下がり、盾が揺れる。列が崩れ、膝を地に着く者まで現れる。王都騎士団の中を走っていた迷いが、一気に形を持ち始めた。
偽の王女。偽の正義。では、自分達はいったい何のために戦っていたのか。絶望が、ゆっくりと広がっていく。
その時、地の底から微かな揺れが辺りに響き――轟音が弾ける。
城壁外の排水口が内側から歪み、古い搬出口の鉄格子が吹き飛ぶ。そこから黒い群れが一斉に噴き出した。
狼に似た魔物。甲殻を持つ魔物。爪を鳴らす小型の魔物の群れ。王都前の戦場へ、地下に溜め込まれていた魔物達が雪崩れ込んでくる。それは王都騎士団の横腹へ迷いなく突き進んでいた。
「な、なんであんなところから魔物が!?」
「なんだあの数は! 見たことないぞ」
「下だ! 王都の下から出てきたぞ! 大量の魔物が!」
王都騎士団の悲鳴に近い声が上がる。
王都の外から来た魔物じゃない。王都の中。正確には、王都の下からだ。その事実は、誰の目にも明らかだった。
城壁の上で、アウローラが顔を失くして震える。
「ち、違う……。あたし、知らない! こんなの知らないの! ヴァルトが勝手にやっただけなの!?」
アリスはその声に一瞬だけ目を伏せる。
知らなかったのかもしれない。だが、それで許されるわけじゃない。
レイは静かな瞳で下を見た。
水路から。旧搬出口から黒い魔物の群れが噴き出してくる。
王都騎士団はまだ、その現実を飲み込めていなかった。剣を握ったまま立ち尽くし、目の前で起きていることを理解できずにいる。
自分たちの信じた王が偽者だった。王都の下から魔物が出て来た。その事実が、頭に入って来ない。
「なにしてるの?」
レイの声は小さかった。けれど、その中にわずかな苛立ちが滲んでいた。
見ればわかる。考えている時間なんて、もうない。魔物は人を助けない。襲い、喰らい、蹂躙する。
「止まってたら死ぬのに」
その一言を残して、レイは城壁から飛んだ。
「レイ!?」
「アリス、ここにいて」
落下はしない、光が集まり足場が作られる。
魔物の群れが突き進み、王都騎士団に接近する。
レイはタイミングを、静かに見極めていた。
流れ出て来る大量の魔物。最大限、数の減らす為にギリギリまで引き付ける。
空を覆い尽くす魔法陣が広がる。
「レイ隊長だ……」
「なんて魔力」
光と同時に魔力が集結し、空気が薄くなるような圧力が戦場を包み込む。
次の瞬間、光の柱が天から地を穿つ。
轟音。白が、爆ぜる。
水路から溢れた群れを天から呑み込み、旧搬出口の前で濁流のように押し寄せる魔物をまとめて穿つ。光は一本ではない。無数だ。幾条もの白が戦場を縦横に走り、魔物の群れを一息に切り裂き、焼き、吹き飛ばしていく。
爆ぜた土が宙へ舞う。石片が砕ける。魔物の絶叫すら、光の奔流に呑まれて掻き消えた。戦場が真白な世界に塗り潰される。
誰も動けなかった。
ただ一人、レイだけがその中心に立っている。細い身体。小さな背。なのに、その足元から広がる光は、戦場そのものを支配していた。
白が収まった後には、水路から噴き出していた魔物の群れがごっそり消えていた。旧搬出口の前も抉れ、群れの先頭は跡形もなく吹き飛んでいる。生き残った魔物すら、その場で足を止めた。
レイはゆっくりと地面に着地すると、額に汗を流して声を出す。
「戦う。生きたいなら」
ただ、それだけだった。
だが、その一言だけで十分だった。
「ぼさっとすんな!!」
アルゴの怒声が戦場を叩いた。
驚きで固まっていた王都騎士団が、びくりと肩を震わせる。
「見ただろうが! てめぇらもう切られてんだよ!」
王都騎士団の顔が強張る。
アメリアが、前へ出た。
「王都は、あなた達ごと切り捨てました!」
その声は鋭く、よく通った。
「偽物を立て、地下に魔物を溜め込み、今この瞬間に放った! もう理解してください! あなた達は守られていたのではありません、捨て駒にされたのです!」
誰も言い返せない。事実が、目の前にある。王都の下から出た魔物。偽物の王女。そして、自分達の横腹へ噴き出した群れ。
アメリアがさらに声を張る。
「剣を持ちなさい! 盾を上げなさい! 止まれば死にます!」
「死にたくねぇなら戦え!」
アルゴが重ねる。
「王都のためでも、王のためでもねぇ! 今てめぇの目の前にいる魔物を斬れ! それができねぇなら死ぬぞ!」
吐き捨てるような言葉だった。けれど、間違っていない。
王都騎士団の何人かが、ようやく剣を握り直す。
だが、動きは鈍い。足が出ない。理解が追いつかない。心がまだ折れたままだ。
そこへ、澄んだ声が戦場を貫いた。
「バステリオン、前へ!」
シグレだった。今まで後方に控えていたバステリオン兵達が、一斉に顔を上げる。
シグレは刀を抜き、王都前の戦場を真っ直ぐ見据えていた。
「王都騎士団の前へ出なさい! 魔物が勢いを取り戻す前に戦場を取るのです!」
「はっ!」
「相手は魔物、遠慮はいりません! 全て斬り尽くしなさい!」
その号令と同時に、今まで後ろで控えていたバステリオン兵が全軍、一気に前へ出た。剣を構え、乱れた王都騎士団の前へ滑り込む。勢いが微かに緩まる魔物の群れを真正面から受け止めた。
王都騎士団は、その背を見ることになる。
自分達が膝をつき、剣先を下げ、動けなくなっている間に。昨日まで王都の外にいたはずの兵達が、迷いなく前に立つ。
シグレの声が、再び響く。
「使われ、見捨てられ、そのまま死ぬつもりですか! 騎士ともあろう方達が情けない! 少しは意地を見せたらどうですか!」
そこでようやく、王都騎士団の列にもう一度震えが走った。
何人かが、遅れて前へ出る。盾を上げる。魔物へ向き直る。
遅い。鈍い。それでも、完全に折れたままではいられなかった。
その直後だった。
戦場の奥、旧搬出口の石壁が内側から大きく膨れた。
中小型とは違う。もっと重い。もっと大きい。
地面が鳴り、空気が震える。
シグレが一歩、前へ出る。
「来ましたか」
静かな声音。
けれど、その目は鋭く冴えていた。
石壁が、内側から砕け散る。
闇の奥から、巨大な爪がゆっくりと現れた。




