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特異点

ごうっと風を切ってエヴァが海の上を走る。

目の前にいるのは微笑みを湛えたアンバー。

海上1メートルを高速で駆け抜けるため、道を切り開くように波が立っていた。


エヴァがレイピアを持つ手を引いた。


「【蜻蛉の追走曲 (リベリュール・フーガ)】!」


鋭い突きを繰り出す。

だがアンバーはそれを避けることはせず、ただ剣先に合わせて拳を突き出した。


「はっ」


ガチーン!


けたたましい金属の音が鳴る。

エヴァの切っ先は……アンバーの拳に付けられた細いメリケンサックに防がれた。


(なっ……剣先にちょうど当てるなんて……!)


ごくりと唾を呑み、エヴァが離れる。

その後ろから鋭い風の牙が迫ってきた。


「【鎌風】」


レオの造り出した風を、アンバーは……素早くジャブを繰り出すことでかき消した。


「可愛い風だね」


アンバーがにっこりと笑いながら言う。


「この野郎……」


普段冷静なレオだが、この言葉はカチンときたようだ。

レオは空中ですっと姿勢を伸ばすと、アンバーに向かって言った。


「本当に可愛いかどうか、力比べしようぜ」

「ほう」


アンバーが興味深そうに口角を上げる。


「この僕を相手に、拳で語り合うつもりかい?」

「拳は拳でも、オレのは風の拳だ」


レオが右手に小さな旋風を作ってみせる。

風魔法を拳に見立てて、アンバーと殴り合う算段らしい。


「はは、面白いね!いいよ、やろう」


アンバーが両手の拳を打つ。

ガチンとメリケンサックが鳴った。



「それじゃ、いくぜ」

「いつでも」


余裕の笑みのアンバーを睨みながら、レオが上空に上っていく。

10メートル程で止まると、すっと右手を引いた。

そして勢いよく拳をアンバーのいる方に向かって繰り出す。


「【ダウンバースト】!」


冷たい空気の塊が、レオの拳に合わせて業風となってアンバーに落ちていく。

アンバーは目を見開いて笑った。


「いいね!思った以上に拳だ」


アンバーも右手を風に向かって一直線に突き出した。


「はああっ!」


ドンッ!と大きな爆発音がする。

風の塊と鉄拳がぶつかった衝撃だ。

両者の力は拮抗している。

風を押し続けるレオも、拳をぶつけるアンバーも、二人とも全力を込めていた。


「うおおおお!」

「ああああっ!」


その時、キラリと何かがアンバーの背中で光った。


「【蜜蜂の円舞曲 (ウナベイユ・ワルツ)】」


こつ、とエヴァのレイピアが雷魔石をアンバーの背中に押し当てる。

刺激を受けた雷魔石は……発動した。


カッと辺り一面が白くなる。

大音量の雷鳴と、激しい稲妻がアンバーを襲った。


「ぎゃああああっ!」


すぐさま離脱したエヴァが、小声で言う。


「ごめんなさいね……」



弱点の雷魔法を食らって黒焦げになったアンバーが、信じられないものを見る目でレオを見つめる。


「あり得ない……勇者だろ?こんなの、卑怯だ……」


レオは冷たく言い放った。


「卑怯もクソもねーんだよ」


飛ぶ力を失ったアンバーが、ぼちゃんと海に落ちる。

これで終わりか……そう誰もが思ったときだった。


「いや……まだだ!」


アンバーが海を物凄い勢いで泳いでいく。

いや、手を動かしていない。

海を身体で切り開いているかのようだ。

魔力で進んでいるのか。


「まだあんな力があったのか!」


レオがばっと振り返る。

アンバーが行く先は──レオたちが乗ってきた舟だ。

舟には、旭が乗っている。


レオは力いっぱい叫んだ。


「逃げろおおーーっ!」


レオとエヴァがそれぞれ旭のもとへ向かった。



旭は恐怖で震えていた。

舟の縁を、濡れた青い手がガシッと掴み、ずずずと青い顔が這い出てくる。

死の危機に瀕しているからか、アンバーの笑みには凄みがあって恐ろしい。

足がすくんで、立てない。


「やあ、樋田旭」

「ど、どうして私の名前を……」

「大事な特異点の名前は覚えておいて当然だろう?」

「特異点……?」


旭の声が揺れる。

アンバーが何を言っているのか分からない。


「君は本来この世界に存在しないはずだった。運命を歪めて、新たな運命を作り出した……。何によって?──『薬』を生み出すことによってね。君を異物として、魔王様が警戒している」

「えっ……?」


旭の胸がずん、と恐怖で重くなった。


(どうして魔王が私なんかを気にするの?特異点って何……?)


「まあ、細かい話は後だ」


アンバーが海水に濡れた手を旭のほうに差し出した。


「君の作った薬をもらおうか」

「えっ」

「なんだったかな……『薬草丸』と『麻痺治し飴』だっけ?僕におくれよ」


どくん、と旭の心臓が鳴った。

なぜ薬の存在を知っているのか。

そしてなぜ、その名前と効能まで把握しているのか。


(どこまで私のことを……いや、私たちのことを知っているの?)


「さあ、早く」


アンバーが催促するように手を動かす。


「え、えっと……」


死にたくない。

でも、渡すわけにはいかなかった。

旭の喉がカラカラになる。

指先が震える。

暫くしてからやっと、掠れた声で言った。


「……今、在庫切らしてて……すみません」

「……」


ドクン、ドクンと鼓動の音が強く聞こえた。

嘘だと見抜かれたら終わる。


アンバーがすっと目を細める。


(やばい、死ぬ……)


旭がぎゅっと目を瞑った。


「……渡さないなら、消えてもらうしかないね」


優しげで、恐ろしい声が旭の耳に届く。

アンバーの伸ばした手が、旭の首に触れかける。

その時だった。


「【蜻蛉の追走曲 (リベリュール・フーガ)】!」

「【鎌風】!」


エヴァとレオの攻撃が、アンバーの背中を襲った。


「ぐああーーっ!」


アンバーが断末魔の叫びを上げる。


「魔王様……やはり、特異点は……」


アンバーの身体が黄色に光り、塵となって消えた。


◇◇◇


「大丈夫、怪我はない!?」


エヴァが急いで旭に駆け寄る。


「はい、大丈夫です……ありがとうございます」

「良かった」


ほーっとエヴァが安堵の息を吐く。


「悪かったな、あいつを近づけたりして」


レオが眉を曇らせながら旭に言った。

旭はすぐにブンブンと両手を振った。


「いえ!お二人がすぐに来てくれましたから。ありがとうございます」


そしてふと、レオが持っているものに視線が向く。


「レオさん、それは……」

「ああ、奴の魔石だ」


レオがすっと左手を差し出す。

その手に持っていたのは、琥珀色に輝く手のひら大の魔石だった。


「どうせまた集めるんだろ?」


レオが呆れ顔をしながらも差し出してくれる。


「ありがとうございます」


旭はレオから魔石を受け取ると、リュックの中に入れた。


これで、四天王の魔石は三つ。


「残る四天王はあと一人ね」

「ああ」


エヴァの言葉に二人が頷く。


「ひとまず戻るか」


三人は舟に乗って、マスタード・マーケットを目指す。

波の音の中、『特異点』という言葉が旭の頭を離れなかった。

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