61.
公務という名のデートから一夜明けた、帝城の執務室。
ミシェルは静かな部屋で一人、山積みの書類仕事を進めていた。
羽ペンを動かしながら、ふと昨日の出来事を思い返す。
あの巨大な皇帝は、最前線で培った経験によって偽の魔法薬を的確に見抜いてみせた。
さらに、ミシェルから持ちかけた夜伽の提案に対して。
心からの行動でなくては意味がないと、彼なりの気高い美学を持って断ったのだ。
(意外と、ただの脳筋馬鹿ではありませんでしたね。頼れるところもある)
ミシェルは手を止め、小さく息を吐き出した。
今までずっと、彼のことをただの暴力馬鹿だと決めつけていた。
しかし、それはあまりにもデータと先入観に頼りすぎた偏見だった。
人の上に立つ事務官として、最初から相手を馬鹿だと決めつけるのはよくない。
(評価を、改めましょう)
ミシェルが静かにそう決意した時だった。
ガチャリと重厚な扉が開き、徹夜明けのように目の下に濃いクマを作ったギデオンが入ってくる。
「ミシェル。軍の物資調達の件だが……」
「…………」
いつものミシェルであれば、書類を奪い取って冷たく言い放つだろう。
「わたしが最適化しておきますから、貴方は黙ってそこに判を押してください」と。
しかし、ミシェルはペンをインク壺に戻し、彼を真っ直ぐに見つめた。
「ギデオン。これについて、最前線に立っていた貴方の意見を聞かせてください」
「……えっ。俺に、意見を求めるのか」
予想外の言葉に、ギデオンは目を丸くして立ち尽くす。
ミシェルは静かに頷き、素直な言葉を紡いだ。
「はい。机上の計算だけでは、実戦の肌感覚が欠けています。貴方の実体験に基づいた見解が必要です」
その瞬間、ギデオンの顔から寝不足の疲労が完全に吹き飛んだ。
明確に頼られたことで、彼の背後に千切れんばかりにパタパタと揺れる幻の尻尾が見える。
「ふむっ。そうだろう、そうだろう。貸してみろ」
ギデオンはすぐさま真剣な顔つきに戻り、書類に目を通した。
そして皇帝として、歴戦の戦士として、無駄のない的確で実践的なアドバイスを次々と述べていく。
ミシェルはその意見を新たな書類に書き込みながら、これまでにないほど柔らかい声で告げた。
「なるほど。大変参考になりました。ありがとうございます」
そして、ほんの僅かだけ。
ミシェルは口角を上げ、彼に向かって小さく微笑んだのである。
「っ……!」
その破壊力に、ギデオンは雷に打たれたように硬直した。
次の瞬間、顔を真っ赤にして勢いよく両腕を広げる。
「ふははっ。俺に惚れ直したかっ。さあ、飛び込んでこいっ」
「今は仕事中ですよ」
調子に乗って抱きつこうとする巨大な体を、ミシェルはスッと身を躱して避ける。
「ふっ、さすがミシェル。全然隙を見せない。面白い女だ」
「面白さで言うなら、貴方には負けます」
いつもの氷のような拒絶ではなく、少しだけ甘さの混じった呆れ声が、昼下がりの執務室に響くのだった。




