第55話 近づかない優しさ
午後の庭は、やわらかな光に包まれていた。
私はいつものベンチに腰を下ろし、本を開く。
ページをめくる音だけが、静かに続く。
足音が近づいてくる。
エマだった。
今日は迷いが少ない。
まっすぐこちらへ歩いてくる。
「……隣、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
私は本を閉じない。
彼女は少し距離を空けて腰を下ろす。
しばらく、何も言わない時間が続く。
「最近、少し落ち着いてきました」
「そうですか」
「最初は、何をすればいいのか分からなくて……」
言葉を探しながら続ける。
「でも、何もしなくてもよいのだと、少し分かってきました」
私は頷くだけ。
「それでも、ときどき不安になります」
エマは視線を落とす。
「このままでいいのか、と」
その問いは、以前の私も抱いていたものに似ている。
けれど、答えを渡すつもりはない。
「不安は、なくなりましたか」
私は問い返す。
「……なくなってはいません」
「困っていますか」
「いいえ」
「では、大丈夫です」
私はそれだけ言う。
エマは少し笑う。
「その言い方、好きです」
「そうですか」
「何も押しつけられていない感じがします」
私は視線を本に戻す。
近づきすぎない。
慰めすぎない。
背負わない。
それが、ここで守る距離だ。
しばらくして、エマは立ち上がる。
「今日は、川の方へ行ってみます」
「お気をつけて」
それだけ。
彼女は振り返らない。
私も、追わない。
夕方、食堂で再び顔を合わせる。
エマの表情は穏やかだった。
「今日は、少しだけ長く座っていられました」
「そうですか」
「それだけで、十分ですね」
私は頷く。
十分かどうかを決めるのは、彼女だ。
夜、部屋に戻る。
窓を開けると、風が静かに流れ込む。
優しさには、いろいろな形がある。
近づくこと。
励ますこと。
答えを示すこと。
でも、近づかないことも、
優しさの一つなのだと思う。
私は灯りを落とす。
今日も、何も背負わなかった。
それで、よかった。
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