第24話 踏み込まないという選択
その日は、朝から少し体が重かった。
熱があるほどではない。
けれど、目を覚ますのに時間がかかる。
「……無理はしない方がいいわね」
そう思いながらも、
いつも通りに身支度を整えていた。
廊下に出ると、
管理人がこちらを見て、わずかに眉を寄せた。
「顔色が、少し」
「大丈夫です」
即答してから、
自分でも少し笑ってしまう。
大丈夫、という言葉は、
習慣のようなものだ。
「今日は、外に出られますか」
「……様子を見て」
「分かりました」
それ以上、言われない。
引き止められない。
判断は、こちらに委ねられている。
昼前、庭に出たものの、
長くはいられなかった。
風が少し冷たく、
頭が重い。
ベンチに腰を下ろし、
目を閉じる。
「……今日は、ここまでにしましょう」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
そのとき、足音が近づく。
「……無理、していませんか」
あの青年だった。
「少しだけ」
「そうですか」
彼は、私の正面ではなく、
少し横に立った。
「部屋に戻られた方がいいと思います」
命令ではない。
心配を押し付ける調子でもない。
ただ、状況を見ての判断。
「……そうですね」
私は立ち上がろうとして、
一瞬だけ、体が揺れた。
彼は、すぐには手を伸ばさなかった。
代わりに、
一歩だけ距離を詰める。
「……掴まっても、いいですか」
問いかけだった。
私は少し驚いてから、頷く。
「お願いします」
彼は、腕を貸す。
引き寄せない。
支えすぎない。
私が自分で歩ける分だけ、
支える。
屋敷までの道は短い。
それでも、普段より長く感じた。
「……すみません」
私がそう言うと、
彼は首を横に振る。
「謝ることではありません」
それだけ。
理由を説明しない。
「心配だから」とも言わない。
部屋の前に着くと、
彼は立ち止まった。
中に入ろうとしない。
「……ここまでで、大丈夫ですか」
「ええ」
「お茶を頼みましょうか」
「お願いします」
それ以上、踏み込まない。
部屋に入らない。
看病を申し出ない。
座る許可も求めない。
私は、その距離に、
なぜか息がしやすくなる。
彼は使用人を呼び、
簡単に事情を伝えると、
私に向き直った。
「今日は、休んでください」
「……はい」
「何かあれば、呼んでください」
それも、
義務のような言い方ではなかった。
彼が去ったあと、
私はベッドに腰を下ろす。
胸の奥に、
奇妙な感覚が残っていた。
助けられた、というより、
任せても大丈夫だったという感覚。
夕方、熱は下がった。
使用人が様子を見に来て、
薬湯を置いていく。
「先ほど、あの方が
無理をさせないように、と」
「……そうですか」
その言葉を聞いても、
重さはなかった。
夜、窓を少し開ける。
外は静かで、
川の音が遠くに聞こえる。
私は、今日のことを思い返す。
踏み込める場面だった。
もっと近づくこともできたはずだ。
それでも、彼はそうしなかった。
「……距離を取らなくていい、って
こういうことなのね」
誰かに頼らない強さではない。
頼っても、
自分を失わない距離。
それを、初めて体で理解した気がした。
私は灯りを落とす。
今日一日で、
何かが決定的に変わったわけではない。
それでも、
戻る必要のない距離が、
一つだけ、確かに残っていた。
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