77.
帝城の謁見の間は、重苦しい静寂と、どこか鼻を突くような香水の匂いに満ちていた。
ミシェルの前に並んでいるのは、帝国の旧弊を象徴するような保守派の貴族たちである。
彼らは一様に、絹の扇子で口元を隠し、その奥で卑屈な笑みを浮かべていた。
代表格であるマーストン伯爵が進み出て、仰々しく一礼する。
「ミシェル事務官。先代様の隠し子であるカイウス殿下の件ですが。三歳になっても言葉を解さぬ現状、やはり伝統ある我が国の教育が必要かと存じます。つきましては、我らがお力添えをいたしたく、相応しい家庭教師を推薦させていただきたい」
彼らの狙いは透けて見えていた。
自分たちの息がかかった教育者を送り込み、幼いカイウスを自分たちに都合の良い『操り人形』として染め上げることだ。
ミシェルは手にしていた書類から視線を上げず、無表情のまま頷いた。
「いいですよ。教育は早急に行うべき課題ですからね」
意外なほど素直な返答に、貴族たちは色めき立った。
やはり女子供だ、伝統という言葉に弱いのだと、彼らは心中で嘲笑う。
マーストン伯爵が、勝ち誇ったように候補者の名前を挙げようとした。
「左様でございますか。では、まずは第一の候補として、王立学院で教鞭を執っていたバルト――」
「バルトロ・フォン・ガウスですね」
ミシェルが、その名前を遮るように淡々と言い放った。
伯爵の言葉が喉に詰まり、滑稽に口をぱくつかせる。
「……え、ええ。よくご存知で」
「ええ、よく存じております。彼は三年前、学院の公金を横領して賭博に溺れ、現在は多額の借金を背負って貴方たちに泣きついている身ですね。さらに、前任の家庭教師時代には、教え子に対して『矯正』と称した暴力行為を繰り返し、精神を破壊した記録も残っています」
ミシェルは眼鏡のブリッジを中指で静かに押し上げ、ようやく顔を上げた。
その氷色の瞳には、一切の慈悲が含まれていない。
「さて。そのような人物に、帝国の皇子に対する『正しい学問』を教えられるとお考えですか。それとも、貴方がたが教えたいのは、公金の盗み方や子供の壊し方なのでしょうか」
「い、いや、あの、それは……何かの間違いで……」
マーストン伯爵の額から、滝のような冷や汗が流れ落ちる。
ミシェルは止まらない。
次々に書類をめくり、用意していた『真実』を突きつけていく。
「次の方も挙げますか。シモン卿。貴方が推薦しようとしていたのは、自分の親戚である放蕩息子のレオですね。彼は女性問題で修道院に送られたはずですが、いつから聖人君子のような教育者になったのですか」
「……っ」
名前を呼ばれた貴族たちが、次々に腰を抜かし、大理石の床に膝をついた。
ミシェルは事務的に、側に控えていた騎士たちに手招きをする。
「虚偽の申告による皇族への不敬、ならびに調査過程で発覚した数々の余罪について、地下の尋問室で詳しく伺いましょうか。連れて行きなさい」
「い、嫌だ。離せ。私は伯爵だぞっ」
「謀略だ。これはミシェル事務官の陰謀だぁっ」
見苦しい悲鳴を上げながら、腐敗した貴族たちが引きずられていく。
嵐が去った後のような静寂が戻ると、ミシェルの後ろで震えていた副官のティルが、顔を真っ青にして口を開いた。
「……ミシェル様。今のって、まさかですぅ」
「なんですか、ティル」
「最初から、家庭教師の願い出を『バカを炙り出すためのリトマス試験紙』として使ったんですかぁ。あえて隙を見せるふりをして、害虫を自分から這い出させて、一網打尽にするなんて……」
ティルは自分の上司の、あまりにもえげつない手腕に戦慄していた。
しかしミシェルは、至極当然といった様子で首を振る。
「まさか。わたしはただ、大事なカイウスに『変なもの』をつけるわけにはいかないので、事前に全候補者のデータをピックアップして精査していただけですよ。その結果として、貴方がたの言う『炙り出し』になったに過ぎません」
「それが一番怖いんですぅ。ただの日常業務として、当たり前のように貴族を社会的に抹殺するなんて……。ミシェル様、最近ますます容赦がなくなってるですぅ」
ティルは「明日は我が身ですぅ」と涙目で自分の首を押さえ、ガタガタと震え出した。
「無駄な心配をしている暇があるなら、新しい家庭教師の公募書類を作成しなさい。今度は素性も能力も完璧な人材を、わたしが直接面接して選びますから」
「……御意にですぅ」
ミシェルは再び冷徹な事務官の顔に戻り、ペンを走らせ始めた。
小さなカイウスのために、帝城の不浄を効率的に排除していく。
その徹底した守護の裏に、どれほど深い愛情が秘められているのか、それを知るのはまだ少し先のことになりそうであった。




