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転機

「だから袋を一緒にされると分からないって言ってるだろ!」

「申し訳ございません」


静まりかえった薬局内。

怒鳴られながら、旭は機械的に頭を下げる。

ああ、またやってしまった……とぼんやりと思った。

入社以来、旭が患者を怒らせた回数は社内一だろう。

早い話がコミュ障なのだ。



樋田旭、現在二十九歳。

薬剤師が接客業だということを、旭は職に就いてから知った。

将来は食いっぱぐれない医療職に就きたい、でも血は見たくない。そうだ、薬剤師になろう。

不幸だったのは、そこそこ勉強ができたために、そんな安易な考えで薬剤師になれてしまったことだ。


現実は過酷だった。

『薬剤師の業務』以外の業務が多い。

同僚は「私たちってコンシェルジュみたいだよね」と笑った。

旭は、それに笑って返すことができなかった。



(薬剤師が究極のサービス業だと知っていたらなったりしなかったのに)


申し訳ございませんと口ではいいながら、頭の片隅でぼんやりと思う。


この患者は、用法が同じ薬を一緒の薬袋にまとめられたことに怒っている。

だがそんなの知らないと思った旭は、パソコンに処方箋内容を入力した際に、自動的に用法が同じ薬は同じ薬袋にまとめられること、そしてそれは今回が初めてではないことを冷静に説明した。

そしてそれが火に油となり、患者の怒りは爆発した。

上司も飛んできて、二人で平謝りだ。


上司が何とか宥めて患者が帰ったあと、別室に呼ばれ、気遣った様子の上司にとても言葉を選んで告げられた。


「あの時、患者さんは謝ってほしかったんだよね。旭ちゃんの言うことは間違ってないんだけど、患者さんが謝ってほしそうにしてるなって思ったら、謝ってあげるというか、ね」


すみませんでした、と上司に言いながら、旭は自分の胸にぼっかりと穴が開いていくのを感じた。


自分はダメ人間だ。

あの場面で必要とされていたのは説明ではなく謝罪だと分かっていたのに、「自分は悪くない」という思いが謝ることを拒んだ。

謝罪が求められている場面で謝れない自分は社会人失格だ。

薬剤師に向いていないんじゃない。

社会人に向いていないのだ。



その日、旭は家に帰る前にコンビニに寄って買い物をした。

今日は毎週買っている週刊誌の発売日だ。

カゴに入れたのは、週刊誌と酒だ。

最早何本かも数えず、カゴにどんどん缶を入れていく。

もう、今日の記憶を全て消して、なかったことにしたかった。



もう何本目か分からない缶チューハイを開けながら、既にフワフワの頭で、ベッドの上で漫画雑誌を開く。

毎週追いかけて楽しみにしていた連載が、今日最終回を迎えることになっている。


タイトルは『果ての秘宝』。

内容は王道の冒険物だ。

主人公のレオが、魔王を倒す旅に出る。

だが実はレオは新見玲央という日本人で、異世界に召喚された勇者だ。


クールで冷たくも見えるがハートは熱いレオ。

どんなに過酷な状況にも決してめげない不屈の精神に、毎週励まされてきた。

苦手なクレーム対応をして心身共にすり減った時も、レオが立ち上がったから、旭も翌日仕事に行けた。


魔王との戦いは最終回を目前にしても決着が付いておらず、魔王を倒せるのか、そしてレオは無事日本に帰れるのかが注目のポイントとなっていた。

そして、タイトルの『果ての秘宝』とは一体何なのか。

戦いの果てに何があるのか。


「……は?」


だが、そんな旭の期待は打ち砕かれた。

なんとレオは魔王と相討ち。

息も絶え絶えのレオの頭上に、崩れた城の瓦礫が降ってくる。

世界は平和になったが、レオは死んだ。


たった一人、誰にも知られず。

自国に帰ることも叶わず。


レオ以外の人々が喜びに満ちた平和な世界。


「……何だコレ……」


左手からメキョ、という音がする。

旭は慌てて缶チューハイにかかっていた力を抜いた。


魔王側の妨害とレオ自身の口下手もあって、たった一人で旅を続けた彼。

それでも、どんな困難にも決して負けず歩み続けた。

燃えるようなその眼差しが、とても好きだったのに。


「……は?信じらんないんだけど。バドエンもいいとこじゃん」


旭は少し潰れた缶チューハイをぐいっと呷った。

途端にぐわーんっと目眩がする。

何だか拍動も強いような。

こめかみがドクドク言っている。


ぼやける視界で思った。

受け入れられない。二次元でさえ厳しいなんて。

こんなんじゃ、一体どこで息をすればいいって言うんだ……。


「やっほー、死神だよ」

「……はっ?」


瞠目する旭の目の前に、どこから、そしていつ現れたのか、黒を基調としたファッションのギャルがいた。


「ぎゃあっ!」


叫んで後ずさる旭。

だがベッドの上にこれ以上下がるスペースはなく、壁にゴンっと頭をぶつけた。


「……った……」

「おいおい、だいじょぶ?死期縮めんなって」

「……」


旭は目を瞑って額に手を当てる。


(……酒飲み過ぎた)


「言っとくけど幻覚じゃないから」

「え……?」

「酒飲み過ぎた幻覚だと思ってるっしょ?酒飲み過ぎなのは合ってるけど、アタシは本物」


旭は眉を寄せて目の前の少女を凝視する。

確かにリアルだ。

だが幻覚を見たことがないから、こんな風なリアルな幻覚もないとは言えない。


(幻覚見たって患者さん、どんなんだって言ってたっけ……)


ギャルは背中に生えている漆黒の羽をパタパタと動かしながら、ふよふよと浮いていた。

床から浮いているその足元に、影は見当たらない。

部屋の蛍光灯は、ちゃんと点いているのに。

酔って考えるのが面倒くさくなってきた旭は、もう何でもいいか、と思い始める。


「……本物なんですね。分かりました。死神って仰いましたっけ?」

「あはっ、話が早いねー。そうだよ!君の魂狩りに来たの」

「……は?」


(殺すってこと?)


酒が回った頭が急激に冷える。

苦しいのと痛いのと怖いのはごめんだ。

だが背中は壁にくっついていて、ギャルは目の前にいる。

逃げ場はない。


……そう思ったら、意外とすんなりと諦めがついた。

自分の生に未練がなかった。

というより、やっと終わる、という感覚に近いかもしれない。


本当は、もっと違う薬剤師になりたかった。

患者の相談に寄り添って、改善があれば良かったですねと一緒に笑い合えるような薬剤師に。

いつからこんな風になってしまったんだろう。

六年も大学に通わせてくれた両親の苦労と愛情を思うと、申し訳なくて顔が上げられなくなる。


毎日、朝が来なければいいのにと思っていた。

でも、そんな日々を自分で終わらせる勇気はなかった。

だって苦しいのと痛いのと怖いのはごめんだから。

だが、生きるにはつらかった。


そう思うのに、何故か胸の底がひりついた。

それには気付かないふりで、そっと蓋をする。

旭は、ぼんやりと呟くように言った。


「……私、死ぬんですね」

「うん、死ぬよ!急性アルコール中毒で」

「え」


何だか思っていた死に方と違う。


「あなたに魂を狩られるんじゃないんですか?」

「んーとね、死神が狩るのは寿命が尽きた人間の魂なの。狩ることで死ぬわけじゃないよ」

「へえー……そうなんだ」


旭は左手に持った缶に目を向ける。

そういえばギャルが来る直前、今までにないほど強い目眩に襲われた。

今治まっているのは、ギャルと話している間限定のボーナスタイムといったところか。

会話が終わったときか、ギャルの任意の時間によって解除されるのだろう。

その瞬間が死だ。


「分かりました」

「あはっ、ほんとに物分かりいーよね。とゆーわけで、最期に何か言い残すことある?聞くだけ聞いてあげる♡」


(本当に聞くだけなんだろうなあ……)


旭は、うーんと考える。

何か言うことがあっただろうか。

これが最期の言葉になるのだろう。


先に他界することの両親への謝罪。

二人の顔を思うと胸が痛んだが、この死神が二人に伝言をしてくれることはないだろう。

ならば二人への気持ちは胸にしまっておきたい。


他に、何か思うこと……。


「……レオ……」

「ん?」


溢れたのは、悲痛な最期を遂げた推しへの想いだった。


『ここでやられるわけにいかねーんだよ!』


どんなに血を流しても決して消えることのなかった目の光。

現実に打ちのめされた旭の心を何度も照らしてくれた、熱いほどの明かり。

旭の瞳が揺れる。


「絶対ハピエンがよかったのに……レオが死ぬとか超ショック……。死ぬ前に完結して、最後まで読むことができたのは良かったけど、こんなバドエンあんまりだよ……」


オタクの妄言を聞いたギャルはポカンとしている。


「……それが君の後悔?」

「後悔っていうか嘆きです」


旭はぐいっとチューハイを飲む。

この後死ぬなら飲んでおかないと損だ。


「自分の人生のことは振り返らなくていーの?」

「……いいです。振り返ったって面白くないし。来世はレオを幸せにしてください」


死神に向かって合掌し、頭を下げる。

神は神だ。

酔っぱらいオタクの合掌が面白かったのか、ギャルは腹を抱えて大笑いを始めた。


「あははは!ウケる!アタシ死神だから無理だし!」

「やっぱ無理か……」

「ダメ元だったの?マジウケる!」


ひとしきり笑い終わると、ヒーと言いながらギャルは目尻の涙を拭って、さっぱりと言った。


「うん、君のこと気に入った。来世、行ってみる?」

「……は?」


唐突なはずのその言葉は、不思議とひりついた胸にじわりと落ちた。

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