その後の望陵学園
カランカランカラン…
「いらっしゃいませ …おお、霧島君、あ、いや、今は白鷺だったね、すまんすまん」
「どちらでも構いませんよ。源さん、お久しぶりです。なかなか駅前に来る用事がなくてご無沙汰してしまって」
「いやいやぁ、校長先生ともあれば忙しいでしょうに。ささ、奥、入って下さいよ」
望陵学園高等学校の校長・霧島文弥は駅前の喫茶店カペーロを訪れた。創業より半世紀以上を経た店内はまるで時間が止まったような懐かしさと温もりがある。
文弥は店内を見回し
「ホットコーヒーを1つ。2階に居りますので」
ここもまた年月を感じさせる木造の階段を軋ませゆっくりと登った。
二階に上がったところで文弥の姿に気付き、立ち上がった一人の女性。
「すまないね、呼び出して」
「いえ、時間はありますからね、今は」
その女性は杉崎碧。望陵学園の保健医である。
火災から1週間ほどが経過した。警察からは正式に「テロ」と認定され、現在も捜査が続いている一方、校舎の内部は焼き尽くされもちろん授業どころではなく、あらゆる活動が休止状態となっていた。
文弥が席に着くのに合わせ杉崎も着席した。階下からは階段を伝って淹れたてのコーヒーの香りが漂ってくる。
「思いがけない長期休暇だ。楽しんでくれたまえ」
文弥はおどけて言うものの、やはり寂しそうではある。
「またそんな心にもない皮肉を。それで、どうなのでしょうか、再開の方は」
「なかなか大変だったよ、文科省の横槍が入ってね。知っての通り、魔導科は内閣府が主導だ。ただそれはカリキュラム上の話であって、校舎自体は普通科のものを引き継いでいるから管轄としては文科省の領分だ。それ故に難儀したんだが、まぁそこは首相と大臣に説き伏せてもらって、結果的には地元の建設大手3社を入れての大盤振る舞いとなった。早ければ来月の頭には再開できるだろう。それでも生徒や君たちに不便をかけてしまうがね」
「いえ、私たちはともかく生徒たちは…魔導を志して望陵に入学したんですから、望陵の生徒として卒業していって欲しいですよね」
例年通りに梅雨入りした空。通りに面した窓からはグレーの光が差し込んでいる。
「まったくだ。あ、すみませんね」
運ばれた白いコーヒーカップからは自家焙煎の豊かな香りが立ち昇る。文弥はカップを取り、軽くその香りを楽しむと静かにすすった。平日の午後、店内には他に客がおらず、吊り下げスピーカーからは静かにジャズが流れている。
「あ、それで澪ちゃんの件です。先日回収した測定器のログ、ラボの方で解析してもらったデータがこちらです」
杉崎はリュックからタブレット端末を取り出し、ファイルを開いて文弥へと渡した。文弥はしばらく黙ってファイルをスクロールしていたが、次第に顔にニヤつきが現れる。
「ふふ…これが我が娘のデータとはね。数か月前とは別人レベルで大違いだ」
「ですよね。私も目を疑って何度も登録番号を確認したくらいですから。瞬間とはいえ最大値で3.7って、信じられませんよ」
「澪は真面目な子だからね。魔導の研鑽は小さいときからそれはそれは真剣にやっていたものさ。バイオリンもそのためだ。だから魂の振動数と振り幅は人並み以上だというのは親目だけでなく、研究者としても判を押せる。ただ元となる生命力そのものがね…妻に似てしまったか、弱々しかった。彼女にとって魔導は、少しでも長生きするためのツールでもあるわけだ。しかしこの数値は素晴らしい。この状態が維持できれば彼女も長生きして、女性としての幸せを噛みしめることもできるだろう。ただ」
「分かっております。条件が揃っているのなら、ということですよね。過去のログからして、彼と一緒にいるときに、ということですから、今回もそうだろうな、と。澪ちゃんに聞いても耳まで真っ赤にして口ごもっちゃって何があったのか答えてくれませんけどね。おそらく何かしらの『接触』があったのだろうと思いますが。本人には自覚がないでしょうけど、やはり恋をすると」
「うん。そうなんだが、それだけじゃない。ただここから先のことは私の憶測でしかなく、まだ口外するわけにはいかないのだが、他にも思い当たる件があってね。真壁先生にも相談して、いずれ遠山のラボに連れて行って」
そこへギシィミシィと階段が軋む音。それに気付いた二人は踊場へ視線を向ける。
「遅くなりました、先生。あら、碧ちゃん? お久しぶり」
黒いパンツスーツを着た女性が上って来た。文弥の秘書・白石美影である。
「わぁ、美影さん! お久しぶりです!」
「あいさつなんかいいから、座って座って。隣、失礼します」
彼女はすっと文弥の隣に収まると、トートバッグから杉崎と同様にタブレット端末を取り出し、文弥へと渡す。凭れるように寄り添うと、タブレットへ手を伸ばし、てきぱきファイルを開いた。
「まずは先日の依頼の、モクバ社の試作品の件です」
タブレットの画面を見るなり、文弥は表情を曇らせる。
「サンプル紛失、と」
「はい。データの方は無事だったようですが」
「ふーむ…すると出回っているのはサンプルのコピー品というところだな」
「はい。おそらくはサンプルをバラして似たような部品を寄せ集めて、といったところでしょう。しかしながら肝心のディストーターエンジン部の完全コピーは難しいですからね。サンプルほどの出力は出せていないか不安定なのだと思われます」
「製造は国内ではない?」
「おそらく。第3国での製造でしょう。問題はそれをどうやって国内へ運び込んだか。先日の火災の一件も併せ、第3機関の関与が疑わしいです」
「『ネズミ』か?」
「『ネズミ』自体ではなく、『ネズミ』に導かれた『虫』の可能性も考えられます。カネで雇ったとも考えられますが、構文再現装置を条件にという線も」
「エミュレーターか。なおさらサードパーティが裏にいるのは間違いない。しかしエミュレーターとは厄介だな」
「はい。しかも今出回っているものは基礎構文インストーラーのデバイスを利用したもので、警察も取り締まりがしにくいそうです」
「下手に取り締まりを強化すると構文学習中の子供たちにとばっちりが向かうな」
「まったくです。都内の魔導事件ではシンタックスエミュレーターを用いた違法魔導が関わるケースが増えており、『虫』たちの間でそれは『ガジェット』と呼ばれているとか。現在警視庁の魔導1課がその辺りの足取りを追っています」
てきぱきと情報交換をする文弥と美影。二人の前で杉崎が居心地悪そうにしている。
「あの、これって私が聞いていてもいい話なんですか?」
杉崎は困惑しながら尋ねた。
「構わんよ。むしろこんな状態になった以上、君も知っておくべきだろう」
「そうですか。分かりました」
と姿勢を正した。
「白石君、続きを」
「はい。碧ちゃん、都合悪かったら耳を塞いでてもいいわよ? ふふ。それで、学園内に紛れ込んでいたKBSセキュリティと国際祓魔師連盟の二人から話を聞きました。彼らの話では、澪さんに禁忌構文が使われたとのことです」
「禁忌構文だと?」
文弥の持っていたコーヒーカップが皿の上へと音を立てて戻される。その表情はにわかに厳しくなった。コーヒーの香りは空気を読んだかのように消え失せた。
「ですが、彼らが言うには使われた禁忌構文は一緒にいた生徒により『吸い出され』、危険性はないと。IEAの生徒が確認したとのことなので間違いはないでしょう。どのように『吸い出した』のかは男と男の約束で、口が裂けても言えないそうですが…まぁご想像の通りかと」
「それで、その禁忌構文は今どこに?」
「それが…『吸い出した』生徒が飲み込んでしまった、とか」
「何だって⁉ それで⁈ 構文はどうなった⁈」
文弥の表情は先ほど以上に厳しい。
「IEAの生徒によれば、消えた、と。スキャンにも引っ掛からないそうで…どういうことでしょうか?」
「…なるほど」
思い当たる節があるのか、何かが腑に落ちたように文弥の顔からは先ほどまでの険しい表情は失せた。
「使ったのは、状況からして天城という生徒だろう。おそらく禁忌構文にあるったけの魔力を吸い出されて衰弱した。命があっただけ僥倖だ。白石君、今彼は?」
「入院中です。先生がおっしゃる通り酷く衰弱していますので、事情聴取は行われておらず、回復待ちです。警察の方で天城玲司の身辺の調査をしましたが、禁忌構文の入手経路は不明。彼は魔導狩りの連中とのつながりがあったようですが、そちらからというのは考えにくいですね。彼らは末端組織ですし、そもそも魔導を嫌ってますから。携帯電話の通話や通信の履歴も調べましたがキャリアに問い合わせても記録が残っていないそうで、ゴーストメールの可能性も。これもサードパーティの関与でしょうか?」
「彼の家は魔術の名家だろ? となれば背後の魔術勢が考えられるが、敵対する魔法側のファースツもまた責任を敵に押し付けようと策を講じた可能性もある」
「先生、ファースツって何ですか?」
「魔法勢と魔術勢から派生したのがサードパーティというのは杉崎君も知っているだろうが、それがサードなら自分たちはファーストだろうと。そして双方相手方をセカンドと呼んでいるそうだよ。自分たちが一番目だろう、と。我々はそれらをまとめてファースツと呼んでいるんだ。どっちが一番だろうと我々には関係ないけどね」
「なるほど」
「ファースツ同士は仲が悪いそうですからね」
「それ故にサードパーティなんてものが出てきてるんだ、つくづく厄介な話さ」
文弥は困惑したようにそう言うと、冷めかけたコーヒーを一口啜った。
「先生はKBSとIEAの子が学園に紛れ込んでいるってご存知だったのですか?」
「KBSからは連絡が来ていたが、誰とは知らされてなかったよ。守衛のおじさんかもしれないと思ったりもしたが、生徒の可能性もあった。IEAも生徒として送り込んでくるとは思わなかったね。考えてみれば生徒として紛れた方が情報収集もより深いところまで探れるだろうから合理的ではある。おかげで更衣棟のノゾキを処罰するわけにはいかなかった。結局は彼らの行動の方が正しかった、ということになるがね。それで今、彼らは?」
「『実家に帰省中』です。それぞれの組織から次の指令が出るでしょうから、学園に戻るかどうかは不明ですね」
「そうか。校長としてきちんとお礼を言いたかったのだがな」
文弥はそう言いながら、手元のタブレットを二人へ返した。美影も杉崎もちょこんと頭を下げてそれを受け取り、その仕草に合わせるように、場の空気がふっと緩んだ。
「先生って、そういうところ律儀ですよね」
杉崎はタブレットをリュックにしまいながら、からかうように笑みを浮かべて言う。
「おいおい、私だっていい年なんだぞ? それなりに礼儀くらいは弁えているつもりさ。だいたい君たちは私を何だと思っているんだ?」
「少年のままの研究者?」
「頭脳は大人、心は子供?」
「まったく、君たちは…少しは恩師に対して敬意というものをだな」
文弥は呆れて頭を抱える。しかし言われ慣れているのか怒っている様子はない。
「持ってますよ?」
「ねぇ? 碧ちゃん」
美影と杉崎の二人は顔を合わせてクスクスと笑っている。
「まったく…女性同士のコミュニティは怖いものだよ」
「そんなことないですよ? あ、それで彼は?」
杉崎は思い出したことに合わせてスッと真顔に戻る。
「ああ、うん。残念なことに澪たちとは別な学校へ編入扱いだ」
「編入? 一時預かりの転入ではなくて?」
「ああ、そうなんだよ。元々彼は普通科へ通うべきものを私が強引にこちらへ捻じ込んだんだ。今回もというつもりでいたんだが、こちらも文科省からの横槍が入った。何しろ彼はAMI値が0だろ? それを盾にされればこちらも口出しをしにくい。とはいえ…ここまで強硬に言ってくるとは思わなかった。白石君」
「はい」
「文科省を当たってくれないか? 重要ポストにサードパーティかファースツと関わりを持つ者がいないか、調査してほしい」
「かしこまりました」
「彼が一緒でないと、澪ちゃんが心配ですね」
「もちろんそうではあるんだがね。でも澪の問題だけではない。彼は彼自身のためにも、我々のためにも、保護すべき存在なんだ」
再び階下からコーヒーの香りが立ち昇り、雲間から差した陽の明かりが店内に強いコントラストをつくった。
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「なんだよ、こんだけっか持ってねぇのかよ」
「シケてやがんなァ。お前らはカモなんだからよォ、ちったァまとまったモン、持っとけよ」
「…ク…クソがァ…」
カペーロにほど近い飲み屋街、細く薄暗い路地裏で、白昼堂々とそれは起こっていた。見た目には高校生同士のケンカ、あるいはカツアゲの結果だが、ノされて地面に横たわっている3人はいずれも目立った外傷が見られない割に痙攣するようにピクピクと悶えている。彼らをこの状態にしたのは2人。どちらも頭に骨伝導イヤホンのようなものを着けていた。
「そのうちガッコ丸ごとシメてやんからよ。楽しみにしてろよ。なァ?」
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