第34話 それでも急がない
朝の空気は、少し冷えていた。
季節が、また一歩進んだのだと分かる。
けれど、急ぐ理由にはならない。
私は窓を開け、
その空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「……今日は、晴れそう」
それだけで、十分だった。
食堂へ行くと、
いつもの席が待っている。
椅子は二つ。
もう、数えることもなくなった。
私は先に座り、
湯気の立つスープを見つめる。
少し遅れて、
あの青年が入ってくる。
「おはよう」
「おはよう」
それだけ。
昨日と、何も変わらない。
食事の途中、
彼がぽつりと言った。
「今日は、川の水位が少し高いそうです」
「そうですか」
「散歩は、午後の方がいいかもしれません」
「分かりました」
予定を立てているようで、
決めてはいない。
それが、この距離だった。
午前中、
私は部屋で本を読む。
集中が途切れたら、
窓の外を見る。
誰かに急かされることはない。
自分で、自分の時間を使っている。
昼過ぎ、
川の様子を見に行く。
彼は先に来ていて、
石の上に立っていた。
「……少し、増えていますね」
「ええ」
それ以上、近づかない。
危ないからと、
引き止めもしない。
判断は、
それぞれに任されている。
私は川辺に腰を下ろす。
昨日までと同じ景色。
同じ音。
それなのに、
心は落ち着いている。
自覚してしまったからといって、
何かを変える必要はない。
「……急がなくて、いいんですよね」
思わず、口に出す。
彼は振り返らずに答えた。
「はい」
理由は言わない。
いつまで、という話もしない。
「今が、困っていないなら」
それだけだった。
夕方、屋敷へ戻る。
使用人が声をかけてくる。
「今日は、日が長かったですね」
「そうですね」
それ以上の話題はない。
王都の話も、
未来の話も出ない。
夜、部屋で灯りを落とす前、
私は一日を振り返る。
自覚はある。
戻らない距離もある。
それでも、
今日という日は、昨日と同じ。
「……それが、いい」
そう思えたことが、
何よりの答えだった。
急がない。
決めない。
名前を付けない。
けれど、
離れもしない。
私は窓を少し開け、
夜風を感じる。
遠くで川の音がする。
「……まだ、ここでいい」
それは、
先延ばしではなかった。
今を、
そのまま受け取る選択。
目を閉じる。
明日も、
たぶん同じ一日になる。
それを、
退屈だとは思わなかった。
むしろ、
ここから先も、
続いていくと分かっている。
それでも急がない。
それが、
今の私にとっての、
いちばん自然な答えだった。
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